内館牧子節?の軽快なセリフが連発!
二分されている老後の過ごし方
小説のタイトル「すぐ死ぬんだから」は、かなりインパクトのある題名です。
いったいどんな物語なんだろうといろいろ想像してしまいますが、やはりこの言葉はシニア世代以上の高齢者がよく使う言葉として受け止めればいいと思います。
まさに言葉どおりの物語が展開していく小説でした。
この本は昨年8月に出版されたもので、書店の店頭に単行本として積まれていました。
まだ文庫本になっていないため1500円とお高めです。
そんなわけで図書館で借りようと出かけてみました。
出版されてからまだ日が浅いので書籍棚にはあろうはずがありません。早速予約を入れたところ、なんと176人待ち?ガガーン!!
一昨年、同じ内館牧子著の小説「終わった人」を借りようとしたところ85人待ちでしたから、その倍なんです(涙)
川越市内には4ケ所の図書館があり、この本の貸し出し数は7冊とのこと。それでも1年近くは待たされるようだったので諦めて書店にUターンしました(笑)
医療の先進技術が進化し、又、介護も充実する中、高齢化がどんどん進んでいます。
こうした社会状況の中でも「すぐ死ぬんだから」というセリフは、いたるところで耳にします。
これが80代、90代の高齢者であればストレートに受け止めることはできますが、60代の定年退職したオヤジさんが口にすることには違和感があります。多分70代でもそうでしょう。
以前、会社時代のOB会に出席した時、67歳になった先輩が口にしていました。
「そんなことを言って、まだまだお元気じゃないですか」
「いや~、俺も歳だからな~、もうダメだよ(笑)」
こうした会話は、私たちの身の回りでも日常茶飯事に見られる光景ではないしょうか。
このようなコミュニケーションは、「すぐ死ぬ」ということではなく、社会の第一線から退いた社会的な意味合いとして使われたりもします。
小説では、この「すぐ死ぬんだから」という言葉の裏には、これからの老後を過ごしていく上で、
”二通りの気持ちと行動” があることを伝えていました。
「免罪符」としてのセリフ?
この小説のあらすじは、
78歳の忍ハナは、60代までまったく身の回りをかまわなかった。
だがある日、実年齢より上に見られて目が覚める。「人は中身よりまず外見を磨かなければ」と。
ところが夫が倒れたことから、思いがけない人生の変転に巻き込まれていく・・・。
ストーリーの詳細については省きます。
内館牧子節?の軽快なタッチの会話や想いが次から次へと面白く展開し、意外な出来事を含みながら進んでいきます。
又、私たちの日常生活の中でよく見聞きする会話やセリフなど、よくもここまで ”観察” していることに驚かされます。
皆さんが実際にこれから読んでいただきその面白さや生き方を共有できたらと思います。
この本では著者の内館牧子さんが、”老後の過ごし方” についてその考えを投げかけていました。
※以下赤字は「あとがき」から抜粋
おそらく、若い人の多くは気づいている。
「男も女もさ、年齢(とし)取ればとるほど、見た目に差が出るよな」
「うん。メッチャ違うもんね」
「な、放っとくとどんどんヤバくなるんじゃね?」
おそらく、「ヤバい高齢者」の多くは、自分がヤバい範疇にいることに気づいていない。
ただ、それを注意するのは非常に難しい・・・・。
それでも思い切って注意すれば、返ってくる答えは、
「このトシになったら、楽なのが一番」
であり、
「どうせ、すぐ死ぬんだから」
と続くはずだ。
なるほど確かにそうだよな~と頷いてしまいます。
「楽なのが一番」と言って自分を納得させてしまうことが、それ以上の意識や行動を止めてしまったりします。
一方、同じく高齢者であっても、外見を意識する男女もいる。スキンケアから衣服に関するまで気を配る。
これは楽なことではない。だが、自分に課している。
「すぐ死ぬんだから」というセリフは、高齢者にとって免罪符である。
それを口にすれば、楽な方へ楽な方へと流れても文句は言われない。
「このトシだから、外見なんてどうでもいいよ」「誰も私なんか見てないから」「このトシになると、色々考えたくない」等々が、「どうせすぐ死ぬんだからさァ」でみごとに完結する。
ある時、八十代中心の集まりに出たことがある。その場で思い知らされたのは、免罪符のもとで生きる男女と、怠ることなく外見に手をかけている男女に、くっきり二分されている現実だった。
小説では、これら二分されている現実をこの物語の中心課題に据えていました。
物語では、高齢者の普段着やお出かけする時の服装、化粧など ”身だしなみ・身なり” にスポットを当てていました。
こうした身だしなみ・身なりは、”常に気持ちの持ち方が大事なこと” と伝えていたのでしょう。
だからそのためには、「自分に課している」ことが必要なことなんだと。
このような外見や身なりは、内(気持ち・心の持ち方)から出てくるものなんでしょうか。
内館さんは、次にこのようなことを記していました。
そして、外見を意識している男女ほど、活発に発言し、笑い、周囲に気を配る傾向があった。たぶん、自信のなせる業だろう。
あの時、外見は内面に作用すると実感させられたものだ。
セルフネグレスト
最近、「ネグレスト」という言葉をテレビや新聞などでよく見聞きします。
これは、児童虐待、障碍者虐待、高齢者虐待の意味を持つようです。子どもに対すネグレストは育児放棄とも言うそうです。
そんなネグレストに関して、内館さんは「セルフネグレスト」という言葉を使って説明されていました。
