日本百名山を振り返って (1)

百座をめぐる旅

気持ちの上で余裕ある登山ができた

 

19年前、カミサンと共に草津温泉旅行に行った時、何気なく登った山が草津白根山でした。
この頃はまだ日本百名山自体知ることもなく、硫黄の漂う山だな~という記憶しかありませんでした。
我が家の近くの山といえば、奥多摩や奥武蔵、そして秩父の山々で、休みともなればお弁当を持ってハイキングを楽しんでいました。

そんなハイキングから高峰を目指す登山に芽生えたのは、黒部立山アルペンルートの旅行でした。
室堂から望む立山を眺め、こんな素晴らしい山、景色があるんだという感動でした。
それからというもの、百名山をまだ意識することなく比較的近場の群馬、山梨方面の山々に登ることが増えました。谷川岳、赤城山、至仏山、大菩薩岳、尾瀬トレッキングなど日帰りで登れる山が中心でした。

 

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日本百名山を目指そうと志したのは退職後です。

今思えば、やはり ”時間” というものが大きなカギになっていたことがよくわかりました。しかし、時間があれば何でもできるのか?といえば、実はそんなことはないんですね。
リタイア後の過ごし方でよく言われることに ”気力・体力・好奇心” というものがあります。この3つが揃って充実している時にこそ好きなことに夢中になり、目標達成につなげていけると思いました。
このことは登山だけではないです。いろいろな社会活動や趣味、もちろん仕事においてもそうでしょう。これが一つでも欠けるとなかなかうまく出来ないことから興味も関心も薄れていくのではないでしょうか。

日本百名山を意識し登り始めた退職後2年目の時、私にとって大きな変化がありました。
まだ仕事をしている頃に登った百名山は18座でした。残り82座、”どのように数を挙げていくのか” という意識がありました。後で思えばそれは単にピークハントするだけのものでした。
自分が百名山を意識して登っているという気持ちがあったためか、登った先々で同じ百座を目指す登山者との会話も弾みました。そんな登山者たちは「今いくつ、あといくつ」、遠方から来て「明日中にあの山へ、まとめて何座」という具合に、頂上で休憩する間もなく駆け下りるように下山する姿がありました。
一般の登山者から見れば私も同様の姿と思われているのか?。自分自身も含め何か違和感を感じるようになりました。

 

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山への接し方や登山スタイルが変わった丹沢山と登山講座

 

そんな思いが吹っ切れる出来事が2つありました。
それは29座目に登った丹沢山でのことです。頂上で当時77歳の登山者と話をする機会がありました。その方は毎週麓の大倉から最高峰の蛭ケ岳まで日帰り往復していると話していました。通常この行程は一泊二日のコースです。早朝から登り、夕方下山する日課で都合200回登ったそうです。その方は丹沢の四季の移ろい、草木や鳥のさえずりなど目を細めながら楽しそうに語ってくれました。
こうした方がいるんだ。本当に山が好きで、一つの山でも耳目を広げれば多くの発見や喜びがあることを教えてくれました。

もう一つは、登山講座です。登山家山田哲哉氏の5回の講座でした。
この講座は初心者からリーダーまで、無雪期の登山に必要な知識と技術を学ぶものでした。
特に「縦走登山」を推奨するもので、登山に関する多くのバリエーションとしての登山形態の基本はすべて縦走登山にあるという教えでした。
山を全体から把握して、地図を読み、天候を見極めながら歩む中で様々な発見や出会いがあることを教えてくれました。

「日本百名山」の著者深田久弥は「百の頂に百の喜びあり」という名言を残しています。
百名山の選定に当たっては、山の品格、山の歴史、個性のある山の3つを基準にしています。このことは、”その土地の歴史を含め山全体のことを知りなさい” と語っているように思えます。そのことを理解した上で登れば様々なものが見えてきますよ。”麓からゆっくり山を感じながら登りなさい、そして頂上に立った時、それが喜びに繋がるんですよ” と私はそう捉えました。

 

登山をとおしての自分スタイル

 

そんな出来事がキッカケとなって、次からの登山のしかたをいろいろと考えてみました。

こんな登山をしたら面白いだろうな、こんなルートで登ったら景色がいいんじゃないか、絶景を見るために晴れの日に登ろう、もう一泊増やしてでもこの山小屋に泊ってみよう、その土地の文化や食を一緒に楽しんでみよう・・・。

自分がやってみたいことを挙げてみると、いろいろなパターンの登山ライフが浮かび上がってきました。もちろんこのことは、初めからプランニングしたものではありません。実際にいくつかの山旅の中で生まれてきたものです。

 

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sea to summit Mt Fuji (海抜ゼロからの富士山)村山古道を辿って

 

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北アルプス縦走

 

