自分たちの将来を推測して・・・
親の生活実態から学ぶこと
どこの書店に行っても定年退職者に関する書籍や関連本が多いことに小さな驚きを感じます。
中にはコーナー化している書店もあり、その種類の多さに目をみはることもあります。
私自身が退職したことから、そうした書籍に目が留まるのかもしれませんが・・・。
現在、60歳定年退職が崩壊し65歳までの継続雇用(公務員は再任用)が主流になっています。
更には70歳までの雇用も増えてきているのが現状です。
こうした社会状況の中、「今、なぜ定年本」なのか? ということを考えてみました。
それはまさに将来(完全リタイア後の老後生活)への不安があるためなのではないかと思います。
ここ最近「人生100年」という言葉・フレーズが盛んに使われています。
これは言葉のとおり、人生が100歳まで続くことが当たり前となる時代を想定した考えで、これまでの80歳程度のライフスタイルを見直す必要性があることを説いています。
健康寿命はもちろん平均寿命が年々伸びてきている中、特に身体的・経済的な面の不安があるのではないでしょうか。
年金、医療、介護などの社会保障制度の不備や後退もかんがみ、自己防衛として真剣に考える人が増えてきていると思います。
こうしたことから、様々な生活の知恵や参考書としての定年本がクローズアップしているのかもしれません。
将来のことについて誰もが自分自身のことを ”想定” できるかもしれませんが、それは ”確実” ではありません。
母の家計簿
こうした定年本をはじめとする各種書籍や週刊誌、関連サイトには、
「老後の預金はいくらあれば大丈夫?」というようなタイトルやキャッチフレーズでその金額が明記されたりしています。
ここではそのことについて詳細に触れることはしませんが、おおよそ夫婦二人で3千万円前後、一人暮らしでその半分から2千万円ほどの数字が書かれていました。
(この金額は、各関連本、サイトによって異なりますが)
将来設計の専門家が、これからの年金推移や医療費の増加、介護に関わる費用、生活費などを加味して試算した金額でしょうから、精度の高い数字なのでしょう。
その多くは、”預金の取り崩し” というようなことから、こうした金額が算出されるということでした。
この金額を見て、どう受け止めるかは人それぞれだと思いますが・・・。
93歳になる私の母は、2年半前からグループホームに入居しています。
80代後半から認知症が進み、一人暮らしの生活が困難になったためからです。
母は一人暮らしを続けていた頃、長年にわたって家計簿を付けていました。
大学ノート見開き2ページ分に一ケ月の支出項目と金額が克明に記録されていました。
主な支出は、食費と日用品類(洗剤、紙類、化粧水など)でした。80歳以降は外出が減少したため、交通費や外食、交際費、被服費などが激減してきた様子が見て取れました。
そしてその支出金額は、直近の数年間は毎月3~4万円程度でしたから正直驚きました。
又、預金通帳の支出欄は、毎月の公共料金(電話、電気、ガス、水道)と年一回の固定資産税だけでした。
つまり毎月の平均支出金額は6万円前後ということになります。
本当にこれだけで生活できるのか?という大きな疑問がありました。
私は退職後、月1~2回の頻度で一週間ほど実家に滞在して母の様子をみたり、病院(指の関節痛、認知症など)に連れ添ったりしながら、時には一ケ月一緒に暮らしたことがあります。
毎日の生活の中で記録されない費目と金額があるのではないかと思いましたが、買い物から帰った後、必ず家計簿に記帳しているのを見て確信に変わりました。
認知症という病気ですから、もの忘れがあり記帳されない支払いがあるのではないかと思いますが、人によってその症状は異なり、母の場合日課にしている家計簿は必ず実施していました。
母の収入は、母本人の国民年金と遺族年金だけです。
毎月の支出は平均6万円程度ですから、預金通帳の残高が増え続けていることが一目瞭然でした。
年金で貯金ができる?
