小説「うちの父が運転をやめません」

高齢者の運転事故~現代社会の様々な問題が内在?

過疎化と買い物難民

 

小説のタイトルだけを見ただけで物語の展開が想像できます。
柿谷美雨の小説のほとんどが、こうしたタイトルが多いことに気づきます。

「老後の資金がありません」「夫の墓には入りません」「あなたの人生片づけます」「うちの子が結婚しないので」「七十歳死亡法案、可決」「子育てはもう卒業します」「女たちの避難所」「定年オヤジ改造計画」「四十歳、未婚出産」・・・。

この一言の題目で私やカミサンはもちろん、多くの読者はいろいろなことを想像しながら引き込まれていくのかもしれません。
私たちが普段の日常生活の中で思っていること、感じていること、見聞きしていること・・・これらを物語の会話の中で何気なくストレートに表現しているところに驚きを感じます。
そこには、「そうなんだよな~」と何度も頷きながら読んでいる自分がいました。

筆者はこうした私たちの日常生活にある出来事を小まめにチェック・メモしているのでしょう。
更に、新聞・TV・ネットなどで報じられる様々な社会問題に目を配り、実際に細かな取材を重ねているのでしょう。
作家として作品を仕上げる行程から言えば当然のことなんでしょうが、ちょっとした会話や感情の一文の中にしっかり凝縮されているところに面白さがあります。

筆者の今までの小説では主人公が女性でしたが、今回の物語は男性(夫)でした。
女流作家ということから女性の立場で社会を観察し、様々な不合理性や男女差別・格差問題を投げかけてきました。
しかし、今回の小説では男性もまた同じように考え行動することに焦点を当てていました。

物語は、都内の分譲マンションで生活するサラリーマンの主人公(50代)とデザイン会社の管理職として働く妻、そして高校生の息子の三人暮らし。
田舎(主人公の実家)で暮らす70代後半の父母のことを交えながらストーリーが進んでいきます。
主人公の父が運転をやめないことが主になりますが、それぞれの生活の中で起きている様々な状況や社会問題を浮き彫りにしている小説でした。

主題である「高齢者の運転事故問題」そのものだけに留めず、それらを取り巻く社会環境をからめながらの物語であったことから、読者自身が考えさせられる小説だったように思えます。

物語にあった ”今社会で起きている” いくつかのキーワードを列記してみました。

■核家族~田舎で暮らす親と都会で生活を営む息子・娘たち
■住宅ローンを抱えての夫婦共働き家庭~自分たちの生活で精一杯の現実
■親の介護、認知症
■学歴重視社会~教育費、学業中心の子どもたちの生活
■都会と田舎の経済格差~仕事の有無、賃金・所得差、資本主義とワーキングプア
■過疎問題~田舎の高齢比率増、大手小売り資本の台頭とシャッター商店街、買い物難民
■地方の交通機関減少~鉄道・バスの廃線や間引き運転、地方自治体のあり方・各市町村での対策
■車優先社会と狭い道路事情

こうしてみると、多発する高齢者の運転事故原因が一般的に言われる認知症や身体能力に伴う運転操作の誤りはもちろんのことですが、その背景には ”変化する社会構造” も考慮しなければならないことを暗に指摘している小説でした。

 

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実際私たち夫婦は、小説の家族と同じような環境や境遇の中で共働きして子育てをしてきました。
そんなことから自分たちと物語が重なる思いを感じながら読み進めました

物語の一文に、

自分たち夫婦は、親として罪な子育てをしてきたのだ。
でも、自分も歩美(妻)も一生懸命だった。東京でサラリーマンとして生きていくためには仕方がなかった。
パソコンや携帯電話が普及したことで、世の中は格段に便利になった。だからといって、仕事が効率化されて、少ない時間で仕事が済み、その結果としてプライベートな時間が増えた・・・とはならなかった。事実はまったく逆だ。便利になればなるほど仕事は忙しくなり・・・。
便利さを求めるのはいいが、何のための便利さなのだろう。人生を豊かにするための道具ではなかったのか。

