義父の生き方から学ぶもの

94歳で個人本の出版

60歳から30年間の趣味を作品集に!

作品集表紙

「定年退職後、10個の趣味を持て」という言葉を聞きます。仕事から解放され、これからの人生たいへん長い時間が待っています。この時間を有効に使い、充実した生活を送るために趣味を持つことは、もっとも良い手段だと思います。ただ、ほんとうに好きでなければ長続きしないものなんですよね。

私の義父は、自営業(小さな食堂)でしたので77歳まで働いていました。食堂といっても近所のお客さんを相手に細々と営んできました。                 義父は、戦時中、ソ連と満州の国境警備に当たり、シベリアで四年の捕虜生活を送り、過酷な戦中戦後の日々を生き抜いてきた人でした。

そんな義父は、60歳から油絵を趣味に持ち、近所の風景画や人物像などを描き、70歳からは、書を習いはじめました。通信教育で学び、最後は教授の免許まで取得するほどの腕前になりました。又、77歳の時には地元の百貨店で喜寿展と題して個展を開催しました。趣味も高じての自費開催でした。そして、80歳になってからは短歌を学び、現在も現役として会報や短歌の会に参加しています。

昨年の4月、TV番組の「ぶらり途中下車の旅」を見ていた時、旅人役の舞の海が、神田書店街を訪れる場面がありました。ぶらりと入った「個人書店」というビルは何をやっている会社なの?というところからはじまりました。会社名からわかりますように、個人本の出版をお手伝いしてくれる会社です。インターネットが広がる現在、本離れが進む中、個人の記録や作品を本という形に残したいという需要に対して制作・編集・製本をしてくれるというものです。義父の膨大な作品を何らかの形にしたいという想いから、カミサンと共に作品集づくりに入りました。

早期退職後、サンデー毎日の私は、実家に山積みされた作品整理からはじめ、過去に作品を差し上げた施設やご家庭に訪問して写真撮りをしました。何度も校正を重ね、ちょうど一年後に出来上がりました。                                            作品集は、A4版・37ページで、部数は20部です。せっかく作ったんだからもっと冊数を増やそうかなと思いましたが、義父の年齢からいって、友人・知人はもうほとんどこの世にいません。この年齢の持つもうひとつの意味を垣間見た瞬間でした。

作品集書 作品集油絵

デジカメに撮った写真を「個人書店」に送り、額や縁取りなどの加工をしてもらい、編集していただきました。素人写真ですが、個人本ですからこれも味があっていいそうです。

短歌1 短歌2

色紙に挿絵を入れた短歌です。戦時中のシベリア抑留の時の歌が多いです。過酷な日々を送った思い出は、今でも深く心の中に残っています。そんな義父を支えてきた義母への想いは一段と高く、「妻へ捧ぐ」歌も数多くあり、選定するのに苦労しました。

短歌3 個展

短歌新聞社の「年刊短歌集」に投稿した短歌。77歳の時、喜寿展と題して個展を開きました。この時の作品の半分以上は、友人や施設に贈呈しました。今でも多くの施設に掲示されています。

 

「日本国平和憲法 第九条」の書

平和憲法

 

もう御免 戦争未亡人をつくるのは そんな世の中誰が望むか

義父は、作品集の中に「日本国平和憲法 第九条」の書を入れたいという希望でした。「戦争を憎む」と題した短歌を歌いました。そして、その後に続く文の中では、「この世に生まれて青春を謳歌し燃えるような恋をする権利も有りながら、その恋すら知らず純粋のまま逝った友」 と書かれています。 

私も含め戦争を知らない世代が増える中、戦争体験のある義父のような方々は、もうほとんどいないと思います。何らかの形で残したいという想いが、この作品集をとおして伝わってきます。

この作品集を作った一年間は、私にとってたいへん貴重なものでした。日本人の男性の平均寿命は80歳ですが、それよりもすでに14年長生きしています。足腰の衰えと耳は遠くなりましたが、今でも毎日短歌を詠んでいます。                             義父は、自分から戦争のことについてあまり話をしませんが、この作品が出来上がった時に九条のことで少し話をしました。その時、「戦争は死の商人が欲望を満たすために起こすもの、その矛先は他国に向かう」と。何か深い意味があり、戦争というものを考えさせられる一言でした。

今日も義父は、週1回の市民講座の書の教授として教えに出かけていきます。