読者コメントの一言から
3つの言葉の意味を考えて・・・
ブログアップして7年経ちました。
この間、全国の読者からのコメントやお問い合わせがたくさんありました。
コメント欄はオープンですから多くの読者が目にすることができます。又、「お問い合わせ」については、私個人のメールアドレスに届きますのでその内容は他の読者にはわかりません。
これらのコミュニケーションに共通していることは、同年代の方がほとんどで ”60歳からの生き方・過ごし方” についてのお話が多いです。
昨年末、某週刊誌「週刊〇〇」から取材の問い合わせがありました。
取材内容は、早期退職についてその後どのように過ごされているかというものでした。
一言で早期退職といっても様々です。
私のように自らその道を選んで退職することや会社事情によるものもあります。又、親の介護や自身の病気、家族の諸事情などいろいろです。
この取材依頼の連絡(メール)に気が付いたのが遅かったため、記者さんと直接お話してまたの機会にということになりました。
これらのことから、早期退職に限らず退職後の生き方や過ごし方について、この年代の人たちにおいては関心があることなのでしょう。
先日、読者のコメントで、ある言葉(用語)がありました。
それは、「やりたいこと、やれること、やるべきこと」
この言葉(用語)は、一般的に働き盛りの人や経営用語として使われ、キャリアアップのために用いられるようです。
主に仕事上の用語として使われています。ある就活サイトでは ”3つの輪” として表現されていました。
今回、私はこうした仕事上での意味合いとは別のかたちで捉えてみました。
それは、私たち ”60歳からの現実” として、これからの生き方・過ごし方に用いようと考えてみたことです。
それぞれの言葉がどのようなことなのか、時間的にはいつのこと?
■やりたいこと~夢、チャレンジ、非日常的なこと・・・近い将来
■やれること ~今日常生活の中でできること・・・現在
■やるべきこと~仕事、家事、他・・・過去と現在
まずこの言葉を世代別に私たちの生活そのものに当てはめたらどのようなモノ・コトがあるでしょうか。
例えば、就活、仕事、結婚、家庭、子育て、子どもの教育費、家のローン、貯金、趣味、旅行、夢、親の介護、健康維持・・・。
もうすでにお分かりかと思いますが、私たち60代の世代にとっては、仕事上第一線でキャリアアップしながら働くことや子育て、家のローンはありません。(全てではないが)
つまり、「やるべきこと」は限られてきているということです。日常生活の中で若い頃に比べればそのウェイトは低くなってきているのではないでしょうか。
では私たち60代にとって「やれること」とは何でしょうか。
これは日常的な生活圏でできるものを指します。仕事を続けていてもある程度の時間的余裕が出来てくる年代だと思います。
そう考えると「やれること」の時間的ウェイトは若い頃に比べ増えているのではないでしょうか。
しかし、この年代になると徐々に自身の健康問題も少なからず起きてくるものです。これが70代・80代になった時にはどうなるのでしょう。
医療器機や他人の手を借りるようになったら「やれること」は限られてくると思います。そして、「やりたいこと」はもちろん「やるべきこと」も少なくなっているでしょう。
次に「やりたいこと」を考えてみましょう。
若い頃は、日常生活の中で「やるべきこと」のウェイトが最も高かったと思います。そうした生活圏では「やれること」を選んで行動していたのではないでしょうか。
「やりたいこと」があっても時間的な余裕がないため、そのことを我慢・封印したままだったと・・・。
そして60代、精神的・肉体的・時間的なことを考慮した時、最も「やりたいこと」のチャンスがある世代だと思います。
そのウェイトは一番大きくなる時期だと思います。
これら3つの用語は、主に仕事上のキャリアアップに使われる言葉でした。
これをあえて、”60代の自分自身” に置き換えた場合を考えてみました。
自分の夢やチャレンジ=「やりたいこと」を行動に移す時、そのために「やるべきこと」を整理して、「やれること」から始めるということなんでしょうか。
ここで ”自分自身” と肯定したのは、今までのように仕事上での利害関係、損得勘定、忖度、他者との比較など一切省いて自身の夢やチャレンジという意味です。
もうそんなことには縛られない、自分を縛らない生き方・過ごし方を指します。
と考えると、60代=最も「やりたいこと」ができる時なんだと。
そして、その時間は「有限」だと意識することが大事・・・行動できる時間は限られているんです。
私は早期退職後、登山、夫婦全国くるま旅、持久系スポーツと大会イベント出場などにチャレンジしてきました。その他にも興味のある社会人大学講座や各種セミナーでの学び、料理や食べ歩きなどもそうでした。
これらはほんの個人の「やりたいこと」の一例です。
個人個人によっては他にもたくさんのモノ、コトがあるでしょう。学習や趣味の世界、旅行一つ取ってもきりがないくらいあると思います。
又、NPO法人や農業従事、ボランティアなども含めれば多岐にわたるでしょう。
そして、退職後8年のリタイア生活を通してわかってきたことは、「やりたいこと」のチャレンジが、更に ”新たな「やりたいこと」” につながってくることでした。
冒頭でお話した読者からのお問い合わせの内容には一つ共通したものがありました。
それは、現在50代、60代のまだ働いている人たちでリタイア後の過ごし方についての質問でした。
例えば、周囲の先輩たちの退職後の様子を聞いて、「時間を持て余す」「やることがない」・・・など不安になるという話がありました。
「時間を持て余す」→「時間を楽しむ」への切り換え
「やることがない」→「受け身」からの脱却
以前、このブログでもお話したことがありますが、”今までを引きずっているため” 常に「受け身」の過ごし方しかできないことに気づくべきです。
だからもっと「能動的」に物事を考え、自ら行動することが大切なように思います。
60代、「やりたいこと」をもっと前面に出してチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
失敗してもいいじゃないですか、中途半端に終わってしまっても善しとしましょう。
なぜなら、自分が選んでプランを立てて、「やれること」の準備をしてやったことなんですから悔いはないと思います。
そうした時間を楽しみましょう。
そしてまたチャレンジしましょう。それが出来る、許される年代だと思うからです。
先日読んだ垣谷美雨著の小説の一文にこんなことが書かれていました。
人間というのは、60歳を過ぎてから大きく成長するのです。
初めて人生を俯瞰することができ、なんのために生きるのかという若いころからの問いに対する答えをやっと見つけ、人間性を磨くことができるのです。
それまで自分の家庭を守ることを第一義に考えるあまり、私利私欲に生きてしまうことの多かった生活も、ふと立ち止まり、来し方を振り返り、もっと広い目で人生を考えられるようになるのです。
いわば、人生の醍醐味とは60歳を過ぎてからなのです。