小説「墓じまいラプソディ」(前編)

少子高齢化、核家族化の社会で・・・

お墓のあり方を考える一冊

 

年末になり垣谷美雨の新刊が発行されました。
過去にも何度かこの著者の小説についてブログで紹介してきました。私たちを取り巻く現代社会の中で様々な社会問題を題材にしたメッセージ性のあるストーリーに教えられ、考えさせられるものでした。

ブログ:小説「あきらめません」

ブログ:小説「姑の遺品整理は、迷惑です」

 

今回の小説はタイトルにあるように ”墓じまい” についての物語ですが、それに関連して私たちの日常生活の中にある話題も取り入れて「なるほどな~」と思わず相槌を打ってしまいました。
このブログでは物語の詳細は省きます。いくつかのキーワードや小説の中の一文を引用してその感想を綴ってみたいと思います。
又、シニア世代の私たちが、今まで体験してきた身近な問題や事柄に触れる話題豊富な小説であることから、読者の皆さんと一緒に考えていきたいと思い前編・後編の2部編成にしました。

この小説の物語は大きく言って ”墓じまい=お寺と親族との関わり” と ”選択的夫婦別姓=結婚と墓守” の2つの流れが交差しながら進んでいきます。

前者の ”墓じまい” に関連して物語の中に何度も出てくる文言として、檀家、お布施、法事、永大供養、改葬、合祀墓、家族葬、樹木葬、散骨、直葬、墓守、本家・分家・・・。
これらの言葉だけで皆さんも今までお寺やお墓に関わってきたことが想像できると思います。

 

私は退職後10年の間に義母、義父、そして母の3人の介護と葬儀に関わってきました。
この歳になれば誰もが何らかのかたちで経験するものと思います。
私の場合、義父母は無宗教だったことから一般的な葬儀は行わず直葬で芝生に(樹木葬)に眠っています。
一方、母の場合は近くのお寺の檀家だったことから、母の遺言に従い親戚も含めお寺で葬儀を執り行い〇〇家の墓に埋葬しました。
この二つの埋葬を体験し、自分たちはどうするんだ、どうしたいのかと ”葬儀とお墓のあり方” について考えさせられました。

母の葬儀の時は私が喪主を務めました。
私は進学のため18歳で故郷を後にして東京で就職。そして、埼玉で所帯を持ったことから故郷の葬儀文化・習慣?には疎いものがありました。
例えば、葬儀参列での香典をいくら包むかは大よそわかるものの、当事者となっての法事となるとお寺の宗派やその地方独特の慣習なるものがあります。
それは各法事の流れや実際の葬儀でのお布施、御膳料、引物料、その他・・・、初めて知ることばかりでした。
そのようなことを心配?されたのか住職の方から四十九日、初盆、一周忌などの法事に関して「わからないことがあれば何でも訊いてください」とおっしゃっていました。

 

そんな体験があったこともあり法事やお寺、お墓に関連する小説「墓じまい」のタイトルに関心を抱きながら読み進めました。

 

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物語の冒頭、主人公の松尾五月の義母が亡くなり、四十九日の法事のことについて田舎に住む義姉(光代)からの電話で始まりました。

あのね、香典は最低でも三万円は包んできてちょうだいね。そうじゃないと親戚の手前、父と私が恥をかくことになりますからね。それと香典袋は「御霊前」の方だからね。「御佛前」は四十九日を過ぎてからの袋だから絶対間違えないでよ。

こんなやりとりの会話から始まる小説は垣谷美雨独特のものです。
私も少なからず直近でこうした場面を経験してきたことから、この物語に一気にのめり込む感じでした。

その後、四十九日を前にして義兄、義姉、次男の主人(五月の夫)の兄弟3人の打合せの席で、義姉から突然の話によってこの物語の本題が展開されていきます。

死ぬ三ケ月くらい前から言い続けてきたのよ。死の床でも私の手を握ってね。両手でギュッとだよ。最後の力を振り絞ったんだよ。掠れた声で「絶対にお父さんと同じ墓に入れないって約束してちょうだい」って。

そのとき光代は何て答えたんだよ。(長男)

お母さんを安心させるために、「わかった。絶対に樹木葬にしてあげるから安心して」って言ったわよ。

この会話から物語の核心部が想像できると思います。

 

6年前、義母の樹木葬の場所を探していた頃、担当の係員にある霊園に案内されたことがあります。
そこは個人、合祀墓、ペットと一緒の樹木葬などいろいろな区画がありました。その樹木葬の中にもう一つ「女性専用エリア」がありました。

係員の話では、
「お嫁さんは嫁いだ家のお墓に入ることが当たり前の考え方でしたが、最近は嫁ぎ先の様々な事情や人間関係(夫、舅、姑、親戚)などで同じお墓に入りたくないという方が増えています」

この話を聞いた時は驚きましたが、今の時代こうした考え方はあると思いました。

 

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女性専用エリアの樹木葬

 

