男女平等 日本125位!
政治的、歴史的に押し付けたもの?
先日、世界経済フォーラムの各国男女平等度を順位付けした「男女格差(ジェンダーギャップ)報告」が発表されました。
日本は146カ国中125位の順位でした。
報告は、政治、経済、教育、健康の四分野について、男女参画の平等達成度を指数化したものだそうです。
日本はこの中で特に政治で138位、
の低位に留まったことから、やはりという思いでした。
日本においてのこうした格差は、 ”男性自身の意識が大きく影響している” ことは言うまでもありません。最も大きな要因として位置づけてもおかしくないと思います。
ただ、そうした意識というのは決して自然にできたものではなく、”単純に意識だけの問題“ として片づけるものではないと思います。
そこには長い歴史の中でつくられてきたものがあるように思えます。
広がる男女賃金格差
先日、定期的に参加しているセミナーで、「女性の自立をはばむもの」と題した講演を聞きました。
講演者のいのうえせつこさんの著書を題材にしたお話でした。
一言で「自立をはばむもの」と問われると多くのことが思い浮かびます。それだけ社会の複雑さの分だけ様々なかたちで出てくると思います。
もちろんこれらは冒頭で述べた「男性自身の意識」がその最も足る要因ですが、見方を変えれば私たちが生まれ育ち成長してきた過程での教育や社会的に押し付けられてきたものもあるのではないでしょうか。
以前、国勢調査で調査票に記入した時、「世帯主」という言葉を目にして「いったいなんなの?コレ!」とか、戸籍の「筆頭者」という呼称などに違和感を感じました。まだこんな言葉が使われているのかとなんとも情けなくなりました。
※赤字は書籍「女性の自立をはばむもの」から引用
1950年代から60年代にかけて、「奇跡的」とも言われた日本の高度経済成長を、いわゆる「男は外、女は内」という性別役割分業制度が支えたことも大きい。さらに「家」を人々に刷り込んだかもしれない。
高度成長期に入ると、労働力不足への対応として、既婚女性のパートタイム労働が盛んになる・・・、オイル・ショックの時期には雇用の調整弁として利用された。なお、彼女たちはあくまで家計の補助的役割を期待されるものであって、大黒柱である夫の収入が少ない場合「妻が働く」選択肢があった。
江戸期の封建制度から明治・大正・昭和にかけての日本独特の「家制度とその家族観」が戦後も引きずられ、家計の補助的役割もその後の非正規雇用という調整弁につながってきました。
こうした背景には明治憲法下での家父長制、男尊女卑の家族制度を美化し、戦後も保守系政治勢力によって引き継がれてきた背景があると思います。
1985年「男女雇用機会均等法」が制定されました。
これも法令としてかたちだけ整ったもので、その後何度か改正されましたがまだまだ不十分です。すべての間接差別を禁止するなど、抜本的改正が必要だと思います。
先の同性婚の法制化や選択的夫婦別姓制度の導入も「伝統的家族観を壊す」との主張に押され、実現を阻まれています。
まさにこうした政治上の実情が125位という低位に留まっている要因ではないでしょうか。
そういう意味では政治の責任ということが大きな問題として捉えるべきだと思います。
政治と新宗教とのつながり
いのうえせつこさんは、90年代から2000年代にかけての世界的なジェンダー平等の流れに対して、保守政治家とその団体や新宗教とのつながりによるバックラッシュがあったことを指摘していました。
バックラッシュ
男女平等や男女共同参画、ジェンダー運動などの流れに反対する運動や勢力のこと。
このバックラッシュが ”一定の成果” を得たのが、2005年の第二次男女共同参画基本計画のなかで「ジェンダーフリー」の言葉が使われなかったことだと言われている。ジェンダー平等に反対する右派政治家にとって、男女共同参画社会基本法、なかでも「ジェンダーフリー」を弱体化、無効化することは重要課題だった。
いのうえさんはこうしたバックラッシュを支え担ってきたのが、「家制度とその家族観」が一致している新宗教団体だったと指摘しています。
昨年7月、安倍氏銃撃事件が起こりました。
この事件の真相はメディアなどでも大々的に報道されたように安倍氏と「旧統一教会」との関係でした。
