自らを顧みるタイミング
60歳という年齢は自分が何をしたら幸せになるのかについて考えることが、社会的に許される年だということだ。今まで、仕事をしているがために犠牲にしてきたものがあったとすれば、その犠牲になっていたものを救い出すことができる。止められても繰り返そう。自分は何をしているときに幸せを感じるのか、自らを顧みるタイミングが60歳だ。 「60歳からの現実」監修 日本総合研究所より
今の世の中、60歳定年退職を迎えて仕事の一線から退いても、働き続けなければならない現実があると思います。 では、いつまで働き続けなければならないかということは個人によって異なります。 しかし、60歳という節目は、それ以降の個人の生き方や行動において、社会的に何か許される感があります。それは、今まで仕事を通しての社会貢献、又、子どもを育て社会に送り出してきたことなどで、「これからは自分(夫婦)の幸せについて考えてください」ということが、認められる年齢なのかと思ったりします。
退職して完全リタイアされる方、引き続き働き続ける方、いずれにしても自らを顧みるタイミングは、この年齢ではないかと思います。
犠牲にされてきた親の介護?
この年代になると親の介護は、多分ほとんどの方の共通した課題ではないでしょうか。 この親の介護は、「仕事をしているがために犠牲にしてきたもの」だったのかな、と今までを振り返ってみて思うところがありました。 核家族が広がってきている現在、仕事や家族のために忙しい日々を過ごしてきたため、遠く離れた親のことを想う余裕がない生活を送ってきているのではないでしょうか。 もちろん全てではありませんが、私もその一人でした。 現在の親の身体状況がよくわからない、状況を把握してもどうすればよいかわからない、よく調べ確認したところ要介護認定が必要な状態にあった、などなど・・・。
一般的に「仕事をしているがために犠牲にしてきたもの」は、家族(妻や子ども)のための時間、又、個人の夢ややりたかったことの時間などに捉えられる場合が多いです。 このためどうしても親のことに対しては、気をかけることがなかったり、疎くなったりしがちになることもあると思います。 しかし、高度の障害や寝たきりになる親の介護により、定年退職前に「介護離職」する方が年間10万人に達する現状をみると、まだ自分は恵まれていたと思います。
年齢階層別要介護認定率 老健局資料 11月1日静岡新聞 介護離職の社説
母親の入院と介護
私は退職後、月1~2回程度田舎で一人暮らしの母親の様子をみにきています。 これも退職したからこそできることだと思います。仕事をしていたら「犠牲にしてきたもの」が継続していたと思います。義父母の場合も同様に思っています。
以前より気になっていた母親の顔のデキモノを病院で診てもらいました。 なんと皮膚がんということで、早急に手術が必要だと言われました。皮膚がんといっても手術で摘出すれば転移しないということで少しは安心しました。 一昨日手術をして一日入院することになりました。認知症を患っているため、入院という環境の変化で何が起きるかわかりません。病院から付き添いを依頼され、私も泊まることになりました。 深夜、母親がトイレに行って、ちょっと目を離した隙に迷子になりました。これも日常の生活風景と異なったため起きたものでした。 付き添いで泊まる場合、患者のベットの隣に折り畳み簡易ベットが用意されました。狭い場所で窮屈でしたが、山小屋で寝ることを考えれば贅沢な寝床でした(笑)
母は病室から見える山の緑を見て、手術後も落ち着いていました。
高齢になるといろいろな病気や骨折、転倒、関節疾患などの原因で介護が必要になる場合が多くなると思います。又、こうしたことが今起きていなくても、これから起こりうることも充分考えられると思います。 このようなことを考えられるようになったのは退職以降でした。
まだ現役時代、盆と正月に田舎に帰った時、台所に塩が5袋あったり、ミリンが4つあったり、冷蔵庫の中にキャベツが数個あったりして、「まだあるのに、また買ってきたの」と母親に言ってました。認知症の兆候さえもわかりませんでした。 それだけ親に対して気に留めることもなく過ごしてきたと思います。 今では、同じことを10回繰り返して聞かれても「これは病気」だと思えば、それほど気になることはありません。
60歳という年齢は自分が何をしたら幸せになるのかについて再考してみました。 趣味の登山や山歩きをしよう、夫婦でくるま旅をしよう、読みたかった本を読んで学び社会のことを考え行動しようということも。 そして、子どものような母をみると親の介護をすることも自分の幸せになるように思えてきました。
くろとごまです。60才で定年退職し、現在62才です。母親は90才です。来年3月で千葉の実家にリタイアする予定でしたが、実家が全焼したため、家を再建して母親と女房で住んでもらっています。預貯金が目減りしたため、私は新潟に残り、年金が全額支給になる65才まで働く予定です。
母親には家が建つまでの4ヶ月間、新潟に来てもらって母親、女房、私の3人で暮らしました。時々帰省して母親のことは分かっているつもりでしたが、実際に一緒に生活してみると、ずいぶんと老いが進んできたことが分かりました。
今まで自分達のためだけ考え生活してきましたが、これからは女房の両親を含め3人の親を中心にすえて生活しようと二人で話し合い、互いに納得しています。
当分、単身赴任生活が続きますが、自分自身の今後と家族についてじっくり考えて見たいと思っています。
くろとごまさん
コメントありがとうございます。
定年退職して、さあこれからだという時期にご実家の全焼、ご家族の一時転居、そして新築と単身赴任の生活、精神的肉体的にもたいへんなことだったと思います。
そうした苦労を重ねても、これからのご自身の将来やご家族のことを真剣に考えている。そんなくろとごまさんの前向きな姿勢に教えられるものがたくさんあります。
個人の幸せは、あくまでもその周りの家族の幸せがあった上に成り立っていることを、退職以降感じるようになってきました。
それだけ、今まで気持ちに余裕がなかったということだったと思います。
これからも、自分自身や家族の幸せについて考えていきましょう。
お母様の手術、無事でよかったですね。
介護は、人様に言えないことも多く、大変なこととお察しします。
それでも、生きて一緒にいられるという、幸せがあります。
お母様もすーさんに見てもらって、幸せだなと感じました。
家犬さん
コメントありがとうございます。
母親も90歳という年齢になると、日ごろの言動から幼い子どものようにみえてきます。行動範囲も家の中だけになり、話題も限られたものになります。 テレビ番組表を見たり、新聞の折り込みチラシを眺めたり、窓から外の景色を楽しんだりしているだけです。特に何もない日々が過ぎていきますが、それが幸せなことかもしれません。今、母を見てそんなことを感じています。