内館牧子から学ぶ老後・・・
毒にも薬にもなる生き方?
内館牧子さんの「老後小説三部作」に続き、今年10月新刊「老害の人」が出ました。
小説を読み進むにつれ、自分にも当てはまることが多々あり、自戒を込めながらこれからの生き方・過ごし方を教えられました。
今までの三部作、「終わった人」、「すぐ死ぬんだから」、「今度生まれたら」 は、以前ブログアップしました。又、それぞれ映画化、TVドラマや演劇化され多くの反響を呼びました。
「老害」?
この言葉を目にすれば、「そうなんだよな~、いい加減にしてほしいよな」「あいつもそうなんだよな~」と他人事のように思っていましたが、”実は自分も” と当てはまることが多いと気づきました。
そういう意味では、読む人にも気づきを促す小説なのかもしれません。
小説のあらすじについては省きますが、物語の中で出てくるいくつか気になった文章を引用して感想を述べたいと思います。
冒頭、いきなり
自分がどれほど「老害の人」かということに、当人はまったく気づいていないものだ。たとえ、自分が後期高齢者枠にあろうがだ。
この「老害の人」を端的に示すものが、主に「自慢話」に集約されています。
それは、病気自慢、元気自慢、趣味自慢、仕事や手柄自慢(過去の栄光?)・・・、若い人からみれば「もういいよ!」と思われたりします。同時に高齢者同士でもうんざりしてくる場面もあるでしょう。
こうしたことは誰でも一つや二つ、いや、それ以上日常的にあると思います。
6年前、南アルプスを10日間かけて縦走したことがありました。
10日目、最後の北岳登頂を果たした時、頂上で若者グループに記念写真を撮ってもらいました。下山した広河原の小屋で同じグループに再び会う機会がありました。この時、若い登山者たちから縦走の話を訊かれたので話をしましたが、しばらくすると一人消え、二人消えて最後は誰もその場にいなくなりました。
後でわかったことは、なるほど「オヤジの自慢話についていけない」と思ったのでしょう。訊かれたことだけに応えればいいものを自慢話まで拡大していけば、これはまさに老害だったということを。
又、孫自慢まで出てくると話が止まらないということもあります。
物語の中では「すぐに『上の子五歳、下の子二歳』と言ったり、年賀状に書いたりする老害の人」とまで書かれていました。
この年代になると孫の話が確かに多くなりますね。私たち夫婦には孫はいません。親しくしている友人宅に行くとやはり孫の話が中心になります。私たちもそのお孫さんを生まれた時からよく知っているので、お祝い事の時などにはプレゼントを用意したりします。
孫のことを話していいのは、ごく近い身内だけよ。いくら友達でも親戚でも、話すと老害扱いだよ。
確かにそうなのかもしれません。よく知っているからこそ共通の話題になりますが、全く知らない孫の話をされても「もういい加減にしてよ」と思いたくなるでしょう。
もう一つ老害の話にこんなことが書かれていました。
老害の人というのは、政治経済の話からでも、もののみごとに自分の話に持って行く。匠の技だ。
例えば、久しぶりに親交を温める会社・学生時代のOB会や同窓会などの飲み会で、出席者個々の近況報告があったりします。
この時、Aさんの話を聞いている時に、いきなりBさんがその話題を取って自分の経験談に持っていくようなことが起きたりします。それも延々と自慢話が続き、いつまで経っても終わらない。結局Aさんの話はどうなっちゃったの?
