60代はまだまだ空腹?
三ヶ月ほど前になりますが、会社時代の頃の友人Aさんから突然ハガキが届きました。
Aさんとは20年前会社の新規事業プロジェクトチームの一員として一緒に働いたメンバーの一人でした。
プロジェクトが解散してからお互い異なる部署に異動になりましたが、年賀状だけはやりとりしていた方でした。
会社が小売業(全国に販売店がある)だったということもあり、お互い会う機会もほとんどなくなり年賀状だけの繋がりになっていました。
ハガキが届いてすぐに電話で連絡しました。
Aさんの話では、昨年継続雇用(5年間)を終えてからは、現在近くの小売店で週4日ほど働いているようです。
最近山歩きを始めそうで、山の話をしたいということで久しぶりに会うことになりました。
そして先日、会社時代の山仲間たちとの恒例の懇親会があり、今年最後の忘年登山の話題で酒を酌み交わしました。
登山仲間のメンバーの9割は60代でほとんどが継続雇用や完全リタイア組みです。
そんなオジサン達が集まれば山以外の話では、仕事やこれからの自分のこと、家庭のこと、親の介護のことなどに話題が集約されます。
先ほどのAさんとの話題もほとんど同じような感じでした。
「友人から頼まれて小売りの仕事を週末3日間だけ働こうと思っている」(66歳完全退職者Bさん)
「会社人生で今が一番充実していて仕事が面白いよ」(継続雇用2年目Cさん)
「とりあえずゆっくり休み、退職後のことはそれから考える」(継続雇用4年目Dさん)
「今は親の介護とカミサンの手術(肩)リハビリがあるため週3日勤務しているよ」(継続雇用4年目Eさん)
「会社辞めて息子がやっている農業を手伝っているよ」(継続雇用3年目で退社し転職したFさん)
今まで同じ会社で共に仕事をしてきた仲間たちは60歳を境にしていろいろな人生を歩み始めました。
お互い登山という共通した趣味を持っていますがそれぞれの生き方は別々です。
こんなAさんとの再会や懇親会で感じたことは、以前ブログでも紹介した小説「終わった人」(内館牧子著)でした。
”こうして考えてみると60代というのは、仕事から離れ完全リタイアする人、働き続ける人など、人それぞれ今までとかたちを変えて次のステージに向かう世代” なんだと。
退職後すぐにやること、やりたいことがなくても ”何かをやろう” というエネルギーは共通してあるように思いました。
「終わった人」の小説の一文に、
60代は空腹なのだ。失ったものを取り戻し、腹に入れたい。まさに俺がそうではないか。
これが「後期高齢者」とされる年代になれば、空腹は感じなくなるかもしれない・・・。
だが、60代は空腹が許されない。まだまだなのだ。まだまだ終わっていないのだ。
そうなんですね。60代は空腹が許されないんですよ(笑)
まだやることがある、やりたいことがある、今までやり残したことを取り戻すように・・・。
定年後は逆算型生き方?