「家族観の価値観」が一致していることから持ちつ持たれつの関係があったようです。それは選挙での集票や法令の改悪など多岐に渡ったものでした。
統一教会信者の若者たちは保守系議員の選挙を無償で支えているほか、議員秘書になったり、地方議員にも進出したりする者もいる。
これらのことは、すでにメディアなどの記事でも明らかになっています。
法律や制度のうえで一見「男女平等」となった社会においても、女性の社会的地位は低いままです。
そこには政治的・社会的な根深い差別が残っていると思います。
多くの女性が非正規で働き、政治参加が遅れ、自由を阻害され、暴力にさらされ、その本来の力を発揮することができていないのではないでしょうか。
ジェンダーギャップ125位の現実を真剣に受け止め、政治の責任として改善すべきだと思います。
今晩は~
興味深い話題です。
このところ数回、朝日新聞で「追いつめられる女性たち」というタイトルで
取り上げられていました。
6月28日の放送大学家族社会学名誉教授・宮本みちこさんの
投稿にかなり重なるものを感じました。
コロナ禍で全員に給付されたはずの給付金が、世帯単位が当たり前と
なっている日本社会のため、一番必要としている人に届かなかった人もいた。
夫のDVで夫と離れて暮らしている女性はどうなったのしょう。
また、若い人達の県外流出についても語られていました。この部分は私も身を
もって経験していますので思わず頷いてしまいました。
若い女性が都会で生活したほうが「暮らしやすい」でなく「生きやすい」から
と宮本先生はおっしゃっています。
賃金が高く、良い仕事もあるのはやはり都会ならではのことと思いますが、
私はもう一つ付け加えるならあまり人の目を気にしなくても良い、
変な因習がないのも魅力と感じます。
地方には自由がない、選択肢がない、女性差別が残っている・・・
(女性だけではなく、夫の実家の村社会では男性でも地元出身者でないと
未だによそ者としてかなり差別を受けます。)
地方の暮らしを心地よいと感じる女性は残り、生きにくいと感じる人は
出て行ってしまう。意外にもこの点に気が付いていない。と指摘なさっていま
す。
都会であれ、地方であれ「生きやすい」生活は男女平等が自然な形で根付くこ
となのかもしれません。
6月29日は同志社大学大学院教授の岡野八代さん
見出しは「家事・育児はタダ」の社会構造
「特権的」な政治家が過小評価
長くなりますので、お終いにしますが、政治の世界はほとんどが家事も
ケアもしたこともない男性で占められいる・・・
なかなか興味深く分析され、問題提起をしていた記事でした。
長い間「当たり前」だった意識を変えることの大切さを感じます。
スーさんの最後の7行の言葉、同感です。
Roseさん
こんにちは
貴重なコメントありがとうございます。
私は朝日新聞は購読していませんが、週一回図書館で各新聞に目を通す日課です。
朝日新聞記事に関するRoseさんのお話、とても興味深く思いましたので早速読んでみたいと思います。
>都会であれ、地方であれ「生きやすい」生活は男女平等が自然な形で根付くこと
まったく同感です。どんな社会生活の中でも自然な形で様々なコミュニケーションがとれる社会になればと思います。
いろいろな習慣や慣習の中で「これはおかしい」と思うことが多々あります。今までは我慢したり聞き流して過ごしてきたことで、それが常識化?当たり前?みたいな風潮が出来上がってしまったこともあると思います。
そんな時はハッキリ指摘したり、声に出して言うことが大事だと思います。そうしたことができる社会になりつつあります。
まだまだ困難なこともありますが、先日の統一地方選挙で東京都区の女性首長・都議がしっかり「男女差別問題」を訴え当選したことをみても大きな動きを感じます。
私たちの毎日の生活の中で、例えば賃金や物価高への対応、子育て、老後の生活など、これらすべて政治と結びついていること、又、同時に男女差別という問題とも深く繋がっています。
「生活する上でたいへんなこと」は、何らかのかたちで覆い隠され個人の問題になってしまっていますが、冷静にみてみると「政治の責任」ということがわかってきます。
直近のブログ「楢山節考」も「考えて」みれば、これも単に個人の問題(自己責任)ではなく、社会や政治の問題として受け止めることができます。
朝日新聞のご紹介とコメントありがとうございました。
早速図書館に行って読んでみます。