残雪の長沢新道を経て
天上の楽園「アヤメ平」へ
早朝の尾瀬ヶ原と朝日に照らされた至仏山
尾瀬沼を引き立てるものが燧ケ岳とすれば、尾瀬ヶ原のそれは至仏山であろう・・・。
広漠とした湿原の彼方に遠く白樺の混った立木が並んで、その上に、悠揚迫らずといった感じで至仏山が立っていた。そしてその山肌に散在した池塘に明るい影を落としていた。
深田久弥著「日本百名山:至仏山」より
日本百名山の選定は、深田氏の登山経験によるもので、1940~50年代にかけての山岳紀行がもとになっていると言われています。
実際に登ったのはそれ以前であることから、上記の文は今から80年以上前ということになります。
とすれば、当時と同じ光景(上記画像)が今も変わらずにあるということでしょうか。
戦前から戦後にかけてまだ木道が整備されていない時代、尾瀬を訪れた登山者は湿原を自由に歩き回ったため湿原の荒廃が進行したそうです。その後「植生復元」活動が始まり現在に至っていると聞きました。
深田久弥は著書「日本百名山」の〈燧ケ岳〉の章でこのようなことを記していました。
戦前私は数回尾瀬へ行った・・・
尾瀬が日光国立公園に入れられてから、非常に賑わうようになった。尾瀬沼のほとりに真白な水芭蕉の咲き充つ頃が一番のシーズンで、尾瀬のすべての小屋が満員になるそうである。
調べてみると、尾瀬が日光国立公園の一部になったのが昭和9年(1934年)でした。今から87年前になります。
戦前戦後の頃、すでに尾瀬はハイカーたちのメッカになっていた様子がうかがえます。
植生復元とその維持活動があったからこそ80年以上も変わらない今の姿があるのでしょう。
朝食の後のコーヒータイム
尾瀬ケ原と至仏山を見ながらの一杯は格別でした。
晴天に恵まれた二日目。長沢新道からアヤメ平へ
進行方向の右手、尾瀬ヶ原の北方面に小高くそびえる景鶴山(けいづるやま:2004m)
私はまったく知らない山でしたが、メンバーの一人が木道を歩きながら「以前、積雪期に登ったけど大変な思いをした」と話してくれました。この時、頂上直下付近でなんと15mも滑落したそうです。積雪から出ている木にわざと身体をぶつけるようにしてようやく止まったと話してました。軽い打撲だけで済んだそうで何よりでした。
我々の登山倶楽部のメンバーにはこんな強者?もいるんです。
尾瀬ケ原に咲く高山植物
ミネザクラ、クリンソウ、タテヤマリンドウ
竜宮から富士見田代に登るコースが長沢新道です。
地図からもわかるように右が長沢、左がセン沢に挟まれた長い尾根道を登るコース。
特に長沢から長沢頭に至る等高線は密になっていて、尾瀬トレッキングとはいっても厳しい急斜面です。
尾瀬ケ原の景色から一変した樹林帯。ダケカンバの白い樹皮が青空に映えて美しいです。
しばらく登っていくと一面残雪に覆われていました。
標高が高く樹林帯ということからまだまだ解けきっていないようです。
木道は完全に埋まりトレースさえもありません。
手掛かりは赤いリボンの目印だけでした。アイゼンがなくても大丈夫でしたが、やはり緊張の連続でしたね。
富士見田代
池塘越しに燧ケ岳を眺望
アヤメ平へ続く稜線と燧ケ岳
アヤメ平と至仏山
アヤメ平の標高は1960m。盆地状の尾瀬ヶ原(1400m)と比べると500m以上高い地にあります。
まさに天上の湿原といったところでしょうか。
そんな高地から望む景色はぐるり360度さえぎるものはありません。
周囲を見渡すと上信越の名峰たちが居並んでします。
目の前の燧ケ岳、至仏山をはじめ、日光白根山、皇海山、赤城山、武尊山、平ケ岳、会津駒ケ岳などの百名山が・・・。
一つの山の頂に立たなくても、本格的な登山者でなくても、気軽なハイキング気分でこれだけの名山を眺望できるところはなかなかありません。
そういう意味では、このアヤメ平は尾瀬ヶ原と並んで尾瀬の貴重な存在だろうと思います。
2日間の尾瀬トレッキングは、ミズバショウとこの時期ならではの高山植物を楽しむことができました。
今回、前編・後編をとおして尾瀬ヶ原やアヤメ平、そして燧ケ岳と至仏山の山の話題を中心に記しました。
この両山は、常に ”尾瀬と一対” の存在だろうと思います。
特に登山者においては、例えば、燧に登ってくるは「尾瀬に行ってくる」と同義語、至仏山はどこにあるの?と聞かれれば「尾瀬だよ」と応える。
これが近くの平ケ岳や会津駒ケ岳に登ってくるは、尾瀬に行ってくるとは言いません。又、どこにあるの?と聞かれても尾瀬だとは応えません。それでも地理的にどの辺りなの?と聞かれれば「尾瀬の近くだよ」と応えると簡単です。
それだけ尾瀬の存在は大きくメジャーだということなんですね。
主役はあくまで「尾瀬」なのかもしれません。だが燧ケ岳と至仏山は、どちらかというと個々の山がバラバラに存在する印象がある上信越一帯の山に対し、尾瀬を仲人にしてスクラムを組んで、両アルプス(北・南)にも対抗できるほど存在感を持つに至った。
樋口一郎著「新釈日本百名山」
そう思いますね。やっぱり「尾瀬が主役」なんだと。
そんな尾瀬行きは、登山倶楽部として来年あたり8回目を数えるかもしれません。