若い世代と私たちシニア
1950年代中頃に生まれた世代は、いよいよ人生の節目である60歳前後になります。 そんな世代が若者だった頃、70年安保下火の中でマスコミから三無主義(無気力、無関心、無感動)と揶揄されていました。 第二次オイルショックという厳しい社会状況の中でも団塊世代の後を追って社会に飛び出して行った時代でした。
あれから40年の歳月が流れました。私たちの頃と比べ、今の若い人たちの働く社会状況や生活環境は大きく変わってきていると思います。 その典型的なひとつとして、非正規雇用が増大していることです。 私たちの時代は、ほとんどが正規社員として雇用され、給与や福利厚生の充実、各種社会保障面においてもある程度保障されていました。そして、このことは全てではありませんが、生活の安定につながっていたと思います。 しかし、現在の若者の働く社会環境は、その最低限の保障さえも脅かされる状況になっているのではないでしょうか。 この状況が続くとすれば、今、私たちが老後の心配(年金、医療、介護など)をしている以上に、いや、その数倍厳しい状態になることは確かなことだろうと思えます。
若者世代との接点
私も含め退職された方々は、多分若い人との接点はあまりないのではないでしょうか。 一般的に退職後の行動・交流範囲は、地域のサークル、同好会、コミュニティーなどで、ほぼ同年代の人たちとの集いではないかと思います。 又、私のような登山愛好者においても、ほとんどが同世代の方々との出会いとコミュニケーションでした。
そんな中、先日、都内で「足元から民主主義を考えるプロジェクト」の公開討論会・勉強会がありました(参加自由、無料)。又、同時期に「町おこし」(地域活性化)に取り組むプロジェクトに触れる機会がありました。 この二つのプロジェクトは、全く内容は異なるものですが、二つの共通点がありました。 ひとつは、今の現状を変えていこう、今の職場や地域社会について考えていこうというもので、思想信条や政治色を越えたものでした。 もうひとつは、圧倒的に若者(学生、20~30代社会人)が参加している点でした。 手段は違っても目指す方向性(目標)は同じようにみえました。そして印象的だったのは若い世代の人たちが、真剣に考え悩み取り組んでいる姿でした。
10月18日都内で開かれた「足元からの民主主義を考える」公開討論会、勉強会の様子。 日常生活の中で起きていることについて、民主主義という視点から考えていこうという内容の学習討論会でした。 この勉強会は、今野晴貴氏(「ブラック企業」著者)、藤田孝典氏(「下流老人」著者)の共同主催で開催されたものでした。 参加者は、東大、早稲田、慶応、上智、中央大学などの大学生、留学生や大学院生、そして20代の社会人がほとんどでした。シニアのおじさん、おばさんはごく少数でしたので、ちょっと場違いなのかな?という雰囲気もありました。
一言で若者といっても、その生き方や考え方は広いです。今回のような討論会や地域活性化、その他社会に関心を持って集う若者は、全体からみればほんのごく一部でしょう。 しかし、現状の社会動向に関心を持ち、将来に向けて自分たちの生き方を模索し行動している若者たちがいることに触れ、厳しい社会状況の中でも少なからず光が見えてくるような気がしました。
60歳~何かを取り戻す年代
60歳(又はその前後)という年齢は、これからの生き方を考える節目だと思います。 60歳で定年退職する人、継続雇用で65歳まで働き完全リタイアする人、65歳以降も何らかの手段で働き続ける人も社会と関わりを持ちながら生きていきます。 これらの年代になると、今まで生きてきた中で辛く苦労してきた経験などから、もの事の判断や見方が断定的、固定的になる傾向にあります。私もその一人です。 もちろんこのことは過去の人生経験から学んできたものですから、これからの生活においても活かされることもあります。
退職以降の社会情報の入手は、新聞、TV、雑誌などのマスコミや書籍、インターネットなどから活字として取り入れることができます。しかし、実際に若者と触れ合う中で、お互いの考えを述べたり、意見交換し合うことは、60歳になる世代にとって新鮮な気持ちになります。歳を重ねてきた今までの経験は大事なものですが、これから先の将来(未来)について予測はできても断定は難しいです。 過去の経験は横に置きながら、若者と同じ土俵で、同じ目線で一緒に考えていく楽しさや大切さを、この年代を迎えて改めて感じるものがありました。
「60歳という年齢は自分が何をしたら幸せになるのか・・、仕事をしているがために犠牲にしてきたものがあったとすれば・・」 (「60歳からの現実」) それを取り戻すことや関心のあることに積極的に関わっていくことができる年代なのかもしれません。 仕事から離れ、又は、職責から離れ仕事をしつつも、一歩外から素直に物事がみえる年齢ではないかと思います。
退職したとはいえ、いろんな勉強会に参加されている行動力を尊敬します。
ちまたのニュースや統計などは、現実的でないのでは?と感じることがあります。
世代の違う人たちの生の声は大事ですよね。
自分がもし、今の時代、若い世代だったら…と想像すると不安だらけです。
少なくとも、自分が若いときの不安とは違うものです。
年をとると、固定観念、概念が変えられず、想像力も乏しくなります。
すーさんの行動力は、若さの証拠だと思います。
家犬さん
コメントありがとうございます。
現役時代は、仕事と家庭の往復で忙しさに追われ、いろいろな社会の出来事や問題に対して他人事のようにみてきました。
仕事を離れて少し周りがみえてきたような気がします。今まで疑問に思ってきたことや関心があることについて、もっと勉強したいと考えています。
もちろん登山やくるま旅をもっとしてみたいし、同時にそうした社会のことも学習したいと思っています。
そんなことができるのは、今の60歳という年代なのかもしれません。
若い人と触れ合う機会を得ることも、こちらから行動を起こさないとできないと最近思いました。
近所の山まで紅葉見学に夫婦でドライブしました。久しぶりに休みを取りました。今年3月に定年を1年残して退職した妻と久しぶりのドライブでした。
山のふもとの道の駅で評判の野菜バイキングを食べてみるというのも目的の一つです。ここも私どもと同年配の人で混んでいました。
今日は、地域の公民館祭りもありました。見学者も出演者も運営のボランティアもほとんど同年配でした。食べ物の模擬店が出ていても小学生の一人も目にしませんでした。最近は図書館も公民館も商店街もどこも同年配しか見ません。若い人や子供たちはいったいどこにいるのでしょう。かくれんぼしているのではないかと疑うような不思議な光景です。
めったにないことですが、自宅の前の通りから幼い子供の声が聞こえてきたり、中学生らしい友達連れがおしゃべりしながら通ったりすると窓からその声の主を探します。昔は普通にあった風景が今は貴重なことのように懐かしい気持ちになります。
だから、時々福岡市まで本を買う用を作って出かけます。若い人たち、若いアベック(昭和の言い方)、子供連れの若い夫婦の姿を見に行きます。若い人たちをみてほほえましい気分になります。
65歳を超えて、中高年がほとんどの職場で休みもとらず働いている私の世界も異様だと感じます。見るだけではなく若い人の話を聞くなどの機会も作る必要がありそうです。
mittyさん
コメントありがとうございます。
日本の人口の25%が高齢者という数字をみても驚きですが、実際にいろいろな所に出かけてちょっと意識を持ってみてみると現実がよくわかりますね。
私の場合、登山に行った時、特に意識するわけでもなく同年代の方々とお話するようになっていました。話していて楽しいし、同じような考えを持って接することが気軽にできたからだと思います。
これからは、もっと若い人たちと話をしてみたいと思っています。それも、こちからから意識的に行動をとっていかないとできないと思います。