「すぐ死ぬんだから」と自分に手をかけず、外見を放りっぱなしという生き方は、「セルフネグレスト」なのではないか。
「ネグレスト」は「育児放棄」という意味でよく使われているが、「セルフネグレスト」はつまり、自分で自分を放棄することである。
又、東北大学大学院の心理学講座教授の話を引用して、
たとえば「もう年だからいいや」とか、「自分にはおしゃれは関係ない」という気持ちでいると、それは外見に現れます。
しかし、自分の「見え方」に関心を持って、身なり・容姿を整えると、その気持ちが目に見える形で現れます。
すなわち、その人の外見に、「意欲」が見て取れるのです。
若さではない美しさ、それは活き活きと社会生活をおくる意欲の表現なのかもしれません。
自分に関心を持っている、そして自分が他人にどう見えるかという気働きを持っている、こういう旺盛な意欲を持った人を、周囲は美しいと感じているのではないでしょうか。
「自分が自分に関心を持っている」ということこそ、セルフネグレストの対極である。
本書は、八十歳を間近にした女性主人公をめぐる、外見に関する物語である。
確かにこの小説は、高齢者の外見に関する物語でしたが、その身なりをとおしての ”生き方と考え方” を提起しているものなのでしょう。
「すぐ死ぬんだから」というセリフは、「もう歳なんだから」という意味と同じように使われています。
「だから?・・何?」・・・、その次にくる気持ちや想いは、何なのか?
「楽なのが一番」と言い聞かせてしまえば、自分自身を放りっぱなしにしてしまうことにつながり、怠りなく自分に課すのであれば、また違った世界が見えてくるものなのでしょう。
他の人から見てもそのように見られ思われるのだと。
私は30年以上お付き合いのある近所の床屋さんに月一回の頻度で通っています。
先日、いつものように比較的空いている平日の時間帯を狙って出かけてみました。
もうすでに阿吽の呼吸で椅子に座ればそのまま散髪してくれます。
そして、馴染みにしている町の床屋さんというのは、新聞やテレビ番組の話、趣味、旅行、近所の噂話など話題に尽きることはありません。
そんな散髪中にご主人がこんなことを話しかけてきました。
「いい歳をして何か月も散髪しないで髪はボサボサ、無精ひげが生え放題の馴染みのオヤジさんが時々来るんだよね~。いい歳なんだからもっと身なりをキチッとした方がいいと思うけどね」
「へ~そういうお客さんが来るんだ~」
「そうなですよ。よく知っている常連さんだから冗談半分で普段の髪や無精ひげのことを言ってあげたんでよ」
床屋というのは、一般的にお客さんの散髪頻度が高ければ商売につながるわけですが、この床屋のご主人はそういった考えで言ったのではなく、素直な気持ちで ”歳をとったらそれなりに身なりに注意した方がいいですよ” とアドバイスされたようです。
「へ~、直接言ってあげたんですか~」
「ま~常連さんだから。でね、そのお客さんなんて言ったと思います?『この歳になれば外見じゃないよ。中身が大事なんだ』と得意満面に言ってましたよ(笑)」
アレッ! その言葉最近どっかで見た?読んだ?言葉だな~。
そうだ! 「すぐ死ぬんだから」の小説の一文に内館牧子さんが書いていたな。
それは、「楽なのが一番」と思っている人にとっての ”常套句” であることを指摘していた言葉でした。
もちろんこの言葉を用いる人全てがそうではなく、「楽なのが一番」と言って自分に手をかけない、放りっぱなしの人が好んでこの言葉を使い、自己満足しているということでした。
そして、そういう人に限って「中身は?」と疑うことが多いようです。
未亡人とは?
この小説のストーリーは、主人公の忍ハナがご主人を亡くして ”未亡人” になる物語でした。
そんなことから文中ではよく未亡人という言葉が何度が出てきました。
この本を読む前に垣谷美雨さんの「夫の墓には入りません」を読んでいました。
この小説のストーリーもご主人が亡くなり未亡人になって嫁のあり方として展開いく物語でした。
私は未亡人という意味は、”夫を亡くした人” というふうに捉えていましたが、本来の意味は違うんですね。
「未亡人」。
「未だ亡くならない人」だ。夫が死んだのだから、そろそろ妻もいかがですかということか・・・、
「未亡人」とは余生を消化している人なのだと。
小説「すぐ死ぬんだから」の文中P116から
「それにしても、未亡人って嫌な言葉ね。未だに亡くなっていない人っていう意味だよね。夫が死んでも、尚おめおめ生き残ってやがるってことでしょう?」
小説「夫の墓には入りません」の文中P62から。※この本は「嫁をやめる日」を改題された作品。
多分一般的には、夫に死別した女性・婦人の意味として使われていると思いますが、昔は「夫に死なれて共に死ぬべきなのに生き残っている人」(コトバンク)という意だったそうです。
現在、こうした「未亡人」や「嫁」という言葉は、そういう立場の人を一言で言い表す言葉として、又、深い意味を持って言うことなく普段使われています。
しかし、辿ってみれば ”男尊女卑” のような差別用語としての意味があるということなんですね。
定年退職後の生き方や老後の過ごし方については、一般的に男性を題材にした書籍(随筆・エッセイ・小説など)が数多くあります。
しかし、最近では ”女性の立場から見た生き方・過ごし方” の本が増えてきました。
そしてそれらは人気作品として支持され、中にはベストセラーになる本も多数出てきました。
なぜこうした女性の立場からの作品がよく読まれているのか?