母の場合、認知症が進んでいたため、自らの意思で貯金をしているという意識はありません。通帳さえ見ないという状態でしたから。
つまり、知らない内、意識していない内に残高が増え続けているということなんです。
驚きを通り越して何か不思議な感覚に襲われたような気がしました。
貯金が増え続けている?
このような状況になるには、いくつかの条件があると思います。
借金がないこと、持ち家で住宅ローンや家賃がないこと、持病がないこと、その他生活費以外に支出がないことです。
この歳になれば孫も大人になり所帯を持つことから、それに関わる支出も激減します。
冠婚葬祭といっても付き合いが狭まってきますから、それほどの額にはなりません。
前述した「老後の預金いくらあれば大丈夫」ということにコメントするつもりはありません。
人それぞれ生き方や生活のしかた、収入も異なるわけですから。
「人生100年」という時代を迎え、健康や預貯金など老後に対する不安は誰にでもあると思います。
できれば預貯金などの財産があればあるに越したことはないと思いますが。
母の世代と私たちの世代とでは生活感や物に対する価値観、消費感覚は全く違うと思いますが、共通して言えることは、80歳以降になれば身体の衰えが急激に進み、出歩くことや趣味志向に対する意識が激減するということです。
これに伴って日々の生活費は確実に比例(減少)していきます。
私たちが将来の姿を想像した時、今の自分たちの生活と比較すれば、何か寂しさ虚しさを感じることがあります。
しかし、一人暮らしであれど定期的に買い物に出かけ(近くのスーパー、雑貨店)、毎日の食事は自分で作り好きな物を食べ、好みのテレビや雑誌を観て過ごす母を見る限り、幸せな生活を送っている様子がよく分かりました。
そしてその生活費は、家計簿の支出金額だけでした。
人それぞれの生き方、考え方があります.
「老後の預金・・・」、あくまでも参考値として捉えるだけでいいのではないかと思います。
定年本にこう書いてあった、誰々がこんなことを話していた、こんな投資がお勧めだ・・・、などのアバウトな見解や他力に頼ることなく、将来を推測して自分の生活設計を立てることが大事なことではないかと思います。
そして、将来を推測するに当たって、”高齢者の現実の姿” を知ること、理解することは、身近な存在の自分たちの親こそが一番の参考書なのかもしれません。
高齢者の生活実態とそれを裏付ける家計簿、介護の必要性の判断とその時期、病気の状態とその変化、それに関わる医療費、介護施設の種類と費用・・・。
親を通して教えられることはたくさんありました。
より現実的に、”良いも悪いも” 学ぶことがあると思います。
すーさん こんばんは
私も大正生まれの両親を9年前と4年前になくしました。
この世代の人は少年から青年期にかけて物がなく めまぐるしい変化の社会の中で質素倹約な生
活を続けた人が多いと思います。
両親とも妻と二人で看取り 親の経済状況も分かりました。
やはり すーさんのお母様と同じ様な消費生活でした。若いときからの生活スタイルは歳を取っ
ても変化せずに続けてました。
老後の生活費とか老後の貯えを如何にも定説のように書かれた本がたくさんありますが、生活ス
タイル、財産、健康度合によってそれぞれ決まってくると思います。
ただ 確かに言えることは 自分も歳をとってきて段々 親に似てきたのも事実です。
山鯨笹蟹さん
コメントありがとうございます。
やはりこの世代の方々は皆さんそうでしたか。
私たちの世代と比較するとずいぶん違うなと感じるものがありました。それは母だけではなく義父母を見ていてもそう思います。
>生活スタイル、財産、健康度合いによってそれぞれ決まってくる
私もそのとおりだと思います。
定年本やその他関連書籍、サイトなどで言われているような内容は、あくまでも一般論であって人それぞれ生き方や生活環境が全く違いますから。
親の生活実態や介護などをとおして、自分たち夫婦がこれからどう生きていこうかということを教えられました。