こうした状況の中では、田舎で暮らす親のことを考える余裕はありません。
高齢化になった親の様子はどうだろうか、介護の必要性は? 不便な田舎では車を使って買い物にいく手段しかないことさえ気にならなくなってしまう現実があると思います。

私たち夫婦がそんな親のことを真剣に考えるようになったのは退職後でした。
私たち二人の父親は共に車の運転はしませんでした。今思えばそれだけでもなりよりといった思いです。
ただ、二人の母親は気が付いた時にはすでに要支援を飛び越え「要介護」の状態でした。

多分こうした状況は私たち夫婦だけでなく、多くの人たちが50代以降になる頃から現実として経験・実感しているのではないでしょうか。

 

 

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今、社会問題となっている ”高齢者の運転事故” といえば、私は三つのことが思い浮かびます。

一つは、兄(次兄)が婿にいった先のお父さん(義父)のことです。
農業一筋で仕事生活してきた義父は、80歳になっても運転をやめませんでした。農業に従事していたことから車は軽トラです。
家族の皆が危ないから運転をやめるように何度も忠告したにもかかわらず、頑固一徹で聞く耳を持たなかったそうです。
農道から田畑に落ちる、側溝に脱輪する、あげくは相手の車にぶつけたにも関わらず運転席に座ったまま車から出てこない・・・。
そんな義父のことを兄は嘆いていました。

これに類する一文が物語の中にありました。

思わず溜め息が漏れた。
父は相変わらずだ。皮肉屋で頑固な性格は一生変わらないらしい。こんな人間に運転をやめさせるなんて至難の業だ。言えば言うほど意固地になりそうだ、

二つ目は、2019年に起きた池袋暴走事故です。
この事故はメディアでも大きく取り上げられたので詳細は省きます。事故調査ではアクセルとブレーキを踏み間違え運転操作を誤った可能性が高いとされていますが、事故を起こした本人は車の異常を主張し今でも裁判が続いています。
何よりも犠牲になったお二人(子どもと母親)のことを思うと今でも胸が痛みます。

三つ目は、先日目の前で目撃した正面衝突事故です。
近くの桜を見に行った帰り、交差点で右折待ちをしていました。私の車の前に一台の軽自動車が同じように右折しようと待機していました。信号が青になっても直進車優先ですから通過するまで待っていたところ、その軽自動車は直進車が走ってきたにも関わらず何を思ったのか突然発進!、当然のごとく正面衝突でした。
お互い怪我はなさそうでしたが、軽自動車の運転手は高齢の女性でした。後で思ったのは、多分アクセルとブレーキを踏み間違えたのではないかと。

多分皆さんも身近で大なり小なりこうした高齢者の運転事故のことを見聞きしているのではないでしょうか。

 

物語は父親が運転をやめないことから、主人公の生き方そのものまで変わっていく様子が描かれています。
両親のことと同時に、サラリーマンとして都会で暮らし続けることや子どもの将来のことなどが相まって、「俺たち、何か間違ってないか」(小説の一文)という想いが募っていきます。

 

現在、介護休暇制度というものがあります。
これは要介護状態の家族がいる場合、有給で会社を休むことができる制度です。更に、2021年1月の制度改正によって時間単位での取得が可能になったそうです。
しかし、こうした制度も一般的な有給休暇制度と同じように会社によってはまだまだ取得困難な状況にあるのではないでしょうか。

今の社会の現実的な問題として物語の中ではこんな風に表現されていました。

「お袋には永遠に生きていてもらいたかったけど、あれ以上会社を休んだら、社内に俺の椅子がなくなったと思うよ。介護休暇はできれば取らない方がいいぜ。法律では決まっていても、うちの会社ではな」

未だに有給休暇でさえも取りづらい雰囲気がある。
いつの日か、介護休暇や男の育児休暇が、まるで日曜日に休むように当たり前に取れる日が来るとしたら・・・それはたぶん、自分たちが定年退職したずっとあとのことだろう。

自分や家族のための有給休暇、子育てのための育児休暇、更には親の介護のための休暇・・・、こうした休暇を有効に使うことさえできない状況は現実です。
「高齢者の運転事故」とは直接関係がないかもしれませんが、心の余裕がない、時間的余裕がないという今の社会構造が連鎖的に多くの問題を引き起こす要因にもなっていると思います。