私たちは物心つく頃からいろいろな場面で比較する、比較される人生を歩んできました。
このことは自分が望まなくても知らない所で比較されていたこともあるでしょうし、自ら相手や同僚たちと比較して自分自身のポジションを確認したりしてきました。
学生の頃はテストの点数、偏差値、社会人になれば営業成績、昇給や昇進状況、家庭内では子どもの成績、住宅ローン、所得状況など大なり小なりあらゆる場面で ”意識・無意識の内にしてきた行為” だったのではないでしょうか。
若いうちは、社会に適応するために新しい技能を身につけ、家族を養うことを第一義にして、人生で得るものを ”積み重ね” していく。そこでは、いくら稼ぐことができるか、自分の能力やスキルをどのくらい高めることができるかがポイントだ。
他人との比較や自分が他人からどう見られるかが中心になる。
また、将来の目標のために本当にやりたいことや欲しいものを我慢して頑張っている人も少なくない。
”積み立て型の時期” だと言えるだろう。
楠木新著「定年後」(中央新書)
働いている頃は、こうした ”他人との比較” や ”他人からどう見られるか” ということは少なからずあったと思います。
比較するされることで切磋琢磨し、自分自身を成長させる原動力につながってきたのではないでしょうか。
そして50代になる頃からその先が見え始め、50代後半ともなればこれからの生き方、過ごし方について考えるようになっていきます。
そして60歳になった時、更にその先を考え始め、日本人の平均寿命は長くなったといっても自分の死ということも意識するようになってくるのではないでしょうか。
今年の夏、高校の同窓会がありました。
還暦を迎えた節目ということで十数年振りの同窓会でしたが、ちょうど山仲間たちとの登山スケジュールがすでに決まっていたため出席することができませんでした。
後日、出席した同級生からの報告の中に物故者の名前がありました。
この歳になれば、いつ誰に何が起こっても不思議ではない年代になったと改めて思いました。
自分が死ぬことを意識し始めて、そこから逆算して考える方向に徐々に移行する。
もっとも一度に転換することはできないので、積み立て型と逆算型の生き方との矛盾を抱える時期が続く・・・。
還暦を過ぎれば、死の側から物事を見る ”逆算型の生き方” に転換しつつある。
同著
振り返れば60歳を過ぎた頃から、”あと何年健康な身体で動き回れるのだろうか” と考える時間が増えたと思います。
そんなことを考えたりすること自体ネガティブなことのように受け止められますが。
しかし、そのことを考えて行動することと行動しないことでは大きな差があるように思えます。
なぜなら、あの時こうしておけば良かった、ああしておけば良かったという後悔はしたくないからです。
そしてそのことができる年月は、誰しもほぼ共通して限られているからだと思うからです。
私たちは一般的に寿命という年齢で残りの人生を考えますが、自分の力で動くことができる時間はそれよりももっともっと短いのではないでしょうか。
自分の両親や義父母をみてもそう思えます。
であるなら、”他人との比較” や ”他人からどう見られるか” ということよりも、これからは ”自分らしい生き方” ”やりたかったこと” ”今まで犠牲にしてきたこと” に残りの大切な時間を使っていくことこそ大事なことではないかと思います。
「あと何年?」 誰でも逆算型で考えたくはありませんよね。
でも、考えて何らかの行動を起こせば、少なくても自分らしい生き方、過ごし方が出来るのではないでしょうか。
余談ですが、
先日、還暦を迎えた友人がいました。
還暦のちゃんちゃんこや赤のTシャツをプレゼントされる話題で盛り上がりました。
後日、あるTV番組で還暦を迎えた方の話がありました。
その方は、奥さんに花束を贈ったそうです。
自分が還暦を迎えて家族からお祝いしてもらうことの逆の行為として奥さんに花束を贈った話でした。
何か考えさせられる話でした。
今まで支えてくれた妻への感謝の気持ちを伝える機会としてお祝いする側の立場に立ったんですね。
こうした気持ちと行動もこれからの生き方のひとつのヒントになるのかな?と。
すーさん
こんばんは
定年後の逆算型生き方で 分かってくる事もありました。
現在の年齢より 平均的な健康活動期間と余命を計算し 自分がいつまでに何をして、何を残す
か
身体的に自立が不可能になったとき後の余命をどう過ごすかを考えるには 還暦がいい機会でし
た。
人それぞれ環境や考え方が違いますが、みんな同じなのは 残りの大切な時間を使っていくこと
こそ大事な事と思います。私も妻と これから先どうするかを話し合い少しずつ実行していると
ころです。妻あっての私 私あっての妻ですから 両輪あるからこそ前に進めるでしょう。でも
妻への感謝は常に思っております。
山鯨笹蟹さん
コメントありがとうございます。
>自分がいつまでに何をして、何を残すか・・・余命をどう過ごすか考える
>みんな同じなのは 残りの大切な時間を使っていくことこそ大事
私も同感です。
まだ先のことだろうと思ってみても現実は意外と短いものではないかと思います。
これからのことを考えるひとつの節目として還暦があるように思います。
逆算型で数えれば、あと何年・・・ということになり、あまりそういうことを考えたくないですが、意識をして何かをすることとしないことでは大きな違いが出てくるように思います。
残りの大切な時間を有意義に使っていきたいですね。