伊藤新道

今夏のトレッキングプラン

地図から消えた登山道、復活!

 

一昨年10月、伯耆大山に登頂し日本百名山を達成しました。
その後は少し嗜好を変えて、ピークを目指す登山から旧道をめぐるトレッキングを楽しむようになりました。
もちろん登山仲間たちとの恒例のアルプス登山は今までどおりですが、ソロとしてはちょっとこだわりを持った山旅を続けていきたいと思っています。

そんな山旅は、2022年甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根、2023年黒部水平歩道チャレンジしました。
どちらも一般登山者がほとんどいない登山道で、静かにじっくり山を楽しむにはもってこいのルートでした。

さて今年の夏山は、昨年からここに行こうと決めていたのが「伊藤新道」です。
というのも、三俣山荘の経営者伊藤圭氏(伊藤正一氏の息子)が、以前からこの登山道の再生に向けて準備し、プロジェクトとしてクラウドファンディングや仲間たちと共に復活されたことを知ったからです。

この伊藤新道は、故伊藤正一氏が湯俣温泉から湯俣川沿いに三俣山荘に至る登山道を開削したルートです。1956年から1983年まで使われていたそうです。
伊藤正一氏は、戦後三俣山荘、水晶小屋、雲ノ平山荘を建設し、登山道の開拓も含め北アルプス登山の礎を築いた人です。
その歴史を描いた著書「黒部の山賊」は、今でも登山愛好者に読まれています。

 

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伊藤正一氏著書「黒部の山賊」と三俣山荘

 

【伊藤新道とはどんな道か】
伊藤新道はかつて、長野県大町市から北アルプス最奥に位置する黒部源流への最短ルートとして、また三俣山荘を建設するための歩荷道として開拓されました。然し湯俣川を遡行する道は、その「最短」という言葉には似つかわしいほど変化に富んだ自然の様相を見せてくれます。美しいブルーの沢を歩けば火山に由来する噴気や野湯の匂いや熱気に包まれ、冷たい沢の流れを幾度も横切り、自然のダイナミズムが剥き出しとなった赤茶の岩場を進み、原生の樹々の森へ入ると同時に槍ヶ岳や北鎌尾根を眺めながら鷲羽岳の懐をトラバースして三俣山荘へと至ります。
「復活 伊藤新道HP」より

 

日本百名山の鷲羽岳と水晶岳は、北アルプス最深部に位置します。
黒部源流の最初の一滴はこの鷲羽岳からです。現在、長野県側からの登山ルートとしては、信濃大町の高瀬ダムからブナ縦尾根の急登を経て裏銀座コースを辿る登山道だけです。
私もこのルートを2度ほど経験しましたが、超ロングコースとしてかなり厳しかった思い出があります。

 

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北アルプス最深部にそびえる鷲羽岳と山頂までのコースタイム

 

この伊藤新道の特徴は、湯俣川沿いに何度も渡渉しながら辿る道です。当然、雨天や雪解けなどで増水した時には通行不可能になります。又、復活プロジェクトが再建した吊り橋や鎖場も危険な状態になると思います。
こうした状況を考慮しながら今からプランニングしていくつもりです。
特に最近の登山は山小屋が予約制になっています。数日間の日程だと目的の山小屋泊ができてもその前後の宿泊地確保が必要になってきます。
そんなことから早い段階でのプランが必要になってくるでしょう。

 

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「復活 伊藤新道HP」から添付したルート地図

 

日本百名山の中で沢の渡渉を繰り返す山は一つだけあります。それは北海道の幌尻岳でした。
この時使用したのがモンベルのシャワークライミング用フットウェアでした。膝ぐらいまでの水位であれば渡渉可能ですが、腰まで浸かる深さだと心配です。
ヘルメットや着替え、ザック内の防水対策など必要になってくるでしょう。

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こんな感じで今から準備を進めています。
60代後半になり体力も減退してきています。この伊藤新道走破の後は、槍ヶ岳の「西鎌尾根」を辿ってみたいと計画していますがこれも体力しだいです。
年齢を重ねてきた利点は一つあると思っています。それは、”無理をしない” ということでしょうか。
自分の身体と相談しながら進むか、退くか?の判断は多分できるでしょう。

こうした年齢になってきたんだと思いながらプランニングしています。

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