それは、現実の世界を飾りなく端的に指摘し表現しているからではないかと思います。いわゆる ”本音をハッキリ言っている” からなのでしょう。
そしてそのことは、誰もが抱える日常的・社会的な問題を題材にしていることからではないでしょうか。
私も男ですから、そうした男性の作品を読んでみると、なるほどとそう感じるものもありますが、ちょっと建前論だけで本音は?、ちょっとカッコつけてるんじゃないの? 忖度しているのかな~? などという感想もあります。
逆に女性からの見方は、ストレートに社会問題を指摘し、どうあるべきかという対策・対応も簡潔に言い切っている点だと思います。
私たちの日常生活の中のある場面を思い出しながら、「うんうん、その通りだ!」「よくぞ言った!」・・・。
そんな思いが共有できることから面白く、納得できるのでしょう。
それは女性の立場からみた考えだから女性読者に人気があるということではなく、男性からみても十分理解納得できるものもあります。
男性にとって学ぶことができる作品としては貴重なものではないでしょうか。
内館牧子さんは、最後のあとがきでこう述べていました。
「どうせすぐ死ぬんだから」という免罪符は、無精者の「葵の御印籠」なのだということでもある。
自戒をこめて、胸に刻んでおこうと思う。
この本を読み終えて、
「すぐ死ぬんだから」の「だから」の後に続く気持ちや想いは、しっかり持っておきたいと。
すーさん様
今晩は、川の土手の桜は5分咲きとなりました。
大井神社は満開です。
家山の桜が満開との事で、今週仕事が休みの木曜日に出かけることに。
ついでに川根温泉にも寄ってこようかと思ってます。
すーさんの故郷はいい所ですね。
さて(すぐ死ぬんだから)を読み終えました。
うんうんとうなづいたり、そう思ってんのねと今さらながら驚いたり…
楽しく、爽快に、読み終わりました。
段々年を重ねるにしたがって、不安や投げやりな気持ちがありましたが…
読んでなんとなく方向性が見えてきました。
運動は日課なのですが、オシャレはあまりせず楽さを選んでおりました。
もちろんリュックを背負っておりますよ。(笑い)
一応RUSSETのもので小ぶりなのでセーフかなと思ったりして…
普段の生活反省しました。(笑い)
垣谷美雨の小説も面白かったので主人に進めましたが、いいよとのこと。
この(すぐ死ぬんだから)も勧めてもたぶん拒否するので、スルーしましょう!
かみさんの後ろは続きたくないとの気持ちがあるんでしょうね。
それはそれですじが通っていて良しとしましょう。
我が家は卒婚なのであまり干渉せずにです。
さて昨日次なる本(妻のとりせつ)を買ってまいりました。
宮部みゆきが終わっておりませんが、砂地が水を吸うごとく今は読みたい時期に読
みたい本をと思ってます。
また面白い本や映画などありましたらお知らせください。
私なりの(すぐ死ぬんだから)を模索していきたいです。
匿名さん
大井神社の桜が満開ですか~。
子どもの頃によく境内で遊んだ所です。七五三のお祝いもした場所です(笑)
先月末帰郷した時、川根茶を買いに川根温泉付近まで行きました。道すがら山桜が咲いていて、とてもきれいでした。
小説「すぐ死ぬんだから」を読み終えたんですね。
いろいろと考えさせられる物語でしたね。これからの過ごし方にとっては良いアドバイス本だと思います。
身なりも気持ちも意識していきたいものですね(笑)
垣谷美雨の著書は、引き続き片っ端から図書館で借りてカミサンと一緒に読んでいます。
今日、図書館から連絡があり「子育てはもう卒業します」を借りてきました。
面白い本もあれば、そうでない本もありいろいろです。
とりあえず申し込んだ本は読んでみたいと思っています。
「妻のトリセツ」?はじめて聞きました。
ネットで調べたら黒川伊保子さんという方の著書なんですね。
こちらの本も一応チェックしておきます(笑)
今週関東地方は桜満開になります。
白寿になった義父を施設から連れ出し、花見に行ってこようと思ってます。
毎年のように「今年が最後かな~」と言っていますが、まだまだ大丈夫のようです。