その国の7年半

検察庁法改正案

無関心ではいられない?!

 

インターネット上で巨大なデモ?が起きています。
安倍政権が今国会での強行採決を狙う検察庁法改正案に抗議するツイッターの投稿が急速に広がっているようです。

 

さる国のおとぎ話である。
詐欺師Aが、その国の政治を取り仕切る最高責任者を名乗るXに不埒な知識を吹き込んだ。
「この国の法ではできないことになっていることも、法を変更することなく、できるようにしてみます」
それを聞いて、Xは喜んだ。それが本当なら、この国の政治は自分の思いのままになると考えたからである・・・。

5/2日付朝日新聞に憲法学者の蟻川恒正氏が寄稿された「その国の7年半」の書き出しです。

 

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コロナ危機が続く中、検察庁法改正案が衆院内閣委員会で実質的な審議開始が強行されました。

すでに新聞、TVニュースなどでも大々的に報じられ、ネット上でも批判が拡大しています。
詳細については省きますが、幹部ポストを退く「役職定年」の年齢を過ぎても政府の判断で検察幹部にとどまれるようにするのが、今回の改正案です。

検察官は一般の公務員とは全く違うものです。
人を罪に問い、強大な権力を持って逮捕することができる唯一起訴権限が与えられているのが検察官です。
かつて総理大臣の経験者まで逮捕したこともあり、三権分立の法治国家としてその独立性が守られてきましたが・・・。

この法案が成立すれば、誰を幹部にとどめ、誰を退任させるかは時の政権の判断に委ねられる。
検察の独立、そして権力の分立という、戦後積み重ねてきた営為を無にするものだ・・・。
コロナ渦で人々は検察庁法どころではないし、最後はいつも通り数の力で押し切ればいい。
政権がそう思っているとしたら国民を愚弄すること甚だしい。
5/12日朝日新聞「社説」より

検察は政治の影響を切り離さないと、政界疑惑などの捜査はできない。
だから、検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、守られてきた。
だが、今回の法案の中には「特例」人事の規定がある・・・。
検察の独立性を覆す法案は撤回すべきなのだ。
5/16日東京新聞「社説」より

 

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冒頭の寄稿「その国の7年半」ではその後に、

さる国のおとぎ話は、この「はだかの王様」によく似ている。
だが、二つの物語には重要な違いがある。それは、「はだかの王様」の哀れな王と違い、このおとぎ話のXは、Aとぐるだったという点である。
「王様は何も着ていない」という言葉が効果を持つのは、王が騙されている場合である。詐欺師と通じ、わかっている者には、「いかさまじゃないか」という告発の言葉は少しも響かない。
告発を意にも介さなかったその国の政治は、同国の歴史上稀なことに、7年半にわたり、その地位にとどまったという。
同「寄稿」

 

この7年半近くの日本の政治を振り返ってみよう・・・。
憲法改正によらなければ認められないとされた集団的自衛権の行使を閣議決定で合意としたことは、国民が保持する憲法改正権を内閣が簒奪したことを意味する。
検察庁法改正案の提出前に検察官の定年延長を実現したことは、国会が有する法律制定権を内閣がかすめとったことを意味する。
現政権は、権力分立の根本を掘り崩したのである。
同「寄稿」

 

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5月15日、元検事総長や元検察OBの人たちがこの改正案に反対する意見書を法務省に提出する、異例の事態に発展しています。

今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺ぐことを意図していると考えられる。

時の政権の圧力によって起訴に値する事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態が発生するようなことがあれば日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊することになりかねない。
意見書からの抜粋

検察OBの人たちはズバリ法案の意図を指摘しています。

 

従う「配下」も共犯!?

 

2014年7月、安倍政権は憲法9条の「解釈」を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をしました。
翌15年9月にこの集団的自衛権の行使可能であるとする安保法制(戦争法)を強行採決しました。

こうした一連の閣議決定や法案採決に至る過程において、防衛省や自衛隊上級幹部からは、憲法9条の制約から政府が従来認めてこなかった集団的自衛権の行使や武器輸出などについて、解禁するよう提言する報告書をまとめていたことも明らかになりました。

又、南スーダンPKO日報問題(「戦闘」が報告された日報)では、防衛省は「日報はすでに廃棄し文書不存在」と言ったものの、実際には電子データに残っていたことから隠ぺいの疑惑が明らかになりました。

更に、森友問題においては、財務省による決済文書(公文書)の改ざんが行われました。
そして、この改ざん経緯の中で近畿財務局の職員が自殺に追い込まれる事態となり、その真相は闇に葬られようとしています。

官邸ぐるみの選挙買収ともいえる「桜を見る会」などへの検察の対応など・・・、多くの国民が納得していないのではないでしょうか。

 

「法ができないと言っていることを、法を変えもしないでできることにする」政権中枢の政略は、無理筋の法解釈と知りつつその正当化をしなければならない「配下」の者たちに過度の負担を強いる・・・。
だが権力分立の破壊を目指すのが独裁者なら、政権中枢は独裁者ではない。その「配下」の者たちも、政権中枢のハラスメントに喘ぐだけの単なる被害者ではない。
・・・・・。
政権中枢から無茶な法解釈変更を求められ、身体的にも疲弊の底に突き落とされた「配下」の者たちもまた、その代償として組織防衛なり人事上の利益なりを暗黙に期待した限りで、結果的に政権中枢との間に不純な共犯関係を築いている。