今では定年退職とはいっても年金だけでは暮らせない、ましてや低賃金で抑えられてきたサラリーマンにとっては老後の資金さえゆとりがない現実があります。
そんなことから継続雇用、定年延長などで働き続けなければならない現実もあります。これでは親の介護さえも真剣に考える余裕もありません。
そうした状態がまさに「高齢者の運転事故」につながっていくことも考えられるのではないでしょうか。

 

物語は、主人公が会社を辞めて田舎に戻り「移動スーパー」で働くことになります。
過疎化が進む中、高齢者の ”買い物難民” を目の当たりにして、その救済の一助として生き方を変えていく様子が描かれていました。

「移動スーパー」?
一昨年、北海道の知内町で二週間のお試し住宅暮らしをしました。
その場所は、市街地から数キロ離れた海岸沿いの集落(漁村)にありました。そこは食品雑貨店や食堂、ましてやコンビニもありません。買物するためには車で市街地まで行くことになります。
昔は道路さえもなく船で行き来きした所だったと聞いて驚きました。

 

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2019年9月 北海道くるま旅で二週間滞在した知内町のお試し住宅

ここには定期的に軽トラックの「移動スーパー」が周ってきていました。
生鮮食品、日配食品、加工調味料、お菓子、日用品などを改造した荷台の棚に陳列していました。
日常生活に必要な商品ばかりでしたから、特に不自由を感じさせない品揃えです。
田舎でこうした移動販売があることは聞いていましたが、実際に利用したのは初めてでした。
過疎化に伴い ”買い物難民” という実態を目の当たりにした体験でした。

 

この本を図書館で予約したのが2月中旬でした。その時7~8人ほど予約待ちがありました。
実際に借りられたのが4月下旬でしたから二か月以上待ったことになります。私が借りた後には8人の予約があると係員が話していました。
書籍は1600円(税別)です。書店やアマゾン・メルカリなどで買ってもよいのですが、予約された方々と同じように気長に待つ方を選びました。
柿谷美雨の書籍は相変わらず人気があるようですね。

この本は特にシニア世代にとって面白い小説だと思います
本来であれば若い世代に読んでもらいたい本ですが、現実には今の生活が精いっぱいでピンとこなく面白味や感動も少ないのかもしれません。
こうした想いは私たちの世代になってようやくわかることなのでしょうか。

ぜひお勧めしたい一冊です。

6 thoughts on “小説「うちの父が運転をやめません」

  1. 今晩は。またまたタイムリーな話題です。

    私の友人の一人に今年80歳になる人がいます。
    埼玉県の北部の一戸建てに独りで住んでいます。

    最寄りの駅から車で15分くらいでしょうか。
    家の前は田んぼで近くにはスーパーなどはありません。

    長閑で良い場所ですが、車がないとやはりとても不便です。
    彼女もあと3年くらいは頑張らないといけないけど・・・と
    言っていますが、先日一時停止を無視して罰金プラス認知症の検査が
    あったそうです。
    一回目で合格しなかったので再度検査をしてもらい
    合格できたと言っていました。

    独りで気ままに暮らしてきたので、息子さん家族との同居は
    考えていないそうですが、「最近、物忘れが激しくてこれから先が心
    配・・・」と言っています。

    私の携帯電話はかけ放題ですので、一週間に一度は電話するように
    しています。

    買い物難民の話題は良く聞くようになりました。自治体で公的自動車を
    週に一回出してくれて買い物に行く人もいるそうですが、移動スーパーは
    ありがたいですね。

    婦人公論に連載されている垣谷美雨さんの「もう別れてもいいですか」が
    今回で終わりました。
    心穏やかに生活を始めた58歳の主人公の姿にほっとしました。

    1. Roseさん

      婦人公論に連載されている垣谷美雨さんの小説読まれていたんですか!
      私は最近あるブログのコメント欄で知りました。「もう別れてもいいんですか」というタイトルだけでも物語の展開が予想できます。
      いままでの著者の小説のように面白く、そして深みのある物語ではないかと想像できます。
      ぜひ読みたい小説です。