このような状況やそれに関連する小説は他にもたくさんあります。
同じ著者垣谷美雨の「夫の墓には入りません」「もう別れてもいいですか」、内館牧子の「今度生まれたら」などあります。
そこには今回の小説と同じように ”なぜそうなったのか?” という理由が綴られていました。
それは一言で言って「夫原病」なのでしょう。又、個人によってはそこに舅、姑との関係、更に義兄弟や親戚も関わってくる場合もあり様々な原因があると思います。

 

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又、こうした実情も含めて少子高齢化や核家族社会が進むにつれ ”墓守がいない” という問題を取り上げています。更にお寺の存続についても考えさせられるものがありました。

物語に出てくる親戚関係の登場人物の解説は省きますが、いろいろな会話から想像できるものがあると思います。

言っとくけどね、うちの夫は次男だから分家なの。だからこの家も先祖代々のお墓も私たち夫婦はもらえない。はっきり言って私らには関係ないの。だって継いだのは長男である悟くんのお父さんなんだもん。

このような事情や思いは私たちの周りに数多くあるのではないでしょうか。
代々の家は長男が継ぎ、その他兄弟は分家というかたちをとります。そこに少子高齢化や核家族化が進めば、代々の家を継ぐ者や墓守がいなくなるのもうなずけます。

そのように考えてみるとお墓は、一代限りや樹木葬、合祀墓、更に永大供養塔、都会ビルの納骨堂など様々に変化してきています。
どのようなお墓がいいのかは人それぞれの思いや考えがあるので何とも言えません。
ただ、時代の変化と共に「墓じまい」が増えてきている点は否めません。

 

昨年、私の親戚で65歳の若さで亡くなった方がいました。
長年ガンを患い自分の死期を悟っていたことから死後の準備をされていました。
その方は、生前から「自分が死んだら散骨にしてください」と話していたそうで、散骨業者との打ち合わせやその料金の支払いを済ませ、又、どこに散骨するかを指定していました。その他、自分の身の回りの整理、保険関連の資料整理などされていました。
その家族は無宗教だったことから一般的な葬儀は行わず親族だけのお別れの会を開きました。
その後、家族だけで散骨(生まれ育った近くの海)されたと聞きました。

このようなかたちもあるんですね。

私たちのような世代になると親の葬儀を通してお墓というものをより現実的に考えるようになります。
そして、今度は自分たちは?と思うようになるのではないでしょうか。
葬儀のあり方、お墓のあり方、親戚との付き合いやつながりについて改めて一考する小説でした。

次回、小説「墓じまいラプソディ(後編)」は、選択的夫婦別姓について考えていきたいと思います。

2 thoughts on “小説「墓じまいラプソディ」(前編)

  1. 今晩は すーさん
    墓じまい、家じまいの話しは 私らの年代でしたらよく話題になります。
    一番多いパターンは仕事の関係で実家と離れた地で生活し 親はそのまま実家のある場所で生活
    しているか 両親は亡くなって実家だけが残っている事が多いですね。私は自分経験から家じま
    いはしかるべき手続きが必要なため時間と費用が掛かりますが 墓じまいに関しては今のところ
    法的な制約がほとんどないため思い立ったら直ぐにするべきだと言っております。
    ただ 個人的には墓は先祖のしるしであり 日本の習慣や風習が薄れつつあるような気がしま
    す。やはり先祖が居たから自分が生まれ今の生活がありそれを次の世代に引き継がせる事も大切
    だと思います。核家族化が進み衣食住が日本の文化までも欧米化しつつあることに寂しさを感じ
    ます。

    12月9日の鯛焼きの話で
    トリビュアな話になりますが
    鯛焼きに養殖物と天然物があるのはご存知でしょうか。
    養殖物は2匹以上を1つの型で焼いた鯛焼き
    天然物は1匹を1つの型で手焼きした鯛焼きですね。
    最近では養殖物ばかりで天然物があれば子供の時に食べた味がよみるような気がします。

    1. 山鯨笹蟹さん

      あけましておめでとうございます。

      >先祖がいたから自分も生まれ今の生活がありそれを次の世代に引き継がせる事も大切

      おっしゃるとおりですね。お墓の維持管理だけを考えてしまうと、改葬や墓じまいなどの処置にいきついてしまいます。しかし、先祖がいたからこそ今の自分や家族があると思えば、自分たちもその点を熟考し納得のいく対応が大切だと感じます。
      そういう意味で私たちの世代は、しっかり考えなければいけない局面にあるのではないと思います。

      >鯛焼きに養殖物と天然物がある

      はじめて知りました。なるほどそういう言い方があるんですね。
      ブログで紹介した「浪花屋総本家」と「わかば」は、確か天然物でした。やっぱり天然物の方が人気があるんですね。お客さんもその美味しさをちゃんとわかっているのでしょう。

      また今年もよろしくお願いいたします。
      コメントありがとうございました。

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