演劇「キネマの神様」

劇団「青年劇場」

あの懐かしい名画座が舞台

 

原作は作家の原田マハさんの小説を舞台化したものでした。

「キネマの神様」?
そういえば、山田洋次監督映画の「キネマの神様」が今年8月に封切される予定と聞いていますが・・・。
原作は同じ原田マハさんの小説で、劇団「青年劇場」が全国興行をしている中、映画では松竹映画100周年記念作品として上映されるようです。

 

コロナ禍で昨年から延期され続けてきた演劇鑑賞会が今年の4月から再開されました。
4月は東京ヴォードヴィルショーの「終われない男たち」、5月は文学座の「しあわせの雨傘」(主演:賀来千香子)と連続して観ました。

 

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そして今回6月上演は、青年劇場の「キネマの神様」でした。

あらすじ

主人公のゴウは79歳。ギャンブル依存症で多額の借金をつくり家族に迷惑をかけている毎日が続く。
しかし、ただのダメな親父ではない。ギャンブルと同じくらい映画が好きで、観た映画をすべて感想ノートにつづる几帳面さも持ち合わせている。

そのゴウがある時、映画雑誌のHPに映画評論を投稿したことがキッカケで多くの映画ファンの目に留まり反響を呼び、映画雑誌会社から専属の評論依頼を受ける。このことで更に話題を呼んでアメリカの映画ファンにも注目されるようになり、世界的なカリスマブロガーとの評論のやりとり(メール)に広がっていく・・・。

この演劇の舞台背景は名画座「テアトル銀幕」という映画館でした

今回の舞台では、原作と同じように映画評論のメールのやりとりが盛んに出てきます。パソコンからメールを発信し、その後返信がくる場面があります。
この時の演出は、舞台中央に設けられた大型スクリーンにそのメール内容の文字が映し出されました。
時代が変わればこのように舞台演出も変化してくるんですね。

 

名画座

主に旧作映画を主体に上映する映画館のことです。興行形態は2~3本立てで上映され、入場料は1000円ほどの安さです。
しかし、今ではシネマコンプレックス(同一施設に複数のスクリーンがある映画館)など新作を上映する映画館が主流になったため衰退の一途をたどっている感があります。
又、旧作などはDVDで観られるので、あえて映画館に足を運んで観に行くことは少なくなってきています。

私も旧作を観る時は、ツタヤでDVDを借りることがほとんどで名画座に行くことはありません。
一方、映画ファンにとっては大きなスクリーンでじっくり観ることができ、本来の映画の醍醐味を味わうことができることから少なからず支持されていると思います。

20年前になりますが、職場の近くに「池袋文芸坐」という映画館があって、何度か観にいったことがありました。
この頃も確か3本立てでした。邦画・洋画問わずいろいろな企画で放映されていました。

今でも鮮明に覚えている映画があります。
それは、カミサンと二人で観に行った中国映画「初恋のきた道」「あの子を探して」(チャン・イーモー監督)、「山の郵便配達」(フォ・ジェンチイ監督)の3本立てでした。
中国映画でもこんな感動的な素晴らしい映画があるんだ!と驚きました。上映が終わってからしばらくの間席を立つことさえできなかった思い出深い映画でした。

一般的なロードショーの映画館では上映されない映画だと思います。いい作品をテーマを決めて上映する映画館がまさに名画座と呼ばれるんだな~と思いました。
今でも当時の場所に「新文芸坐」としてあります。

この「池袋文芸坐」について、文庫本「キネマの神様」の解説で片桐はいりさんがこんなことを記していました。

原田マハさんご自身もまた、学生時代にもぎり嬢をしておられたことが書かれてありました。丸山郷直氏(小説の主人公)まるまるそのままのお父上から、「お前にぴったりのバイトをみつけてやったぞ」と大いばりですすめられ、出向いた先がご実家そばの池袋文芸坐。
私も文芸坐は学生のころもっともよく通った名画座のひとつでした。
「キネマの神様」の解説片桐はいり

 

