60歳からの現実(リアル) (29)

定年後のお金の使い方

「もう一人の自分」創り?

 

コロナウィルスの感染拡大は留まることがありません。
今日も市民スポーツセンターにトレーニングに行ってきましたが、来館するシニアのおじさん、おばさん方の数は日に日に少なくなってきています。
いつもの半分といったところでしょうか。

帰りに図書館とスーパーに立ち寄ってきました。
図書館はいつも閑散としていますが、どういうわけか貸し出しの受付に来館者が列をなしていました。
週末出歩くことを控えて自宅で過ごす時間が増えていることからでしょうか。
スーパーでは、SNSのデマによりトイレットペーパーやティッシュペーパーが売り切れ状態でした。
紙類の製造はほとんどが国産品なのに買占めに走るお客さんが大勢殺到したのでしょうか。

日常生活の普段の光景が大きく変化してきていますね。

 

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毎月末は家計簿の集計です。
退職後、毎日家計簿をつけるようになりノートは7冊目になりました。

国立社会保障研究所の調査によると、家計簿をつけている家庭は25%だそうです。
働いていた頃は、仕事が忙しく手間と時間がかかるので、特に意識することなくアバウトで金銭管理?していました。
しかし、退職後は働いて得る収入もなく年金(公的、個人)だけなのに、なぜ家計簿なの?
というのは、毎月の支出がどのくらいかかっているのかを知るためでした。
それも費目(食費、日用品、交通費、医療費・・・)によってどのくらい?かを把握するためでした。

そして、家計簿をつけるようになってハッキリ分かったことがいくつかありました。
それは、毎月の支出金額が一定だったことです。それも費目ごとほぼ一定額なんですね。
費目ごとに予算をつけていたことが良かったのでしょうか? 家計簿をつけるという行為が意識・無意識のうちにコントロールしていたのではないかと思いました。
お高めの書籍購入や服、外食頻度が多ければ、こうした支出はいっぺんに変わってしまいます。
「家計簿管理」という歯止めがかかっていたからこそ一定額に収まっていたのではないかと。
それと、人間の生活パターンというのはあまり変わらないということなんですね

一般的にリタイアした夫婦二人の最低必要な生活費は、月額22~25万円という数字がどの資料からも出されています。
私たち夫婦の場合もほぼこの金額に相当していました。
これ以外に住居費(賃貸、分譲、戸建てなど)や各種保険・ローン、趣味など個別にかかる費用はそれぞれあるかと思います。

それらを入れた2人以上世帯の平均的な一ヶ月の消費支出の額は、
50~59歳の世帯で34.2万円、60~69歳の世帯で29.1万円、70歳以上の世帯で23.7万円だそうです。
(2018年 総務庁統計局家計調査より)
これらの数字をみると、年齢が上がるにつれて消費支出は明らかに下がる傾向にあります。

以前、母の家計簿についてブログアップしたことがあります。「母の家計簿」
母が当時80代後半の頃に毎日つけていた家計簿を見ました。大学ノートに線を引き見開き2ページを一ヶ月分のページに割り当て毎日の支出金額が書かれていました。
銀行の引き落とし分(公共料金、固定資産税、新聞代など)も含めて一ヶ月の平均支出を算出すると約6万円でした。
一人の生活で6万円!?、夫婦二人だったらそれ以上かかりますが、この年代の消費支出は思っていたより少ない!というのが実感でした。
もちろんこの金額は、特に深刻な持病もなく医療費などの支出がなかったことや持ち家だったこともあるからでしょう。

しかし、一方で教えられたことは、私たちの身の回りの判断基準というのが、ほとんどの場合「平均」を尺度にしているように思います。
私自身もそのこと(平均)を参考にする場合が多々あり、平均レベルなのか、上か下かなどと比べたりすることがあります。
「参考にはすれどこだわることではない」ことを母の家計簿から教わったように思えます。
それは、それぞれの生活スタイルや個人の考え方があるからだと思うからです。

 

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私の周りの友人・知人たちなど同世代の人たちと会って話をする機会があります。
60歳を節目に今までの人生が大きく変化する世代ということもあり、話題は仕事以外のことが増えてきます。
それは、自分自身のこれからのことや家庭のこと、地域での活動や趣味のこと、孫や親の介護のことなど多岐にわたった話題です。