そんなことからAさんの話はいつの間にか頓挫し、次にCさんの近況報告に移っていきます。そこで、またまたBさんがその話題を取って自分の自慢話へと・・・。
こうした光景は、日々私たちの日常生活の中でもよく見られます。そうした仲間たちとの会話をちょっと意識してみると、なるほどな~と気づいたりします。
これも典型的な老害なんでしょう。
冒頭で記した、自分がどれほど「老害の人」ということに、当人はまったく気づいていないものだ、と。
そんな体験が、以前山仲間たちとの泊まりの親睦会でありました。
いつも控えめなAさんが、珍しく目を輝かせながら初夏の尾瀬トレッキングの良き思い出話をしました。そして今度は自分が企画したいという話の最中に、突然Bさんが尾瀬の話題を取って50年前の学生山岳部時代の雪山登山の話をし始めました。初夏の尾瀬より冬の雪山トレッキングの方がずっと面白いし景色もいい!と。それも何度も何度も繰り返しながら。
初夏と冬の尾瀬、それはどちらも良いもので比較すべきものではありません。せっかくAさんが今度はルートを変えて行こうよと提案したにもかかわらず、なんと50年前の話を持ち出して、それも雪山装備もなく行く気もない本人が、”ただ自慢話するだけ” に終始する態度に呆れてしまいました。
実は、Bさんのこの尾瀬雪山トレッキングの話は、過去5回ほど親睦会で聞いていました。
こうした自慢話というのは、酒の席の定番なのでしょうか。
酔った勢いで同じ話を2度3度繰り返すことはありますが、それが今回で6回目!、それも他の人の思い出話に口出しして、自分の自慢話に持っていくのはよくないことです。
この時ばかりは私も我慢できず、Bさんに対してその場ではっきり水を差しました。
翌朝、Bさんが私に「昨夜はすみませんでした」と謝りにきました。更に「昨日は酔っていて何も覚えていないんですよ」と。多分、他の仲間から昨夜の出来事を聞いたのでしょう。
私も「お酒が入った席だったからね」とやんわりと応えました。
このような自慢話というのは、前述したように誰にでもあると思います。こうしてこのことを書いている自分自身もありました。
退職後、登山やくるま旅、持久系スポーツなども、ある意味自慢話なんでしょう。
小説の主人公80代半ばの父親は、友人仲間たちとゲームサロンを開設します。そこでは地元の高齢者が集う場として賑わいをみせ始めました。
物語の終盤に、こんな言葉や文章が出てきたので引用してみました。
年取ると昔話とか自慢話とか愚痴とか嘆き節とか、それを言ってる時だけが楽しくてな。生きてる実感があってさ。いつまでも仕事にしがみつく老人たちも、その仕事だけが自分を生かしてくれてるんだよ。
老人が、老人のために老後を尽くすという姿勢こそ、高齢化社会の新しい生き方。
3年続くコロナ禍の中で私も地域の市政に関わるボランティア活動を始めました。そこでは同世代の人たちとの交わりがあり「生きてる実感」というものを感じます。
又、週に数度通う市民スポーツセンターでは、やはりここでも冗談や自慢話をしながら同世代の人たちが生き生きと汗を流しています。これもまた「生きてる実感」なのでしょう。
カミサンは、以前から趣味の手話を友人に教えていました。最近になってご近所の人から、手話を生かしてバンドに入らないか?と誘われました。歌やメロディーはバンドが演奏し、ステージの横で歌詞を手話で伝える歌ごえです。
地元の公民館を利用して定期的に開催するコンサートが定着してきました。今までは参加者が聴くだけでしたが、参加者も一緒に手話を覚え口ずさむ形式のコンサートに変わり評判が高まりました。
これもまさに「老人が、老人のために老後を尽くすという姿勢」なのかもしれません。
地域の手話を取り入れたコンサート。多くの地元の人たちが集うようになりました。
小説の最終頁に、
老害は若いヤツらには毒だ。だけど老人には薬なんだよ。な、老害は毒にも薬にもなってんだ。
確かに考えてみればそうかもしれません。
昔話に説教、趣味の講釈、病気自慢に孫自慢・・・、過度な自慢にならずそこそこであれば良薬なのかもと思い直しました。
それは生きる力を与えてくれるものだと。
ブログを始めて10年経ちました。
今思えば、よくここまで続いたな~という実感です。最初は登山から始まり、次にくるま旅、更に持久系スポーツと。趣味の範囲を広げると同時にアップ数も多くなりました。
又、その間、社会問題にも関心を寄せて寄稿してきました。時には批判的な内容も伴いましたが、これらすべて生きる活力になっていたんではないかと改めて思いました。
こうしたブログの内容は、情報の共有化を意識したものでしたが、見方によっては自慢話だったかもしれません。そんな自慢話もひっくるめて自分にとっては薬になっていたんでしょう(笑)
今年最後のブログが、小説「老害の人」で良かったと思っています。
来年も引き続きアップしていきます。
読者の皆さん、どうぞよいお年をお迎えください。
こんにちは。
今回の「老害の人」のテーマ、大変面白く読ませていただきました。
内館氏のことは特に好きでもなんでもないのですが、ストーリー作りの上手い方という印象はあ
ります。
以前の作品「終わった人」は少し立ち読みしてみましたが、今回の作品は大体の想像がつきそう
な感じです。
老害の他覚症状としては聞かれてもいない自慢話が多いとか?
