日本の「名刺」文化と「先生」呼称

日常生活の中の違和感

形式や忖度にこだわる?

 

退職後、都内で開かれる講演会やセミナーに参加する機会が増えました。
関心のある事や学んでみたいという理由から特にジャンルを問わずこうした企画に興味を覚え継続しています。

先日、ある講演会に参加しました。講師は省庁のお役人でした。
日本の行政にたずさわる方ですから、普段私たちが知らないことや様々な政策の説明がありました。
こうした講演会では、時々現職の国会議員が個人として、又、オブザーバーとして出席されることもあります。

ここで私は何度か違和感を感じる出来事が2つありました。

一つは、講演会終了後の「名刺交換」です。

司会者の方が終了後に「名刺交換されたい方はどうぞ前のほうへ」と話すと、なんとぞろぞろと背広姿の男性たちがこぞって前のほうへ出てきて名刺交換されていました。
うん!なんだこれは?という思いでした。

というのも、講師が民間人だったらまだ理解できます。例えばお互いの企業利益に関わるコミュニケーションや情報共有などでの名刺交換であればわかります。
しかし、相手は公務員です。何らかの利益に関わるもののためか?、忖度なのか?、いろいろな憶測が浮かびます。
今やネットの時代です。国の行政に関連する情報や手続きなどの手立てはほとんどわかります。又は広報でも知ることができるでしょう。
お役人と個人的なつながり?企業としてのつながり?、勘ぐれば情報も含めた何らかの便宜を想像してしまいます。

そもそも「名刺」というのは日本独特の文化のようです。
調べてみると海外では名刺交換の優先度は低く、「連絡先を伝えるツール」という意味合いが強いそうです。それよりも初対面であれば握手だけで済ませることがほとんどです。

私もまだ働いていた頃、名刺を持ち歩いていました。あくまでも取引先(担当者)との連絡ツールでした。しかし、これもネットが普及するにつれあまり意味を持たなくなってきたように思います。
会社がその後外資系企業になったこともあり、名刺の意味合いは更に低くなりました。

この講師が講演会で受け取った数十枚の名刺はどのように利用するのでしょうか。ほとんどが一面識で顔さえもわからない状態の中、逆に困ってしまうのではないかと思ったりします。

 

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もう一つの違和感は「先生」という呼称です。

講演会などで司会者が国会議員を「先生」と呼ぶことです。
私が思っている「先生」は教師と医師だけかな?と。教師は、自分の知らないことを教え伝えてくれて、その成長を促してくれます。又、医師の場合は、自分が治せない病気やケガを治療して治してくれます。
当然、敬意や尊敬の念を込めて「先生」と呼ぶにふさわしい呼称だと思います。

しかし、国会議員を先生と呼ぶのはおかしいと思っています。
国会議員は国の政治を国民の願いや要望を実現するための仕事です。それは国民の代表としてしっかりやってもらわなければなりません。その仕事ができなければ辞めていただき、できる方に仕事をしてもらうのが筋です。
なぜなら私たちが収めた税金を効果的に活用して、よりよい国民生活の向上を図るためだからです。
ボランティアや手弁当で仕事しているわけではありません。そのための議員報酬や調査・秘書費用などは支給されています。更に党組織に所属しているのであれば莫大な政党助成金もあります。

こう考えてみると、ちゃんと仕事をしてもらわないと困ります。国会議員という地位や名誉だけで「先生」と呼ぶのは実におかしなことだと思います。

こうした国会議員の「先生」呼称に関する記事や投稿など、時々新聞に掲載されていることがあります。
先日も東京新聞の読者欄にこのような投稿がありました。

資生堂名誉会長福原義春氏死去の報に哀悼の意を捧げます。福原さんが行った改革に「さん付け活動」があることを知りました。上司を役職名で呼ぶ習慣を見直し、上下関係に縛られない企業風土を育んだということです。
一方、国会中継などで議員同士が「○○先生」と呼び合うのを見て違和感を覚えます。「先生」と呼びかけた瞬間、なれあいのニュアンスが醸し出されます。重要な議案で議論を尽くし、民主主義を熟成させるためにも、小さな改革の一歩として、議員同士で先生と呼び合うことを改めてください。
9/14日付 東京新聞(発言)

この投稿では ”なれあい” という厳しい批判がありました。確かにそういったニュアンスはあると思います。そこには「ちゃんとしっかりやれよ!」という国民感情があるのではないでしょうか。

更にこの投稿には「さん付け」について触れています。
前述した私が働いていた会社でも外資系になったと同時に「さん付け」になりました。それまでは、社長・部長・地区長などと役職名で呼ぶ習慣がありました。
これはたいへん良い企業風土だと思いました。働く皆が会社のために尽くしているわけですから「上下関係に縛られない企業風土」は風通しが良くなり、成績や成果も分かち合える雰囲気が出てきます。

国会議員同士もすべて「さん付け」にすれば良いと思います。同時に講演会などでの紹介も「さん付け」でいいのではないでしょうか。

 

日本の「名刺」文化と「先生」呼称についてお話してきました。

名刺には「肩書き」というものがあります。一般に氏名の上部に添えて書かれる「役職・職名」です。名刺交換した時に仕事がスムーズに進められるためのものでしょう。
しかし、一方で肩書きというのは自分を誇示するためのものとか、相手がそういう風に見てくれるというニュアンスもあるのではないでしょうか。
そう考えるとその人自身の中身がよくわからなくても、「そういうお立場の人」として位置付けてしまうことになるのかもしれません。
これは「先生」という呼称にも通じるものがあると思います。司会者が「先生」と紹介した時に参加者は代議士というその地位を忖度して「そういうお立場の人」として無意識に固定概念が生じてしまうかもしれません。

こうしてみると私たちの身の回りには、名刺や呼称ひとつで判断してしまう習慣があるのではないでしょうか。
そうではなくて、同じ人間同士対等ですから形式にこだわることなく安易な忖度も必要ではないと思います。

このような思いは人それぞれです。
こうした場面に遭遇してそう思うか思わないかは自由です。批判をするつもりは毛頭ありませんが、儀礼的なものに流されず、もっとその「中身」を重視する習慣の方が良いのではないかと思います。

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