つい先日、DVDの「男はつらいよ」シリーズを数本まとめて観ました。
改めて観てみると、「やっぱりいいよな~」と思いました。昭和の雰囲気ただよう物語とその背景にはなぜか癒されるものがあります。
でもやっぱりDVDで観る映画は、何か物足りなさがあります。
昔、映画館で観た頃、上映終了後に観客から拍手があったことを記憶しています。今の映画館ではそんなことはないと思いますが、あまりの感動に映画と観客とが一体となった瞬間だったのではないでしょうか。

 

 

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原田マハ著「キネマの神様」(文藝春秋)文庫本680円(税別)

 

作者の原田は、「本作は限りなく私小説に近いというか、物語の3割ほどは実体験に基づいたものである。残りの7割はファンタジー風になっているが、自分の人生がこんな感じになればいいなという願望を込めた部分もある」からこそ「父の人生にこんな温かな奇蹟みたいなものが起きてほしい」と思って小説を書いたと語っている。
ウィキペディアより

原作者原田マハが実際の体験をヒントに書かれた作品だったんですね。

 

「キネマの神様」の「神様」は、”映画をこよなく愛する人たちの想い” だと思います。
映画を制作するすべての人たち、役者、そして観客の ”映画への想い” なんだな~と。
とすれば、誰が神様というのではなく、「〇〇の神様」というのは、何かをこよなく愛する人たちの心の中にあるものなんだと思います。
例えば、登山が好きな人にとっては「山の神様」、釣りやマリンスポーツ好きにとっては「海の神様」が心の中に存在するものなのかもしれません。

映画の思い出というのはどんな映画でもそうなんですが、映画館で観た映画とDVDで観た映画とは大きな違いがあります。
その映画の感動の思い出はやっぱり映画館で観た時のものなんです。同じ映像なのにこれがクッキリ記憶している映画は、その時の映画館の雰囲気も含めてしっかり残っているんです。不思議なことですね。

今から46年前、私が学生だった頃、三鷹の場末にある映画館で観た映画があります。
それは松本清張原作の「砂の器」でした。
当時の映画館は、まず小さな窓口でチケットを購入してから入口で半券をもぎってもらうしくみでした。
待合室のフロアにはシューケースの売店があって、チョコレート、キャラメル、スナック類、ラムネ、コーラなど販売されていました。壁には所狭しに映画ポスターが張られていました。
お客さんは私を含め4人でした。広い客席にたった4人でしたからちょっと寒々とした感じでした。

なぜこの映画館と映画のことを今でもしっかり覚えているのか?
実は上映された「砂の器」そのものにその理由があります。
物語の中で刑事が殺された被害者の足取り捜査のために、被害者が立ち寄った映画館の映画に何か手がかりがあるのではないかと丹念にその同じ映画を観る場面がありました。
その映画館がなぜか今自分が観ている映画館に重なったことからです。映画を観終わって館内をぐるりと見渡してみるとやっぱり似ているよな~と思ったことから、今でも印象深い映画のひとつとして心の中に残っています。

そんな思い出からか、私が今まで観た邦画の中でもこの「砂の器」は5指に入るほど素晴らしい映画でした。
その後、TVやDVDで何度かこの映画を観ましたが、やっぱりあの時三鷹の映画館で観た「砂の器」が今でも忘れられません。
今思えば、その時「キネマの神様」が微笑んでいたのではないかと思います(笑)

今年8月に上映される映画「キネマの神様」も観てみようと思ってます。
山田洋次監督ですから間違いなく面白く感動の映画に仕上がっていると思います。

演劇の上演時間は2時間40分、途中休憩を含めれば約3時間の舞台でした。
観終わった後、時計を見ると「ああ~こんなに長かったんだ~」と思いました。舞台に引き込まれるように観たことでちょっとした疲労感がありました。演技者と観客の緊張した時間だったように思います。

コロナ禍でこうした文化芸術に関わる運営が厳しくなっていますが、実際に会場に足を運ぶことが支援につながると思います。
同時に大きなスクリーンや生の声を聞きながら観るほうがやっぱり臨場感があっていいですね。

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