家事は可視化されにくい
名前のある家事、ばかりではいけない。
家計簿をつけ始めてから10年経ちます。
長年お互い忙しい夫婦共働きだったこともあり、家計についてはどちらかというとどんぶり勘定でした。
退職後、老後のことを考えると将来家計がどのようになっていくのか心配だったことから、家計簿をつけるようになりました。
我が家の家計簿は、食費や日用品、医療、交通費など大きく9項目に分けています。これだけでも十分その支出傾向がつかめます。
月ごとに費目金額の増減はあるものの、年間を通してみるとそれほど大きな変化はありませんでした。特別な支出を除き、普段の生活が変わらなければ出費も変わらないということなんですね。
こうした家計簿を眺めていると「家事」の中身がなんとなく見えてきます。
例えば、食費という項目では「買物」金額だけしか記していませんが、その中身は朝、昼、晩の食事の材料などといった物があります。と同時に、辿っていけば食事メニューを考えること、食材や調味料の在庫を確認することなど、細かな部分で様々な行動?が存在することに気づきました。
まだ働いていた頃は仕事にのめり込み、こうした家事は子育ても含めカミサンに任せっきりだったことから、今思えば大変なことだったんだなとつくづく思いました。
以前読んだ本の中に、「名前のない家事」という言葉に目が留まりました。
換気扇フィルターの替えどきを見計らう、無くなる前に詰め替え洗剤を購入する、洗濯前の服のポケットをチェックしてシャツの袖と靴下を表に返す・・・これらに名前などない。そういったことの積み重ねで生活が成り立っている。これらの家事は可視化されにくい。
なるほど、実際に家事をするようになってはじめてわかるものでした。特にそうした意識がなくてもやっていることもあるんですね。
お正月に友人宅で食事会に招かれ行ってきました。娘さんが幼子二人を連れて帰省していました。
居間に入ると、取り込んだ大量の洗濯物が山積みになっていて一枚一枚畳んでいるところでした。子どもが幼い頃は、確かに大量の洗濯物が出ていたよな~と思い出しました。
一般的に家事には、炊事、洗濯、掃除、買い物というものがあります。その中で「洗濯」は、衣類を洗うだけではなく、その前の準備があります。又、洗った後はしわを伸ばし干しますが、その前にハンガーを用意して物干しざおを拭いたりします。更に、干した後は畳んでタンスなどに収納する行為があります。
洗濯という家事には、こうした一連の準備・行動が伴うものでなんですね。一言で洗濯といっても「名前のない家事」がたくさんあることに気づきます。
又、退職した仲間内で「ゴミ出しは俺の役割だよ」と言って、ちょっと胸を張って話すことがあります。
指定日に町内のゴミ置き場に持っていくだけのことですが、それ以前のゴミ管理までちゃんとしているのかな?と思ったりします。
例えば、日々の家庭内ゴミ分別はもちろんのこと、台所の生ごみ処理やシンクの掃除、ビン・缶の汚れ落とし、ダンボールや新聞などをまとめて縛ったりも含めれば、これらもまた「名前のない家事」なんでしょう。
家事をする男性、育児をする男性は、アレとコレは自分がやっているんです、と言いがち。でもアレもコレも、それをするためには、他の家事、名前のない家事が必要になってくる。それをするための準備は誰がやっているのだろう。この点が抜け落ちる。
「家庭内介護」が社会問題としてクローズアップされてきています。
この介護もある意味、家事の中で大きなウェイトを占めていると思います。最近では男性も介護離職が増えつつあるとはいえ、現実的には今も昔も圧倒的に女性が担っています。
私も母や義父母の介護に関わってきましたが、あくまでも関わりだけであって、介護保険などの手続きや病院への付き添い、買い物や掃除といった程度でした。
実際に介護にたずさわるといえば、全ての家事全般に至るわけで食事や着替え、入浴、各種補助なども含めあらゆることが含まれます。
ここにも「介護」という一言の中には、「名前のない家事」がたくさんあることに気づきます。
昭和の時代から私たち夫婦はフルタイム共働きで生活してきました。
当時としてはまだ少数派でしたが、今では多くの家庭が一般的になってきています。ただ、家事については、子育ても含め女性に負担がかかっているのが現実だと思います。
前述した本の中では、
仕事だって、いきなり仕事を始められるわけではない。準備・手配・フォローの積み重ねだ。名前のある家事、ばかりではない。
名前のない家事、この言葉を受け止めることで広がる視野がある。
退職して10年、実際に家事をすることでわかることが多々ありました。
今まで見えなかった、見ようとしなかった視野が広がったように思います。
すーさん様
私達も共働きでした。妻は医療関係の仕事をしていて3交代勤務でしたので
子供達の食事、弁当、掃除、洗濯等私がする時も多々ありました。
授業参観はほぼ私が行っていました。
>アレもコレも、それをするためには、他の家事、名前のない家事が必要になってくる
↑上記のような事は気づかぬうちに実際にやってしまっている、と云うのが実感です。
今では笑い話ですが、小学6年の授業参観に妻が初めて行った時に子供が友達から
「お母さんがいたんだね!」と言われたそうで、その友達は父子家庭だと思って
いたようです。
後輩さん
奥さんは医療関係のお仕事をされていたんですか。交代勤務などでたいへんなお仕事ですよね。
授業参観は私も時々行ってました。お互い休みの調整をしてできるだけ出るようにしていました。
現在もそうですが、改めて思い返してみると名前のない家事がたくさんありますね。
こうしたことを毎日こなしながら生活していることをお互い認め合うのが必要だと思います。
コメントありがとうございました。