コンプライアンスを考える

政治における法令は・・・

「法令遵守」と「多数決」!?

 

 

会社で働いていた頃、コンプライアンスという言葉がよく使われました。
企業活動の製造や営業に関わる法令を遵守して、社会的な規範から逸脱することなく事業を遂行することが求められました。
TV・新聞報道などで企業の不正、改ざん記事をよく見聞きします。そうしたことが明らかになると会社役員の謝罪会見が映し出されてたりします。そして、そのことでの社会的な制裁は大きいものがあり企業の存続にも影響してきます。

私は小売業で働いていましたが、特に販売商品の消費・賞味期限や生産地表示など厳しい管理が求められました。又、勤怠においても個人ごとの残業時間(分単位)は二重、三重の点検で正確に把握され管理されていました。
こうした管理がずさんな状態で発覚すれば会社内での賞罰対象になることはもちろんのこと、行政からも厳しい指導があり会社運営に大きく影響するものでした。

こうした「コンプライアンス=法令遵守」は、日本の経済社会に急速に浸透して ”絶対的のモノ” として認識されるようになりました。

 

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先日、定期的に参加しているセミナー「文庫カフェ」で講演を聞きました。
タイトルは【「単純化」という病・安倍政権が日本に残したもの】、講師は郷原信郎氏(弁護士)でした。
郷原氏はコンプライアンス研究センターを設立し、現在センター長として活動されている方です。

郷原氏は講演の冒頭で、
「法令遵守から脱却しなければならない。単純に法令を守ればいいというものではない」と。

最初この発言を聞いた時、「エッ!どういうことなの?」と耳を疑いました。コンプライアンスの専門家が言う言葉なの?
講演の内容は、安倍政権時代の安保法制、「モリ・カケ・サクラ」問題、東京高検検事長の定年延長問題、その後の安倍氏銃撃事件と国葬に関わる政府対応の実態とその本質についての講演でした。
講演の詳細については省きますが、郷原氏の著書「単純化という病」も一部引用してその中身をご紹介したいと思います。

上記のような安倍政権下での各種問題発生に対して、

安倍政権側、支持者側から出てくるのが、「法令に反していない限り、何も問題ない」「批判するなら、どこに法令違反があるかを言ってみろ、それができないなら、黙っていろ」という言葉だった。
法令は選挙で多数を占めた政党であれば、どのようにも作れるし、変えることもできる。

この典型的な事例としては、憲法解釈を変えて安保法制を閣議決定したことに始まりました。

閣議決定で解釈を変更することもできる。憲法違反だと指摘されれば、内閣法制局長官を、都合のよい人間に交代させればよい。
このようにして、多数決で選ばれた政権にとって「法令」は思うがままだ。そこに「法令遵守」が絶対という考え方が組み合わさると、すべての物事を「問題ない」と言い切ることができる「法令遵守」と「多数決」だけですべてを押し通すことができることになる。

 

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「モリ・カケ・サクラ」問題が表面化し、その後黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題では「検察庁法に違反する」との指摘に反論の余地はないように思えましたが、「閣議決定で法令解釈を変更した」ということで押し通しました。
結果は検察庁OBや弁護士会、世論の強い反発により見送られましたが。

更に、このようなかたちで権力が集中するとどのようなことが起こってくるかといえば、国の行政を司る各省庁の官僚の「忖度」です。
それを有効に活用する法制として、2014年安倍政権時代に国家公務員法を改悪して内閣官房に「内閣人事局」を新たに設けました。これは幹部職員人事の一元管理する仕組みで、内閣が官僚の人事権を持つことになりました。
こうなると一般的にキャリアと呼ばれる特権官僚層と政権政党との癒着が生まれやすい構図ができます。
つまり、政権に奉仕する官僚組織につくりかえられたということになります。

この典型例が森友学園問題で起きた財務省の公文書改ざんと隠ぺいではないでしょうか。

 

私は「法律」というとちょっと引けてしまいます。それだけ法律には疎いということです。

郷原氏は講演と著書の中で、

もともと、日本では、多くの国民が「法の素人」という意識を持っており、”お上” によって「法」は正しく運用されていると無条件に信じ、「法」にひれ伏してしまう傾向がある。
そういう社会では、政治権力が集中することによって「法令遵守」のプレッッシャーが高まることの弊害は一層顕著となる。法の内容或いはその運用に「歪み」が生じていても、国民にほとんど知られることなくまかり通る。
それが「法令遵守と多数決による単純化」をさらに進めることになる

 

