年賀状の断捨離?
人と人を結びつける特別なもの
いよいよ年も押し迫り師走の時期になりました。
働いている頃は仕事が小売業だったということもあり、一年の内で一番忙しい時期を迎えていました。
そんなことから年賀状はいつもプリントパックに頼んで機械的に出していました。
それほど親しくお付き合いがなかった方でも会社という組織の中での習慣として、又、礼儀だと考えて欠かさず出し続けていたのではないかと思います。
60代の方のあるブログに年賀状についてこのようなお話がありました。
定年退職して5年以上を経て、会社関連で知り合った方の中でも、それほど親しい付き合いでなかった方は、こちらが出して暫くして返信がくるという状況が増えてきました。
こうした方は、私に対する年賀状は、私が出すから返信してこられているように思います。
ある意味で、”出していることが相手の迷惑” になっていることも考えられます。
私も退職して4年経ちました。
この間、年賀状を出す時期になると、この方のおっしゃるような思いがよく分かるようになりました。
「暫くして返信がくる」ということは、無理して返信されているのだろうか? と。
そんな思いもあってか、そうした方に出すのを止めました。案の定その方からの年賀状はきませんでした。
退職後、会社関連の年賀状は大幅に減りました。
しかし、特に親しくしていた方やお世話になった方、まだ付き合いを続けている方だけ年賀状のやりとりをしています。
又、ほとんど会う機会がなくなった学生時代の友人や田舎の幼馴染でも、アイツだけはとその顔を思い出しながら年賀状を出しています。
こうして年賀状を出す人を絞り込み、断捨離すべき年齢になってきていると思います。
退職された方の中で、多分同じような想いやそれに近い気持ちを持つ人は少なからずいらっしゃるのではないかと思います。
働いていた頃は前述したように文例やデザインを選んで印刷してもらっていました。
又、宛名は「筆まめ住所録」ソフトを使っていたので全て印刷で手書きなしの年賀状でした。
それだけ忙しかったのか?というよりも面倒くさくて字を書くのが苦手で下手だったからだと思います。
いま思えば気持がこもったものではなかったと思います。
退職後は、今でも宛名は「筆まめ住所録」に頼っていますが、時間のあるオヤジですから裏面の文面だけはちょっとこだわって作成すようにしてきました。
それは、退職後(4年前)に「写真編集・アルバム印刷」ソフトを購入して、自由に文章が作成でき写真添付できる年賀状でした。
ここ最近ではパソコンやデジカメの普及により特に珍しいものではありませんが、暇に任せて楽しみながら作業しています。
相手にどう気持ちが伝わるか胸を膨らませながら作っていますが、実際こうしたことは全く自己満足の世界なのかもしれませんね(笑)
昨年と今年の年賀状
先ほどの60代の方のブログには、続けてこのようなことが書かれていました。
年賀状をやり取りできることは、自筆の文章が添えられていなくても、元気であることの証であり、やはり気になる方には出し続けるべきだと思います。
年賀状は、単なる新年に送るハガキに過ぎませんが、実際は単なるハガキではなく、やはり人と人を結びつける特別なものだと改めて感じます。
先ほど断捨離という言葉を使いました。
ここではモノを減らしていくという意味も含まれますが、主に ”気持ちの整理” という意味で使いました。
断捨離が目的化してしまって年賀状の数を減らすことになってはあまりにも寂しいものがあるように思います。
数は減っても大事にしていきたい想いは残しておきたいものです。
そこに ”人と人とを結びつける特別なもの” があるように思えます。
以前のブログで、疎遠になっていた会社時代の方から突然ハガキが来てお会いする機会があったことをアップしました。
※2017年12月2日ブログ
その方とは数年間年賀状のやり取りだけでしたが、この年賀状のつながりがお互い退職後の再会を結びつけるものになりました。
それ以来、ラインでお互いの登山やトレッキング情報を交換するようになっています。
岸本裕紀子さん著の「定年女子」の一文に、