こうした中で感じたことが二つありました。
それは、生活パターンが一定に築かれている人とそうでない人。もう一つは、自分や妻(夫婦)の趣味や活動のためにお金を使っている人とそうでない人。
どちらが良いとか悪いとかという話ではありませんが、充実した生活感というものがはっきり見て取れるような気がしました。

 

先日、読んだ本(楠木新著「老後のお金」)にこのようなことが書かれていました。

定年前は、旅行や読書、映画鑑賞など悠々自適のリタイア生活を満喫するつもりだったが、いざ始めてみると、開放感ではなく寂寥感が忍び寄り、世間から自分を隔ててしまったような気持ちに陥ったそうだ。
彼がそこで気づいたのは、充実した生活を継続するには、現役時代の仕事に代わる基本生活、毎日の活動が大切だということだった。
彼はそこから自分なりの楽しみを見つけたという。
楠木新著「定年後のお金」

こうした状況というのは、仕事面でも第一線から外れて働き続けている人でも意外といると思います。
要は、それなりの目的を持った楽しみ(夫婦も含む)を持ち、生活リズムが一定で変わらない日常が構築できるかどうかが充実感につながると思いました。

更に、

まずはもっと自分の時間を大切にすべきだろう。
意味のない仕事以外の付き合いなどはできるだけ排除すべきだ。人生は短いので面白くないことをやっている時間はないと思った方がよい・・・。
歳を取れば体力が衰えて行けなくなるかもしれない。やりたいことがあるなら臆せず早めに取り組むことだ。

よく飲み会などで昔の思い出話をすることがあります。それはそれで楽しかったことや苦しかったことなど様々で、振り返ってみれば良き思い出としてそれぞれの人が持っているものです。
しかし、その話だけに終始し、他人の全く知らない話や自慢話を延々と聞かされては、楽しい宴会も台無しになってしまうことがあります。
私たちの世代は、”今とこれからのこと” が大事な話であり関心があるのではないでしょうか。
なぜなら自分の力で活動できる時間はもう限られてきているからです。(健康寿命)

 

私たちの世代に限りませんが、多くの人は自分の将来のリスクを避けようとして、我慢をしてきたことが多々あると思います。
こうした我慢はもちろん大切なことで、老後資金の不安を考えれば当然なことかもしれませんが・・・。

もっと家族や友人と楽しい時間を過ごし、自分の趣味や好きなことを大切にする方がうまくいくような気がするのである。
老後のために節約ばかり考えるのではなく、中年期の今も大切な思い出を築くために面白がることを意識してはどうだろう。
老後資金が足りないと不安を抱いている人の話を聞いてみると、実はその不安とお金には直接関係はなくて、その人の物の見方や自己肯定感、未来に対する姿勢との相関関係が強いと思えるのだ。

気持ちの持ち方一つでどのように充実した日々が送れるか?ということを教えられます。
お金は将来の生活において大切なものですが、その使い道によっては今を充実(60代~後期高齢者まで)させるために活用してもいいのではないかと思います。

私は友人たちとの懇親会などの席では、よく仕事以外の話をあえて投げかけます。
ほとんど人が継続雇用で今までに比べて責任や勤務時間が軽減され、休日も増えています。
そんな中、登山ツアーに申し込んで全国の山に頻繁に出かけている人、スポーツジムで身体を鍛えて千メートル泳ぐ力が付いた人がいて驚きました。
又、出張先で休日が取れたから、その時間を利用して天城山に登ってきたとメールが届きました。
こうした話は盛り上がります。過去ではなく ”今とこれからのリアルな話” だからです。

これからの中高年会社員の働き方の一つのモデルは、「もう一人の自分」を創るということになろう。
働いていることで・・・、会社を通して社会と間接的につながっているのが特徴である。
そのため定年退職やリストラによって会社という枠組みがなくなると、途端に社会とのつながりを失うことになりかねない。

これに対応するために会社に勤めながら、「もう一人の自分」を創ることが求められる。

このことは、特に50代の頃から意識し、又、60歳定年後に継続雇用や転職した場合もあるでしょう。
又、完全リタイアした人でも全く同じことが言えるのではないでしょうか。

 

「もう一人の自分」、まさにそうしたところに投資した方がよっぽど充実した生活が送れると思います。
それは、夫婦が共通するものであれば、更に充実したものになるでしょう。

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