「報道ステーション」古舘伊知郎氏の降板に思うこと
退職以降、テレビを観る機会が多くなりました。 又、図書館や書店などに行って新聞、雑誌書籍の立ち読みする時間も増えました。 働いていた頃は社会とのつながりを持つとはいっても家と職場の往復で、考えたりすることは主に仕事のことだけでした。 しかし、リタイア後は直接社会とのつながりは無くなりましたが、メディアを通して多くの報道に接する機会があり、同時に考えるさせられることも増えてきました。
テレビを観ていると、社会の動きや出来事に関するニュース番組が意外に多いことに気づきます。 一般的なニュースはもちろん、ワイドショー化した報道番組、評論家やコメンテイター、タレントさんを交えてのトークショー的な番組などがあります。 基本的にニュース番組ですから事実が正確に伝えられる点では、たとえ一部主観的な考えがあったとしてもいろいろな見方で新しい情報を得ることができます。
こうした数あるニュース番組の中でテレ朝の「報道ステーション」が好きでした。 メインキャスターの古舘伊知郎氏の報道のしかた、歯切れのよい分かりやすい解説、本質を突く問題提起など、見るたびに妻と二人で頷くことができる唯一の報道番組でした。 そんな報ステの古舘氏が、今月末(3/31日付)で降板されるようです。 私たちファンにとってはたいへん残念なことです。 12年という長い期間携わってきたわけで、いつかはお辞めになることにはなりますが、いざ降板ということを聞くとやはり残念でなりません。
わさびが入っていない寿司
先日、報道ステーションの番組の中で、イチローと稲葉篤紀の対談がありました。 この中でイチローが、古舘伊知郎氏の降板についてコメントされていました。
「古舘伊知郎がいなくなる報道ステーションはどうなるんですか?わさびが入ってない寿司にならないですか?」 「古舘さんの切込み方が、よくも悪くも気持ちよかったりするじゃないですか」
イチローがどういう意味で「わさび」に例えたかについて、詳しく語ることはありませんでしたが、なるほどなと私たち夫婦なりに解釈し頷くばかりでした。 一言でいえば、「物事の本質を突く」「歯に衣を着せない」「痒い所に手が届く」解説をズバリ指摘していることではないかと思います。 ほんとうはそう思っているけれどもそこまでは言えない。いい切っちゃっていいの? というぐらいハッキリ問題指摘するところに「わさび」という表現がピッタリなのではないかと思いました。
又、報ステの報道のしかたについて、もうひとつ特徴的な点があります。 それは、継続して問題を追及していることだと思います。 単にその時だけの報道に留まらず、以前の同様な報道やそれに類する関連記事を合わせ一歩も二歩も深く探っていく点です。 このことは、一般のニュース番組と異なり、古舘プロジェクトチームがこの番組を編集構成をしていることでできるのではないかと思います。
ニュース番組の解説に対して、視聴者の受け止め方は人それぞれだと思います。 聞き手においては、耳が痛いという報道もあるのではないでしょうか。又は、スポンサーや一部の組織などに不利益を与えかねない報道もあると思います。 そういうことから、あまり深く追及しないで問題を逸らしたり、話題を切り替えたりするニュース番組もあるように思えます。 例えば、政治経済問題によって庶民の暮らしに大きく影響したり、生活に打撃を与えるようなことが起きた時、又は想定されるような時に、その問題を深く追及しないで生活防衛策、節約術、資産運用術、健康維持方法に切り替わっていくニュース番組をよく目にします。 もちろん、こうした生活防衛の対策は大事なことで、ためになる対応策だと思います。 しかし、最初の政治経済問題はどこへいってしまったんでしょうか?という思いになります。
いずれにしても、私たち庶民の気持ちや考えをハッキリ代弁し、分かりやすく解説してくれる報道キャスターがいなくなることはたいへん残念であり寂しい限りです。
ここ最近の古舘氏の報道は、ある種の覚悟が見え隠れしているような気がします。 私たち視聴者に対しての最後のメッセージと今の社会に対して激しく警鐘を鳴らしているように思えてなりません。
「TVニュース番組」 つづく
次回は、報道ステーションの特集企画「憲法改正」について