小説「今度生まれたら」

70歳を迎えた主人公の想い・・・

耳にタコでも「自分から動く」こと!?

 

内館牧子著の「終わった人」「すぐ死ぬんだから」に続く三作目の終活小説「今度生まれたら」を読みました。

冒頭いきなり

無防備に眠りこけている夫の寝顔を見た時、私はつぶやいていた。
「今度生まれたら、この人とは結婚しない」

この強烈な一文章で小説の全体像が見えたように思いました。
そして、そのまま引きずられるように一気にページをめくっていました。

この冒頭の文章からおわかりのように主人公は女性であり主婦です。
同じ女性の立場から最初はカミサンが読み、その後私が読んで感想を出し合いました。
この小説は、”今度生まれたら、結婚する・しないウンヌン” というより、”人生の生き方” について読者と共に考え、投げかけている物語でした。

 

小説のあらすじについては省きますが、本の表紙に書かれている一文とあとがきを引用すれば、

人生を振り返ると、節目々々で下してきた選択は本当にこれでよかったのか。進学は、仕事は、結婚は。あの時、確かに別の道もあった。

あとがき
ある日、雑誌のインタビューを受けた。その後、掲載誌が送られて来て、私の談話が出ていた。

「この件に関し、脚本家の内館牧子さん(70)は・・・」
衝撃だった。(70)という数字にだ。
そうか、私は(70)なのだと思った。むろんそんなことはわかっていたのだが、それまでは全然気にならなかった。雑誌に(70)と印刷された数字を見た時、初めて、もう「お年を召した方」なんだと思った。

小説の主人公佐川夏江も70歳を迎えた年からこの物語が始まり、(70)が一つのキーワードになっていきます。
著者の内館牧子が経験した(70)という年齢を小説の主人公にだぶらせていたのでしょうか。自身が通過してきた(70)のリアル感が詰め込まれた小説でした。

 

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私はブログで「60歳からの現実(リアル)」をシリーズ化しています。すでに37話アップしました。
なぜ60歳にこだわったかというと、人生の節目としてはやはり大きな切り換えの年齢であり、それからの人生を見直していく時期なんだと思ったからです。

60代というのは、私個人の考えですが「まだ若い」「まだ何かやれそうだ」という想いは正直あります。
そして今年、私は高齢者の仲間入りの年です。
「まだまだいけそうだ」という気持ちは多分にありますが、70という数字を思い浮かべた時、「う~ん、70か!」と、やっぱり内館さんや佐川夏江(主人公)と同じような衝撃があるのではないかと思いました。

人生100年とはいっても、現実的に平均寿命は男性で82歳、女性で87歳ですから、70の声を聞いた時から「あと10年と・・・?」ということになります。
そういう意味では70という数字は、60と大きく違った重みがあると感じざるを得ません。

 

物語では、主人公佐川夏江が過去を振り返り、そして70の年齢を受け止め、これからの生き方を模索する様子が描かれていました。

今や高齢者人口は、総人口の3割近くに達する社会になりました。
こうした状況から「高齢者」に対する助言や老後の過ごし方について、その道の専門家や大学教授、その他新聞TVや書籍、週刊誌などのメディアが盛んに発信しています。

これら発信の中でよく見るキャッチコピーに、”セカンドステージ” ”セカンドライフ” というフレーズがあります。
ちょっと聞き飽きた?、言い古されたフレーズ? なのかもしれませんが、この小説ではあえてこの言葉に類する意味合いの会話が出てきていました。

主人公の佐川夏江が「人生百年をどう生きるか」という講演会に参加した時、その講演者のスピーチは、

具体的な生き方は、個人個人が自分の状況を考え、自分で決めることです。ですから、多くの方々は「年齢なんて関係ない」とか「何かを始めようと思った時が一番若い」とか、万人の背中を押せそうな言葉をよりすぐって、伝えるんです。
それによって飛び出すか否かは、個人の考え方であり、決断であり、行動であり、残り17年でも30年でも変わりはないでしょう。
その言葉や他者の体験を知り、個人がどう動くかです。動かない人は、人生150年でも動かないんです。

佐川夏江は、これらの話を聞いて「具体性がない」と反論する質問場面が何度かありました。
しかし、この小説の結末では、主人公が若い頃からの夢であった園芸の世界に入って充実した日々を送る様子が描かれています。

上記のスピーチに、万人の背中を押せそうな言葉として、
「年齢なんて関係ない」「何かを始めようと思った時が一番若い」と、言い古された文句に注目しました。
この言葉の意味をどう受け止めるか?、どう考え行動するか?は、個人の判断に委ねられるものですが・・・。

私はここで「またそんな言葉か」と引いてしまう人は、人生を常に受け身で生きてきた人なんだな~と思います。
物事を常に傍観者的な立場で考えることが当たり前になっている人によく見られます。
同時に理屈や打算だけで考える人はやっぱり動かないんですよね。

人間は死ぬ日まで、何が起きるかわからないんです。そりゃ、悪いことも起こりうる。でも、それを考えて絶望していることこそ、人生の無駄です。とにかく楽しんで生きるためには、自分から動く。何かを始める。年齢は関係ない。耳にタコでもこれなんです。

だから言い古されたクサイ文句であっても、常套句であっても、そして「耳にタコ」であってもいいんじゃないんですか。
「その言葉や他者の体験を知り、個人がどう動くか」が一番大事なことなんだと私も強く思います。

ブログ:「60歳からの現実(リアル)(31)」受け身の生活から脱却しよう!

