福島第一原発事故から10年

TV放送「加害者になった東電社員」

問われていない「脱原発」・・・

 

あの大震災からもう10年経ったんですね。

当時のことは今でも鮮明に覚えています。3月11日は金曜日だったことを。
私はこの時、勤めていた会社(スーパー)の責任者としてお店で勤務していました。金曜日は指定休でしたが、翌土曜日に本部の店舗点検が入る予定になっていたため休日を返上して出勤していました。
地震が起きた時、陳列されていた日本酒、ウィスキー、焼酎などの酒類が落下。通路一面割れた酒ビンと液体が散乱してアルコールの匂いが充満していたことが最も記憶にあります。

真っ先に売れて棚が空状態になった商品は、水・飲料・パン・米・惣菜・缶詰・紙類・電池・・・。
それから数週間に渡って営業時間短縮の中でもありとあらゆる商品が売れ、陳列棚がすっからかんの状態になりました。

又、電車は区間により一時ストップ、ダイヤの乱れなどがあり、まともに通勤することができなくなったため、原チャリで片道20kmの道のりを一週間ほど続けました。
これはガソリンの消費をできるだけ少なくすることと、車通勤だと渋滞に巻き込まれるからでした。
ガソリンスタンドが長蛇の列だったこと、計画停電でロウソクやカセットコンロを使ったことなど・・・多分皆さんも記憶にあると思います。

 

東日本大震災から10年ということは、福島第一原発事故から10年ということです。

「復興」という言葉は、カタチを修復する、もとの盛んな状態にすることを意味しますが、原発事故にはこの言葉は通用しない、当てはまらないことをこの10年で認識しました。
では何年経ったらこの言葉が使えるのか?・・・、誰にもわからないのではないでしょうか。
それほど未曾有の大事故=「人災」だったことを考える10年でした。

 

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この10年という節目に当たって、各テレビ局や新聞などのメディアが特集を組んでいます。
そんなTV番組の一つにNHKの逆転人生「あの日 ”加害者” になった私 東電社員たちの10年」という放送があったので録画しました。

というのも、大震災や原発事故に関わる被災者を対象とした多くの特集番組の中でも、”加害者になった東電社員” のその後の動向に注目したからです。

 

原発事故で暮らしが一変した福島に、倍賞や除染のために赴任した3人の東電社員たち。賠償相談窓口で浴びせられた罵声、基準超えの放射性物質が検出された農村の現実。3人の東電マンは、被災者の怒り、悲しみ、優しさに触れながら、復興のために全力で走り続けた。彼らはやがて、福島の人々と固い絆で結ばれるようになる。
NHK「逆転人生」のHPより

 

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この番組は、当時東電社員だった3人の方が出演し、再現ドラマを交えて賠償相談と被災された地元の人たちとの関わりを描いたドキュメンタリーでした。
当初は被災者から罵声や怒りを買う中でもひたすら耐えて、窓口相談をはじめ除染や農作業の手伝い、雑草の刈り取りなどしながら次第に打ち解けていく様子が描かれていました。

東電社員が除染作業をする中、放置されていた畑を借り受けて実験的に農作物を育てることもされたそうです。
そして、収穫された農作物は汚染されていないことが証明された。

この被災地では毎年町をあげて五穀豊穣のお祭りがありました。
東電社員は、このお祭りのお手伝いと農作物の販売をしたいと、町の自治会長(お寺の住職)にお願いする場面がありました。

 

 

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再現ドラマの一場面

自治会長:「俺は おまえたちの会社に文句を言ってるのであって、個人は責めない」

こうした話し合いの下、お祭りへの参加とお手伝いが了解されたそうです。
又、農作物は無料だとか極端な低価格ではなく、ちゃんとした価格で販売してもらいたいとの依頼があったそうです。
それは、「施しは受けたくない」との思いからだと。

その後、3人の内の一人は東電を早期退職したそうです。しかし、定期的に都内から福島まで日帰りでバイクを走らせ、被災地で知り合った農家のお手伝いをしているそうです。
又、一人は定年退職後、東京に家族を残し、この町の農業に従事しているとのこと。
そして、もう一人は、福島に移住してNPO法人を立ち上げ福島の農産物の販売をしているようです。

 

この番組は、福島第一原発事故を契機に東電社員のその後の人生の変遷を追った放送でした。
自治会長をはじめ被災された方々の怒りは、あくまでも「会社(東京電力)」であって「個人は責めない」という思いはわかるような気がします。
人間ですから様々な思いはあっても、その人個人の誠意が伝われば「責めない」という気持ちにもなります。
ここにおける被災者の怒りは、”原発とそれを推進してきた政府と会社そのもの” だと思います

番組に登場した3人の元東電社員の個人の生き方についてコメントするつもりはありません。それぞれの考えのもとにそうした道を選んだわけですから。

ただ、この放送の全体像については疑問を残しました。
と同時に、各テレビ局が10年という節目に当たって放映された原発事故の特集番組も同じように共通したものがあったからです。
それは、真正面から ”原発の是非” を問い、そして ”原発ゼロ” への方向に向かう放送になっていないことです。

10年経った今の被災者の現状だけが映し出され、又、加害者となった東電社員のその後の人生が変わった話でした。
本当にこれだけでいいのでしょうか?
これらの原因となったのは、まさに ”原発の存在” そのものではないでしょうか。原発が原因で多くの人たちの人生が大きく狂ったのではないでしょうか。

10年経った今、政府と東電を含む全ての電力会社は、原発再稼働に向けて突き進んでいます。
10年前の原発事故の教訓は何も生かされていません。

 

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福島原発事故が起る前、番組に登場した東電社員の一人は都内で「オール電化リフォーム」の仕事をされていました。
この時の営業セールスの謳い文句は「原子力発電でベース電源として潤沢にある」と言うことだったそうです。
そして、まさか原発が!、多くの被災者の全ての生活と生業を奪ってしまった・・・と。

しかし、10年後の今、この謳い文句は引き続き使われていくのでしょう。
なぜなら、現政府と電力各社はこの先も「重要なベースロード電源」として位置づけているからです。

 

新聞、テレビ、ラジオなどのメディアは国民生活に大きな影響力を持っています。
私たち国民の知らない、知らされていない事実を伝え、その真実からどのように考え、どの方向に進んでいいのか指し示す社会的使命があると思います。
そうした観点からいえば、現状認識だけでなくその先の方向性を問う報道が求められるのではないでしょうか。
そこには、損得勘定も忖度もなく、真に国民のいのちと暮らしを守る立場に立って訴える力が必要だと感じます。

 

福島第一原発事故から10年経った今の現状をメディアを通して、”ある一面” だけの映像を目にしました。
その一面だけの情報だけで終わらせることなく、その側面やその裏側がいったどうなっているのか?、見方を変えれば考え方も大きく変ってくると思います。

今回のNHK番組のシリーズは「逆転人生」というタイトルでした。
「加害者となった東電社員」の人生が大きく変ったことから「逆転」ということなのでしょうか?
原発推進を掲げる東京電力の内部から、仮に「脱原発の発言・行動」を起こしたとしたら、結果が見えていたとしても本当の意味での「逆転人生」になったかもしれません。
大きな組織に内部から変革を起こすことは容易ではないし、非現実的なものかもしれませんが・・・。

この放送を観終わって、そんな想像をしてみました。

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