TVニュース番組 (4)

報道ステーション最終出演の古舘伊知郎さん

時には水を差す言動や行為の必要性

 

3/31日付けでTV朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎さんがお辞めになりました。
又、3月末には、TBS「NEWS23」の岸井成格さんも降板されました。
今年に入り、このお二人の降板については巷でいろいろな噂がたちました。
特に岸井さんについては、昨年9月安保法案(戦争法)成立の折にNEWS23の番組の中で「メディアとしても、(安保法案)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言をしました。

この発言の後、偶然にも「放送法遵守を求める視聴者の会」から読売新聞と産経新聞の全面広告で「私達は、違法な報道を見逃しません」というキャッチコピーで意見広告が掲載されました。
更に今年2月、読売新聞に「視聴者の目は、ごまかせない」というキャッチコピーで全面広告が出ました。

これらの広告は、昨年の安保法制に関わるメディアの報道(TV、新聞、ラジオなど)が全体的に偏ったものではないか(安保法制に反対、批判の報道時間など)ということで、「政治的に公平」などを定めた放送法第4条の遵守を要求する内容のものでした。
そうした状況の中で今年2月高市早苗総務相の「電波発言」が波紋を広げたことから、各新聞社などのメディアが、こうした意見広告と併せ政権による報道圧力ではないかという批判記事が相次ぎました。
尚、この「電波発言」に対しての世論調査では、報道の自由を「脅かす」「どちらかといえば脅かす」が67.4%に上がっています。(共同通信)

 

2016意見広告3

東京新聞

放送法の定める「政治的に公平」を4条だけで解釈するのは誤りだ。1条は放送の自律、表現の自由などの確保を定め、憲法も表現の自由を保障している。
※毎日新聞

ジャーナリズムには国民に伝えるべきを伝えるという役割がある。権力や特定の政治勢力から距離を置き、公平性を保って批判することは、時間配分とは全く次元が異なる
※東京新聞

報道を見てどう思うか、どう感じるかは、個人によってさまざまだと思います。
公共性の高い電波放送に政治的公平性が求められるのは当然だと思いますが、放送内容に対する権力の介入が許されるのかは、全く別の問題ではないでしょうか。
又、これらの報道は、放送法も含め憲法で保障された表現の自由において、やはり尊重されるべきものではないかと私は思います。

こうした状況の中、出演最終日の31日に古舘伊知郎さんがその真意を語ってくれました。
番組最後の約8分間の熱い語りを一言づつそのまま掲載します。(主な語り部分)

 

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3月31日報道ステーション、最終出演の古舘伊知郎氏。

2004年の4月5日この報道ステーションという番組がうぶ声をあげました。
それから12年という歳月がアッと言う間に流れました。
おかげをもちまして風邪などをひくこともなく、無遅刻無欠勤で12年やらせていただくことができました。
これもひとえに皆さまの支えがあったればこそだと本当に痛感しています。 ありがとうございました。
私は、毎日毎日12年間皆さまから送られてくる感想・電話・メールなどまとめたものをずーと読ませていただきました。
お褒めの言葉に喜び、そして、徹底的な罵倒に傷ついたことがありました。
でも、全部ひっくるめてありがたいな~と思っています。 というのも、フッとある時気づくんですね。
いろんなことを言ってくるけど、考えてみれば私もこの電波という公器を使っていろんなことをしゃべらせていただいているんですね。
絶対どこかで誰かが傷ついているんですね。それは因果が巡って自分もまた傷つけられている。当然だとだんだん素直に思えるようになりました。
こういうふうに言えるようになったのもやはり皆さん方に育てていただいたんだなと強く思っています。

そして、私がこんなに元気なのになんで辞めると決意したのかと簡単にお話しするとすれば、そもそも12年前にどんな報道番組をやりたかったのかということにつながるんです。
それは実は、言葉にすれば簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどせず言葉使いも普段着で普通の言葉でざっくばらんなニュース番組を作りたいと真剣に思ってきたんです。

ところが現実は皆さん、そんなに甘くありませんでした。例えばですね
「いわゆるこれが事実上の解散宣言とみられています」※(アナウンス調のしゃべりで)
いわゆるが付く、事実上を付けなくてはいけない、みられているというふうに言わなくてはいけない。これはね、どうしたって必要なことなんです。
テレビ局としても、放送する側としても誰かを傷つけちゃいけないということも含めて、二重三重の言葉の損害保険をかけなくてはいけないわけですね。