 

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この ”受け身の人生” の捉え方として、別の例えでこんな一文もありました。

相手のパンチを受けないように避けていると、間違いなく自分にパンチは当たらないから、ダメージはない。だけど避けているということは、前に出ないことだから、自分のパンチも相手に当たらない。だから勝てない。

う~ん、ボクシングの例えで、なるほどな~と思う言葉ですよね。
とにかく自分から動く、何かを始めることから開けていくような気がします。それは60、70という年齢においても立ち止まらず前に進むという「気持ち」が大事なことなんだと教えられます。

理屈や打算を考えてパンチを繰り出しても当たるはずはありません。待ちの姿勢(受け身)では何も起きない、何も改善しないんです。

以前、義父の生き方についてブログでも記しましたが、今年101歳になる義父は今でも毎日のように短歌を詠んでいます。
60代から始めた油絵、水彩画、書道、そして80代になって短歌を嗜むようになり続けています。
その日常生活には、”昔話をする老人の姿” はありません。今、そして明日のことが話題になります。

 

今では夫婦共働きが普通になっています。
でも専業主婦として長年家庭を支えてきた女性も多くいると思います。家事をお金(給与)に換算すれば、それなりの金額になると思います。食事、洗濯、掃除をはじめ、子育てや介護なども含めれば、これで今日一日の仕事は終わりといったものではないでしょう。時間が許す限り延々と続く労働時間がそこにはあるのです。

物語の中で主人公のお母さんが娘の佐川夏江に大学進学への勧めを強く論する場面がありました。

「夏江、絶対に千葉大学受けなさい。アンタ、結婚のことばっかり考えているんでしょ」
「結婚するのは賛成だけど、夫と同じくらいの経済力をつけること」
「お母さんに経済力があれば、子供二人連れて出て行った。経済力がどれほど女を自由にするか、お母さんは身にしみてる」

母が姑にいじめ抜かれ、時には下女扱いされて生きてきたことは聞いていた。父が母親と嫁の間で苦労し、それでも最後は必ず、母親についたこともだ。

「お母さんは出ていけなかった。明日のゴハンに困るもの。実家に戻れば『出戻り』とか言われ、親を苦しめるしね。つい、オドオドと姑の顔色をうかがって、そうするとますます姑はいびってくるし」

例えば、「俺がお前たちを養っているんだ。そのために俺は稼いできているんだ」な~んて偉そうに言っているオヤジに聞かせたいものですね。
何もわかっていない、何も理解しようとしない夫、父親は少なからずまだまだいるのでしょう。

 

内館マジック? というものなのでしょうか。
女性の視点から社会や男性、更には女性自身をするどく観察するモノがあります。
今盛んに言われているジェンダー問題をあからさまに伝えるというより、私たちの日常生活の中にあるほんのちょっとした会話でリアルに指摘したり、内面の想いをストレートに表現している文章が実に的を得ています。
こうしたタッチの小説はユーモアも含めて、内館牧子独特の表現方法なんでしょう。

似たような小説家もいますね。それは垣谷美雨の小説です。
これもまた実にリアル感あふれる会話と表現で読者を引き込んでいくように思います。

内館牧子、垣谷美雨の書籍、シニア世代にはぜひ一読する価値はあると思います。何より面白いです!

 

この本のあとがきに内館さんはこのように記していました。

私と同年代かそれ以上の女性たちが、よく言う言葉に気づいた。
「今度生まれたら」
現在が不幸なのではない。その多くは子供も心配なく暮らしており、孫たちも元気だ。何よりも、今日まで共に暮らす夫は大切であり、情もある。
なのに、やり直しがきかない年齢を意識すると、遠い目をする。
「今度生まれたら」
と口をつく。むろん、
「また同じ人生がいい」
と笑顔で言い切る人も少なくない。

この小説の真意は、冒頭でお話したように、”今度生まれたら、結婚する・しないウンヌン” というものではありません。
70という「やり直しがきかない年齢」は確かにあると思いますが、内館さんは最後に、
「たとえ(70)を過ぎても、人生の一部分を、また生活の一部分を、やり直すことはできる」と記しています。

このことこそが一番言いたかったことだと思います。

 

しかし、世の男性の皆さん!

無防備に眠りこけている ”あなた” の寝顔を見た時、妻はつぶやいていた。
「今度生まれたら、この人とは結婚しない」

こんなことにならないように! 今からでも遅くはないと思いますよ(笑)

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