      ご友人の80歳になる方のお話を聞いて、やはりこうした問題は多いですよね。
      多発する「高齢者の運転事故」の背景にあるものが、私たちが考えていることよりかなり深刻な問題だと思うようになりました。
      何かいい方法がないものかと思います。

      小説の中で、行政の「箱ものづくり」よりもっと優先すべき課題があるのではないか、又、地方議員の役割についての話も出てきていました。
      確かにこうした問題は、高齢者の運転そのものだけを非難するのではなく、介護と同じように社会全体で対応すべき課題ではないかと思います。
      「自治体の公的自動車」はその対策のひとつですよね。

      うちのカミサンも最近「長距離運転はもう無理だわ」と話しています。買物とカーブスに行く程度だったらと車での行動範囲が限られてきています。
      自分たちも近い将来いつの日か(免許証返納)、と話し始める年齢になりました。

      コメントありがとうございました。

  2. 我が家は今年で運転免許証を返納します。
    夫は3月に返納しました。

    私は今月の半ばに手続きをしてきます。車も廃車にしました。

    我が家は狭い集合住宅ですが、始発駅まで4分、近くに
    スーさんが勤務していらした大型スーパーがあります。
    他にも歩いていける大型店があります。少し歩くと
    無人の売店もあり、新鮮な野菜が買えます。

    若い時には気が付きませんでしたが、ここはなんて便利なところ
    なのだろうとあらためて二人で思っています。

    特別な場所も名物もありませんが、住めば都ですね。

    1. Roseさん

      そうですか~、免許証返納ですか。
      私たち夫婦も近い将来真剣に考える時が来ると思ってます。
      やはりそうした決断がいいのかもしれませんね。

      運転ができなくても、生活に不便を感じない周辺の環境が良ければいいですよね。
      Roseさんのお住まいの環境はとてもいい所だな~と思います。
      お近くの大型スーパーは、仕事で何度も行ったことがありますよ(笑)
      今でも知り合いが何人か働いています。

      若い頃家族で西武球場によく行きました。もちろんライオンズの応援です。
      今でもメガホンやフラッグなどの応援グッズを持ってます。毎日のように行くスポーツジム用のバックは「ライオンズバック」です。もう30年位前の物ですが(笑)
      当時カミサンは辻選手の大ファンで、スタンドの最前列でフェンス越しに「辻さ~ん頑張って~」と、球場に行く度に大声で声援してました(笑)
      今では監督ですからさすがですね。

      私も長年川越住みですが、Roseさんもおっしゃるように「住めば都」ですね。

      コメントありがとうございました。

  3. うっかり見落とすところでした~。

    >西武ライオンズの辻元選手

    今の場所に住み始めたころ、西武ライオンズの選手たちも
    私の住む集合住宅にも近所にも住んでいました。
    辻元選手は評判の良い方だったのを覚えています。
    野球大好きちびっ子たちがサインをもらいたくてうろうろしていましたが、
    断ることなくサインなさっていましたよ。

    奥様がファンだったのですね。ファンはありがたいですよね。

    1. Roseさん

      西武ライオンズファンとして、盛んに応援に行ったのは私が30代の頃でした。
      リーグ優勝や日本シリーズ出場の時は、会社をあげてライオンズセールをやりました。
      西武球場で試合があった時は割引チケット片手に会社の同僚たちとよく行きました。肝心な試合の時は動員がかかったほどでしたから、これも仕事の一つでしたね(笑)
      お店で選手のサイン会もよく企画してやりました。
      今思えば、すごい時代を過ごしてきたな~と思います。

      そういえば、当時選手の人たちは、Roseさんのお住まいの周辺に住んでいることを聞いていました。辻選手は人柄も良く人気がありましたね。

      当時は森監督率いる黄金時代でしたね。
      石毛、渡辺、秋山、伊藤、工藤、清原、そして辻など名選手がずらりといました。
      その後も他球団の監督や球団運営などに関わった人たちばかりでした。

      西武遊園地にもよく行きましたよ。
      子どもがまだ幼かったことから、休みの日はピクニック気分で出かけました。夏はプールでしたね。

      Roseさんのお話であの時の良き思い出が蘇りました。
      コメントありがとうございました。

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