「裁判でも自白の任意性が焦点となっています」※(アナウンス調のしゃべりで)
任意性?普段あまりこういう言葉は使いませんよね。本当にそういうふうに語ったのか、あるいは強制されたのかでいいわけで本当は。
例えばですね、これから今夜の夕食だという時に「今夜の夕食は接待ですか、任意ですか」と言わないわけです。だけどそういったことをガチッと固めてニュースはやらなくてはいけない。

そういう中で正直に申しますと窮屈になってきました。
もうちょっと私は自分なりの言葉しゃべりで皆さんを楽しませたい、というようなわがままな欲求がつのってまいりました。
12年苦労してやらせていただいたささやかな自負もありましたので、テレビ朝日にお願いして引かせてくださいということを言いました。
これが真相であります。

ですから世間巷の一部で何らかの直接プレッシャー、圧力が私にあって、私が辞めさせられるとか辞めるとか、そういうことでは一切ございません。
ですからそういう意味では、私のこういうしゃべりや番組を支持してくださっている方にとっては、私が急に辞めるというのは裏切りにもつながります。
本当にお許しください。申し訳ありません。私のわがままです。

ただこの頃は、報道番組で開けっ広げに昔よりもいろんな発言ができなくなりつつあるような空気は私も感じています。
とてもいい言葉を聞きました。この番組のコメンテーターの政治学者の中島先生がこういうことを教えてくれました。
「空気を読むという人間には特性がある。昔のえらい人も言っていた。読むから一方向にどうしても読んで流されていってしまう。だからこそ反面で水を差すという言動や行為が必要だ」
私はそのとうりだと私は感銘しました。
ツルンツルンの言葉で固めた番組などちっとも面白くありません。
人間がやっているんです。人間は少なからず偏っています。だから情熱をもって番組を作れば多少は番組は偏るんです。
しかし、全体的にほどよいバランスに仕上げ直せばそこに腐心をしていけばいいのではないかと私は信念をもっています。

そういう意味では、12年間やらしていく中で私の中でも育ってきた報道ステーション魂というものを後任の方々にぜひ受け継いでいただいて、言うべきことは言う。多少激しい発言でも言っておけば。間違いは謝る。そのかわりその激しい発言というものは、実は後年経ってあれがキッカケになって議論になっていい方向に向いたじゃないか、そういう事柄もあるはずだと信じています。

考えてみればテレビの一人勝ちの時代がありました。
その素晴らしい時代、時流に乗ってキラ星のごとくあの久米宏さんが素晴らしいニュースステーションというニュースショーをまさに時流の一番槍を掲げて突っ走りました。
私はその後任を受け継ぎました。テレビの地上波もだんだん厳しくなってきました。競争相手が多くなりました。
そういう中でもしんがりを務めさせていただいたかな、というささやかな自負はもっております。

以上が古舘さんの最後の主な語りでした。

 

辞めるにあたっての外部からのプレッシャー、圧力については全面否定していました。
そういう圧力の有無は別として、「空気を読むから一方向にどうしても読んで流されてしまう雰囲気に対して、水を差すという言動が必要」という言葉が大変印象的でした。
まさに古舘さんの報道ステーションはそんな役割を果たしたのではないかと思います。

行き過ぎた方向性、誤った方向性、これっておかしいんじゃないか?という状況において、「ちょっと待ってよ」という言動は時には必要に思います。
そう思っていてもなかなか口に出して言えない状況や雰囲気のある中、はっきりと言うべきことは言う姿勢が、まさに今までの報道ステーションだったと私は思っています。

3月末の報道ステーションの中で、イチローと稲葉篤紀の対談がありました。
この中でイチローが、古舘さんの降板について「わさびのはいっていない寿司にならないですか」というコメントを思い出しました。
まさにそうした役割を持った番組でありキャスターだった思います。

最後に観終わった後、横で一緒に観ていた妻が大きな拍手をしていました。
時を同じくして3月31日に完全退職した妻とともに二人に対し、長い間本当にご苦労様でしたという気持ちでした。

 

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