趣味自慢、過去の栄光&キャリア自慢etcというのは別の某掲示板でたっぷり経験済ですので、
この部分には大笑いしてしまいました(^^) ゴメンナサイ。
当方、後2年で古希を迎えますが、体調は可もなく不可もない状態です。
独身のアラサー娘がいるので気楽な毎日とはいきませんが、まあ上を見ればキリがありません。
現在町内会の役員をやってまして、来年3月に任期満了ですので、それ以降はほどほどに好きな
映画やお酒を楽しみながら、興味のあることだけをマイペースで楽しみたいと思います。
また、コロナがもう少し収まったらもう一度筋トレと水泳を始める予定です。
管理人様、そしてこちらをご覧になっている皆様、ぜひ良いお年をお迎えください。
Zampanoさん
お久しぶりです。お元気そうでなによりです。
後2年で古希を迎えるのですか。同世代としていろいろと話題が共通しますね。
内館さんと同じような題材・作風として垣谷美雨さんの小説があります。テーマが若者と高齢者、高齢者の生き方など、普段私たちの生活の中にある身近な出来事を細かく観察して表現していることが実に的を得ているので、「まったくそうだよな~」と笑ってしまいます。
>コロナがもう少し収まったらもう一度筋トレと水泳を始める予定です。
ぜひお勧めしたいと思います。私も日課になっていまして「今日行く」ところがあるので、一日のパターンが定着し始めました。これも一つの過ごし方かな?と思っています。同時に健康維持につながりますから一石二鳥という感じです。
高齢者同士で適度な自慢話をしていることも、生きている実感をお互い味わう意味でいいんじゃないかと思いました。
コメントありがとうございました。
すーさん様
>病気自慢、元気自慢、趣味自慢
いや~参りましたね!これを喋らなけりゃ何を話せばいいのか~~
すーさん様、これからも元気自慢、趣味自慢、をバンバン載せて下さい。お願いします。
私の自慢話、今年、レオナードコーエンの「ハレルヤ」をピアノ弾き語りが出来るようになりま
した!
後輩さん
>これを喋らなけりゃ何を話せばいいのか~
確かにそうですよね。我々シニア同士であればどんどん喋ってもいいと思いますよ。
これが生きる力になっているんですからね(笑)
若い人たちと話す時は、少し意識して話したほうがいいんじゃないかと教えられました。
これは、娘婿さんや甥っ子などと会話した時にも感じたことがあったからです。
>レオナードコーエンの「ハレルヤ」をピアノ弾き語り
いや~、それはすごいですね! ピアノを弾ける人に憧れています。なかなか出来るものではないですからね。
TVの「街角ピアノ」をよく視聴しますが、ああして気軽に弾いて歌などを交えるととてもいいですよね~。確か海外の「空港ピアノ」で年配の人が「ハレルヤ」を弾き語ったことがありましたが、実に良くて印象に残っています。
ぜひ自慢してください。それは自慢に値しますよ!
今年もいろいろとコメントありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。よいお年をお迎えください。
今晩は~
今年もあと一日ですね。
いろいろこの場でこの一年間、楽しませていただきました。
ありがとうございます。
内館牧子さんの本はおもしろいですよね。
あの独特の表現には私も思い当たることがあり、苦笑いします。
>病気自慢、元気自慢、趣味自慢
いろいろ話すことで情報交換にもなっているのではないかと思います。
私の両股関節の不具合も大騒ぎしたおかげで(?)良い医師を紹介してもら
いました。これは感謝あるのみです。
スーさんのおっしゃる通り、やはり同年代か少し年上の人とは
このような話もできますね。
若者はまだまだ元気なので控えたほうが良いですね。
最近思うのは実際自分で経験しないとわからないのではないかと思います。
経験しても学習しない自分に唖然とするときもありますが(;^_^A
来年も時にはかなり社会的な鋭い意見をそして、山歩き、美味しいもの紹介
も期待しています。
ありがとうございました。
Roseさん
>いろいろ話すことで情報交換になっているのではないかと思います。
確かにそうですね。相手の自慢話?の中でも、ちょっと見方・聞き方を変えてみるといろいろ知らなかったことや教えられるものがたくさんあることに気づきます。
Roseさんの両足関節の不具合のお話もなるほどな~と思います。そうした何気ない会話の中にも大事なことが潜んでいるんですね。
毒にも薬にもなるということなんでしょうか。また一つ学びました。
今年もいろいろとたくさんのコメントありがとうございました。
こうしたコメントというのは、ブログをやっていて一番励みになり元気づけられます。
また来年もよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。