憲法の基本原則を壊しているという大それた意識もなしに権力分立の根本を掘り崩すことができる政権中枢と、何らかの見返りを期待するが故に政権中枢の求めとあらば多くの法律家が不可能と考える法解釈変更の正当化さえ甘んじる「配下」の者たち。
同「寄稿」

 

その7年半の政治の中でよく言われ始めた「忖度」という言葉があります。
この「忖度」の具体的な中身について、蟻川氏は寄稿の中でおとぎ話を事例に出して分かりやすく論理的に説いています。

「いかさまじゃないか!」「おかしいじゃないか!」という告発の言葉は少しも響かないことがよく分かります。

なぜ、このように権力分立が破壊されてきたかの?という経緯は、寄稿の見出しにあったように、

『脱法厭わぬ権力中枢 従う「配下」も共犯』

なんだということがよく理解できます。

 

元財務官僚の高橋洋一氏の著書『官僚の真実』の中で、「官僚の一番の ”強み” 」と題してこのようなことが書かれていました。

官僚は自分たちの仕事がしやすいように、さらには、利益が誘導できるように法令をつくっていることが多々ある・・・

戦後、日本は、経済的自立と豊かさを至上命題として掲げ、行政主導で特定産業の保護や育成をしてきた。社会全体が経済活動に集中できる環境を、与党・官僚・業界団体が、一体となってつくり上げ、維持してきたといえる。
この過程で、行政主導の産業政策が次々と推し進められた結果、行政権がどんどん肥大化してしまった。
省庁を動かしてきた一部の官僚たちが、実質的に政治的な権限を掌握するようになっていったのである。
つまり、政治家が命令して官僚を動かすという政治主導にはならず、官僚が主体的に法律案をつくって、実際に動かすという ”官僚主導” ができてしまった。
「官僚の真実」より

もちろんこうした官僚の思惑というものは、全ての国家公務員に当てはまるものではありません。
現に森友問題で公文書改ざんに関わった職員の人たちが、良心の呵責にさいなまれたことも明らかになっています。
政権中枢に近い周辺の一部の官僚であろうかと思いますが・・・。
肥大化し権限を有する行政の組織では、このようなことが行われる下地は十分に考えられるのではないでしょうか。

過去の自民党政権の中でこのような政治が行われてきた政権があったでしょうか?

蟻川氏は、『「新しい判断」ひとつで合憲や適法にしてしまう政権は、現政権以前にはなかった』と述べていました。
私もそう思います。

 

今回の検察庁法改正案は、今まで法治国家として歩んできた日本において権力分立を大きく覆すものです。

あるジャーナリストがこのようなことを述べていました。
「権力にとって、一番都合がいいのは無関心、忘却です」

又、元財務官僚の高橋洋一氏は著書の中で消費税増税に関連して、
「財務官僚は、消費税を増税すれば、経済が悪化することくらいは理解している。だが、彼らは、それでも ”善し” と考えている・・・。官僚の中の官僚である財務官僚は、経済全体が悪くなっても相対的に官僚の地位が向上することを知っている」

 

蟻川氏は寄稿の最後に
「おとぎ話の続きを書くのは、その国に現に生きている人々である」
と結んでいました。

7年半の政権を振り返ってみると様々な法解釈によって不法な政策が推し進められてきました。
そこには権力中枢周辺の不純な共犯関係も明らかになってきたのではないでしょうか。

私たちはこうした政治に対して本当にこれでいいのか、常に注視し関心を持ち続けることが大事なことだと思います。
なぜなら、私たち国民生活の安心安定は政治と深く結びついているからです。

2 thoughts on “その国の7年半

  1. 我々日本国民は、老若男女問わず水戸黄門が好きではないでしょうか。
    ストーリーの中では権力者が正直者を苦しめるシーンに、いてもたってもい
    られない気持ちにさせられますが、最期には「勧善懲悪」で終わることに爽
    快感が湧くものでしょう。

    今回は検察OBが黄門役を買って出たことに、一縷の希望を持ちました。
    と言ってもこれで引き下がるかどうかは微妙ですね。

    以前にも紹介したと思いますが、後藤田正晴さんが、この人だけは総理にし
    てはならないと言ったとおり、「人としての情がない。恥を知らない。その
    恐ろしさなんだ」と思います。
    その意味でも関心を持ち続けないと、国の借金以上に負の遺産となってしま
    いますね。

    https://yuzawaheiwa.blogspot.com/2018/07/blog-post_6.html

    1. 凡夫さん

      お久しぶりですね。

      >関心を持ち続けないと、国の借金以上に負の遺産になってしまいますね。

      全く同感です。
      恐ろしいほどの負の遺産になると思います。

      昨日、政府・与党はこの検察庁法改正案の今国会での採決を断念しました。
      これはこの法案に反対する世論の声が急速に広がったからだと思います。

      しかし、採決断念するも継続審議することは変わりません。
      引き続き、検察幹部の役職定年の延長を内閣の一存で可能とする「特例」部分を撤回させなければなりません。
      又、違憲・違法な決定で黒川検事長は今も職に就いています。この閣議決定も撤回する必要があると思います。

      採決を断念したからといっても、違憲・違法なことに対しては関心を持ち続け、声をあげていくことが大事だと思います。

      コメントありがとうございました。

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