「定年女子」の取材を終えた結論からいうと、断捨離とは逆の方向で、それぞれが生活を広げている感じがした。行動半径、友人のネットワーク、そして趣味の対象など・・・。
反断捨離の方向というか、生活を見直し、無駄を切り捨て、人生を小さく畳んでいくというよりは、70代前半ごろまでは、好奇心も行動半径も広がっていくように感じるのだ。
今まで儀礼的でなんとなく出していた年賀状の整理はそれなりに必要だと思います。
それは、”お互いの断捨離” という意味で必要なことではないかと思います。
しかし、一方では大事にしていきたい繋がりもあるのではないでしょうか。
実際にこれから会う機会がない人もいるかもしれませんが、”気持ちの上での繋がり” は大切にしていきたいものです。
男女問わず退職したからといって人生を小さく畳んでいくというよりも、まだまだ好奇心も行動半径も広げていきたいと思うからです。
この時期、そんなことを思いながら今年きた年賀状を一枚一枚手に取ります。
さて、来年の年賀状は・・・。
お久しぶりです。Roseです。
年賀状には私なりのこだわりがあり、投稿させていただきました。
「あけましておめでとうございます」なので、私は毎年、1月1日に一枚一枚、
毛筆で近況報告など書くことを楽しみにしています。
でも…来年から8日過ぎての年賀状ですと料金10円(?)ですか、払わないといけないとか
聞きました。
長年の習慣で今年のうちに「あけましておめでとうございます」はどうも・・・でも、1月1日
に着かないと義理でのやり取りと思われている方がいらっしゃるのですね。
私も気を付けないといけないですね。
喪中の人には、季節のあいさつとして、年末に控えめなカードを出すようにしています。
今はお義理で出す人はいなくなりました。
年々、その数が少なくなってきていることがちょっと寂しいです。
文字を書く作業はやはり大切なことと思い、これからも続けていきたいと思っています。
Roseさん
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
Roseさんのように1月1日に書かれている方がいるんですね。
確かに元旦になって「明けましておめでとうございます」と書く方が自然なことですよね。
自分の手でペンを取って書く習慣がなくなったこともあり、元旦に届くように準備して年末に投函することが当たり前のように思っていましたが、言われてみれば最もなことだと思いました。
目から鱗でした。
遅れて年賀状が届くことが義理で出されているのでは?と思うのは私をはじめ一部の人だけかもしれません。
あまりお気になさらないでください。
一言一言の文字を自筆で書くことは、受け取る側としてその方の思いが伝わってくるような気がします。
これからもぜひ続けてもらいたいと思います。
すーさん、コメントありがとうございました。
確かに元旦に届くために年末に出すようにとインプットされていますね。
100枚近く書いていましたが、今は半分以下になっています。
11月に届く「喪中」のお知らせも多くなりました。
もう一つのこだわりは、喪中の人たちが年賀状が来ないで寂しいと聞きましたので
年末に地味なカードでお悔やみと、近況報告などをするようにしています。
日本に戻ってから少し時間が出来ましたので、下手ですが、季節の植物、猫や犬、小鳥、野菜の
絵を描いたカードを自分なりに作るようにしています。
来年のチャレンジは「いわさきちひろさん」のような子供の絵が描けたらいいな~と思っていま
す。
我が家の8キロのオス猫の顔もなかなか味のある顔ですので(いつも困ったような顔の茶白君で
す・笑)良いモデルになってくれそうです。
身近にたくさん良いものがありますね。
Roseさん
絵を描いたカードを作られるんですか!すごいですね。
心のこもった温かい年賀状で素晴らしいと思います。
私も絵を描けたらな~と思います(笑)
確かに「喪中」のハガキが多くなりますね。
私たちの親の年代(義父母含み)が80代後半~90代にかけてですから。
年末や年が明けてからの寒中見舞いなど出していきたいです。