振り返って見れば、

縦走登山:北アルプス9日間の縦走。南アルプス10日間80km縦走、百名山7座を含む無名の山々26座。

海抜ゼロからの登山:富士山~地図片手に江戸期の村山古道と樹海の登山道から頂上へ。鳥海山~ゼロtoゼロ達成、剱岳~富山湾から早月尾根を経て頂上へ。

テント泊登山:雲取山、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳

滞在型の登山ライフ:北海道ロングステイ9座(3年連続)、九州4週間の山旅3座、四国3週間の山旅2座、東北の山旅数回14座。

又、出来るだけ晴れ日に登るため、例えば、斜里岳2週間待ち、羅臼岳や阿寒岳、トムラウシは1週間待ち、利尻岳5日間待ちも天候回復せず翌年越し。九州、四国では数日間天気を見ながらチャレンジ。
これも滞在型の登山ライフにしたことで晴れ日登頂が実現しました。
東北の鳥海山、月山、朝日岳などは麓まで行ったものの天候不順のため無理をせず諦め3度目にして達成。

 

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南アルプス大縦走

 

全国各地、夫婦で登山をしながらのくるま旅やロングステイを楽しんできました。
そんなことから、カミサンもまた多くの百名山に登りました。又、登山口や麓で散策しながら私の下山を待つこともありました。
それは、登頂しなくてもその山の姿を一緒に見たり、その土地や文化を知ることが共有できました。

百座登頂の内訳は、単独71座、夫婦登頂25座、山岳倶楽部4座でした。尚、夫婦で共に目指した百名山は半分以上の計55座でしたから、夫婦で達成できたものと思います。

 

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日本百名山登頂記録

 

 

安全な登山を考える

 

最近の登山ブームにより若者や女性ハイカーが増えてきたように思います。アウトドア人気も含め自然の中で身体を動かすスポーツとして見直されてきたのでしょうか。
一方、こうした状況の中で毎年のように遭難事故が増加していることに懸念します。

遭難の主な事故例は、一般的に道迷い、滑落事故、気象遭難があります。又、遭難する山に百名山が多いことに気づきます。
私も今回振り返ってみて、百名山の遭難事故についていろいろと考えてみました。

百名山は人気の山ということでその分多くの登山者が訪れます。その比率からいえば当然その遭難数が多いということになります。
日本全国にある百座を実際に登ってきたわけですが、私が思うに他の山々に比べ登山道が整備され、標識やマーキングなどもしっかり印されていました。この状況から「道迷い」はあまり考えられません。
次に「滑落事故」ですが、百名山で特に考えられる山として、例えば、北アルプスの剱岳、槍ヶ岳、奥穂高岳など標高が高く岩稜帯の山がありますが、それなりの安全器具、整備が施されています。クサリ、ロープ、ハシゴ、足場の固定など・・・。
もちろんそうした器具、整備があっても滑落することはありますが。

 

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最後に「気象遭難」、私が最も危惧する事故です。
夏山のような無雪期の登山であっても油断なりません。実際に夏山で起きた気象遭難は多いです。私も北アルプスでそうした登山者に遭遇した体験がありました。
ではなぜ気象遭難が多いのか?、一言で言えば「余裕がない」。「余裕ある時間がない」「気持ちの上で余裕がない」ということでしょうか。早く行きたい、早く着きたいという思いからなのか?

百名山の場合、他の山に比べ目的意識を持った登山者が多いです。それは百座登頂を目指すというはっきりした目的があるからです。このことが事故につながる要素を含んでいることです。
遠方から来て、多少の天候不順でも登る登山者は非常に多いです。実際、この風雨で行くの?、と思った場面はたくさんあります。又、山小屋に駆け込んでくる登山者を何度も見ています。
休日を利用して限られた時間での行動ですから、天候悪化でも多少の無理は致し方ないものがあります。しかし、自然の景色や山の絶景、草花さえも見られない、更に命に関わる危険を冒してまでも登るの?
こうした行動が気象遭難につながります。気象遭難は単に低体温症だけではありません。風雨やガスで視界が定まらないための道迷い、雨で濡れた岩稜帯での転倒・滑落、強風に吹き飛ばされての滑落など、気象変化による遭難は、山の事故原因全てを包含するものです。

もう一つは、パーティ登山(ツアー含む)です。天候不順で行くか、行かないかの判断が非常に難しいです。個人であればあっさり諦めもつきますが、大人数だとそれなりの考えが入り混じります。同時に限られた時間での行動もそれに拍車をかけ判断ミスが起きたりします。

非常に残念なことですが、百名山だからこそ起きた事故だと言っても過言ではないと思います。目的があまりにも明確だったため無理をしてしまう行動があるのではないでしょうか。

 

冒頭で「時間がある」ということに触れました。
私は退職後、時間に余裕がありました。無理をせずじっくり山と向き合うことを丹沢の登山者、登山家の山田哲哉氏、そして、日本百名山の著者深田久弥氏から教えてもらいました。
又、山旅を続ける中でその土地の文化に触れ、美味しいものをたくさんいただくことができました。
「時間がある」ことをかみ砕けば、それは「気持ちの上で余裕があった」ということなんでしょう。百名山登山中、一度も危険な状況に陥ることなく、楽しく登山ができたことに感謝したい気持ちです。

 

「日本百名山を振り返って」 つづく

次回は、思い出の山々

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