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先月、東京都立大学のオープンユニバーシティ講座「格差と貧困問題」を受講しました。
この講座で非正規雇用賃金差別について勉強しました。労働派遣法、労働契約法、パートタイム労働法では、非正規雇用の賃金格差を設けることは合法とみなされるという法律に改悪されたというものでした。
こうした法律というものは、その文書の意味合いを改変することでどのようなことでも可能にすることができるようです。
難しい法律用語を見聞きするだけでもちょっと難儀ですが、こうして説明を受けるとなるほどと思います。経営者側にとっては有利な法律に切り替えられたことで、前述したような「どこに法令違反があるのか言ってみろ」ということになります。
これもまた財界からの要請もあり現政権が改悪したのでしょう。

 

このような「法令遵守」と「多数決」の組み合わせによる「単純化」は、菅~岸田政権に引き継がれました。
それは、軍拡財源確保法案(5年間で43兆円)、軍需産業支援法案(政府が財政的に支援)、原発推進等5法案(運転期間を60年超に延長)、入管法改定案、マイナンバー法改定案(健康保険証廃止)、LGBTQ法案など・・・。
これら法案もすべて国民の多数が反対しているにも関わらず、国会審議も議論が尽くされないまま「多数決」により可決されました。

 

6/19日付け東京新聞に「イニシアチブ(国民発議)制度」の導入を提唱している記事が掲載されていました。

デモや集会でいくら反対の声を上げても、国会では重要な問題がやすやすと決まっていく。
そんな現状を打破しようと、市民グループがイニシアチブ制度の導入を提唱している。スイスなどで恒常的に実施されている同制度では、有権者の一定数の署名を集めれば、法律の制定や改廃などを国に発議できる・・・。

こうした提唱も「重要な問題がやすやすと決まっていく」ことへの怒りと意思表示だと思います。
それだけ今の政治に対する国民の不信感は大きいのではないでしょうか。

 

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郷原氏は企業等からのコンプライアンス講演依頼が数多くあり、そこで訴えてきたのがあるそうです。

コンプライアンスは、法令遵守ではなく、社会の要請に応えること。「遵守」という言葉で法令規則等を「守ること」が自己目的化してしまうことで思考停止に陥る。

コンプライアンスとは、時の権力や一部組織の利益のための法令ではなく、「社会の要請=国民の要望」に応えるものであって、それを「遵守」することなんでしょう。

 

改めてコンプライアンスを考えてみると、なるほどなと勉強になる講演と書籍でした。

2 thoughts on “コンプライアンスを考える

  1. 法って社会秩序を維持するための国家による強制力を伴う社会規範なんですよね。
    ただ「制多くして国滅びる」にならない為に最小限の決まりなので、それを補完する
    様に道徳やマナー、モラルなどによって秩序が保たれているんじゃないでしょうか。

    天皇が代わるたびに新元号が使われますが、元号の出典は中国の古典である「四書五経」
    によるもので、昭和は「百姓昭明にして万邦を協和す」であり平成は「地平らかにして
    天成る」と言う思いが込められていました。

    それが令和は万葉集の出典ですよね。万葉集なんて教養を高めても、徳を高めることは
    ないのに採用したんですよね。

    そもそも四書五経は日本最古の学校とされる足利学校や多くの藩校、寺子屋の教科書と
    なっており、四書の一つ「大学」の中では、指導者たるには家をととのえ国を治める前に
    自分の徳を磨かなければならないと教えています。

    国民の範となるべき為政者が「法令に反していない限り、何も問題ない」と開き直る
    ニュースを見るたびに呆れてしまいます。
    経歴を見れば優秀な学歴なのに、知識の研鑽ばかりで徳を磨いてないのでしょうね。

    1. 凡夫さん

      お久しぶりですね。
      とても勉強になるコメントありがとうございます。

      「四書五経」についてはほとんど勉強不足ですが、凡夫さんのわかりやすいご説明でなるほどと思いました。

      >指導者たるには家をととのえ国を治める前に・・・、知識の研鑚ばかりで・・・。

      「徳を高め」「徳を磨かなければ」という大事な教えは、今の政治に求められるものだと痛感します。

      また同時に昨今の様々な社会問題(事件、事故)も目を覆うことが多々あります。これに対して法規制をもっと強化しなければという思いがありますが、そうした状況が起きてきた背景も同時に考えなければと感じます。
      「道徳やマナー、モラルなどによって秩序が保たれる」ための社会のあり方、そうした学び・教育も大事なことだと思いました。

      「徳」ということ、あらためて考えさせられました。

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