新聞報道と社説に思うこと

8/15日各紙一面トップで首相退陣報道!

なぜ終戦日の前日に不出馬表明?

 

岸田首相は8月14日、官邸内での記者会見で自民総裁選に立候補しないと表明しました。
これを受けて翌15日各新聞社はじめTVニュースのトップ記事として報道されました。更に、次期総裁候補者の議員を挙げて紹介する記事や放映が続きました。

皆さんこのような状況をどのように思われたでしょうか?
国を代表し政治を動かす首相ですから、その退陣表明は確かに大きな話題になるでしょう。ただ、その捉え方は人それぞれだと思いますが・・・。

私はこのタイミング(8/14日)の表明とメディアの輪をかけたような異常な報道に違和感を感じました。
15日のTVニュースはどの局も朝から晩までこの不出馬表明の報道ばかりでした。裏金問題とその追及はどこかに吹っ飛び、自民党が変わる???宣伝をメディアがせっせと報道しているように思われました。

 

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8/15日、大手新聞社各紙の一面トップ記事

8月15日は「終戦の日」です。
本来であればこの日は特別な日として、戦争と平和を考え語り継ぐ日ではないでしょうか。
今年は終戦から79年経ちました。年を追うごとに戦争がもたらした数多くの悲惨な出来事が薄れようとしています。
戦争体験者やその遺族の高齢化がすすみ、戦争を体験していない世代が国民の多くを占める時代になりました。
だからこそこの日は今まで以上に大切にしなければならない日だと思います。

百歩譲って新聞の一面トップが「首相退陣」記事だとしても、新聞社の理念・主張ともいわれる「社説」はどうだったのか?
なんと大手3紙(朝日、読売、毎日)すべてが岸田首相の不出馬に関する内容でした。唯一私が購読する東京新聞だけは「終戦の日に考える」と題した社説でした。

 

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8/15日、大手新聞社(朝日、読売、毎日)の社説

 

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8/15日、東京新聞社説

 

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2日後(17日)の東京新聞の「ぎろんの森」にこのようなことが書かれていました。

毎年8月15日には「終戦の日に考える」と題する長文社説を掲載してきました。そこに飛び込んできたのが「岸田首相総裁選不出馬」のニュース。どちらを15日の社説で扱うべきか。本紙は迷うことなく終戦の日を選びました・・・。
そもそも岸田首相はなぜ終戦の日前日に不出馬を表明したのか不可解です。後継総裁選びを含めてニュースの話題を独占し、終戦の日がかすむことは自明の理ですが、自民党総裁選の日程を優先したとしか思えません・・・。
すべての戦没者を悼み、平和を誓う日は静かに迎えたいものですが、岸田氏が不出馬表明にわざわざ14日を選び、終戦の日を政治の喧騒に巻き込んだことは、岸田氏にとって終戦の日はそれほど重要でなかったことを意味するのかもしれません。

私もまったく同感です。

ただ岸田首相個人というより、自民党政治そのものがこの日の表明を意図的に起こしたとも捉えることができます。
それは、「新しい戦前」とも言われるように、防衛費の拡大と敵基地攻撃能力の増大、集団的自衛権の決定、沖縄基地問題(特に辺野古や各島々の基地化)、核抑止論、米軍による事件・事故の数々など、終戦の日に「二度と戦争を起こさない」という国民の願いに反する軍事拡大に突き進んでいることを覆い隠すためなんだと思います。

冒頭でも記しましたが、こうした新聞記事に関する意見や思いは人それぞれです。
私は今回の終戦の日の報道には改めて「新しい戦前」が着々と歩み寄ってきていると強く感じました。

それにしてもTVニュースやワイドショーなどの番組は、これでもか!というように総裁選候補者の放映に終始していることに呆れ返ります。
なぜなら誰がなっても変わらない体質が自民党政治にあるからです。
そんな番組が放映されればすぐにチャンネルを変えて他の番組かドジャーズ戦(録画)を観戦しています。

2 thoughts on “新聞報道と社説に思うこと

  1. >私はこのタイミング(8/14日)の表明とメディアの輪をかけたような異常な報道に違和感を感じ
    ました。

    これは国際ジャーナリスト・堤 未果 氏が書いた「ショック・ドクトリン」なんでしょうね。

    自分たちがやりたいことに賛同が得られない時に、関心を反らす目的で話題を投げかけるんです
    よ。そして不幸なことにメディアが輪をかけて煽るんですよね。それに釣られずに報道する新聞社
    がいた事をしっかり受け止めないと「新しい戦前」になっていくんじゃないでしょうか。

    そもそも8月15日は何故「終戦記念日」と言うのでしょうね?

    ドイツは「敗戦記念日」として反省の式典が行われていますが、日本は敗戦の検証すらせずに、戦
    没者のお陰で今日の繁栄がなされたと詭弁を使いますよね。
    https://midori1kwh.de/2015/05/24/6896

    「維新」と言うと苦しめられた生活から開放されるように捉えられますが、戦争もなく文化盛んで
    一日三食の暮らしが出来た徳川260年に、庶民の不満は無いように思えます。それを長州勢が権力
    を握り戦争に走らせたんじゃないでしょうか。

    総裁選もアメリカの候補者選びのように時間をかけて候補者の資質を吟味できるなら良いのです
    が、短期間に多数が人気投票のように盛り上げるのは如何なものでしょう。

    こんな時だからこそ国民がしっかりしないと、平和は守れないんですよね!

    1. 凡夫さん

      こんにちは

      「ショック・ドクトリン」という言葉はじめて知りました。「関心をそらす目的で話題を投げかける」という行為は、まさに今回の退陣表明そのものですね。
      このことは、凡夫さんがおっしゃるように「敗戦の検証すらせずに」ということが根底にあるように思えます。
      ドイツは第二次世界大戦の反省を毎年しっかり行っています。しかし、日本は今だ一部政治家や自衛隊幹部が靖国神社参拝を公式行事と思えるほど公然と行っています。
      こうした行為や現実の政治政策がまさに「新しい戦前」と言われる所以なのでしょう。

      >こんな時だからこそ国民がしっかりしないと、平和は守れないんですよね!

      全く同感です。

      コメントありがとうございました。

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