「脅し」による安全保障?
1月16日、ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のペアトリス・フィン事務局長を迎えた討論会が、国会内で開かれました。
この討論会の様子について、朝日TVの報道ステーションで放映されていたので視聴しました。
この討論会でフィン氏は、「日本も核兵器禁止条約に参加すべきだ」と呼びかけていました。
もしあなた方が金正恩委員長の核兵器保有を不安に思うなら、それは核兵器そのものに不安を抱いているからです。核兵器は平和と安定をもたらさないことをあなた方は知っているのです。
アメリカも核抑止力も世界にある1万5000発の核兵器も北朝鮮の核開発を止められませんでした。
核兵器が神話であることは明らかです。北朝鮮の核開発を抑止できず拡散を助長したのです。
ICANフィン事務局長
政府を代表して発言する佐藤正久外務副大臣
「条約に参加すれば米国による核抑止力の正当性を損なうことにもつながります。我が国のアプローチと異なる核兵器禁止条約に署名することはできません」
このフィン氏の発言の中で感じたことは、世界にある1万5000発の核兵器も北朝鮮の核開発を止められなかったという ”核抑止力論” の否定でした。
核抑止力論を突き詰めて考えると、いざという時には核兵器を使用するという「脅し」によって安全保障をはかろうというものだと思います。広島・長崎のような悲惨な惨禍を引き起こしても許されるという考え方なのではないでしょうか。
唯一の被爆国がこうした「核抑止力論」を続けていいのかどうかが今問われていると思います。
コメンテーターの後藤謙次氏
「アプローチは違うとしても、日本政府は核廃絶という目標は一緒なんだということを世界に向けて発信するという絶好の機会だったんですね。それをあえて避けてしまった。一昨年の5月、安倍総理は当時の米大統領オバマ氏と広島で核なき世界を目指そうと演説をしたんですよね。あの演説は何だったんだろう、と言われてもしかたがない」
こうしたICAN事務局長を迎えての貴重な討論会において日本政府として、まさにアプローチは違えども目指す方向は同じなんだとぜひ言ってもらいたかったと思います。
1月17日付 東京新聞 1月17日付 朝日新聞
現在、北朝鮮の核開発という情勢の中、この条約はそぐわないという考え(日本政府)と議論があります。
ただ、こういう危機だからこそ、核兵器禁止条約がいよいよ重要になってくると思います。
世界的な核兵器禁止条約によって、核兵器開発の放棄を迫る国際的な大きな力が必要ではないでしょうか。
今の政府見解が、国民(国)を代表する考えかというと大きな疑問があります。
先の衆議院選挙において、自民党の比例得票率は33%(有権者比17.3%)で全議席数の6割の議席を確保しました。
これは小選挙区制度の弊害ということもあり3割の得票で政権を握るという結果になりました。
政権を握ったからといってそのすべての見解が国民を代表する声にはならないと思います。
そういうことからいっても、今回の核兵器禁止条約に対して国会及び国民的な議論が必要ではないかと思います。
核抑止力論に頼らず、世界的な核廃絶に向けての世論の広がりこそが唯一の解決策ではないでしょうか。
わたしは、別に保守派でもなく少しだけ右向き(日本製を進んで購入とかアマゾン使わない位)
の人間です。
核兵器禁止は、北朝鮮が核を放棄すれば賛成です。
中国の脅威のあるが核は扱いが難しい、もんじゅ、どーするよ?
北朝鮮は、一本筋が通っててぶれない。
南と違う。
PDCAのサイクルが人の命より重く実行されてる。
これは生半可なリベラルなんか太刀打ちできない。
今の北朝鮮の状態はオバマが弱腰で放置したせいです。
オバマ大統領もリベラルな人でしたね。
理性は人の心を動かさない大衆を動かすのは感情です。
ICANのおばさんは、北朝鮮で叫べはいいのに。
絶対に安全な場所から叫んでも人の心には響かない。
あのおばさんが人の心を動かそう、国を動かそうとするなら、
北へ行って平和を叫んで拘束されて植物人間になって帰ってくる位じゃないと何も変わらない。
何かを変えようとするなら命かけないとダメ。
リベラルは、そーいう所がないから口先だけで終わる。
右の頬を叩かれたたら左の頬を差し出して、半殺しならましです。
学校帰りの中学生を拉致して、シレっと放置する国に道理は通用しないです。
ヒロさん
コメントありがとうございます。
こうした政治に関しての議論になると、どうしても右派、左派、リベラルなどという枠で決めがちですね。マスコミや一部評論家が使っているようですが、そうした枠の考えではなくどのように個人として思うか、考えるかということでいいと思います。
私としては、あくまでも外交、対話による解決を望みます。
今の現状では無理だろう、難しいだろうという議論、意見もかなりのウェイトであるようですが、武力による脅し、制裁ではどちらも大きな犠牲を伴うものだと思います。
そのためには、世界的な大きな世論の力が必要ではないかと思っています。
ヒロさんがおっしゃるように「核は扱いが難しい」。そのとおりだと思います。
核兵器もそうですが、原発のもんじゅの問題も何ら解決されないまま先送り状態になっていることから、その扱いの難しさが現実としてありますよね。
核兵器廃絶に向けていろいろなアプローチがありますが、目指す方向は同じだと思います。
唯一の被爆国であるからこそ国会や国民的な議論を広げていってほしいと思います。
もんじゅなぁ~文殊菩薩から取ったのに、こんな怖い事になって。
計画から関わった人を知ってますが元は希望の星だったんですよ。
収束出来る気がしない、どーやったら収束するのかも分からないです。
国はもんじゅの件は、もっとOPENにすべきだと思ってます。
別に酔っぱらって絡んでるではないですが、ただ、国民的な議論は無意味です。
国民は、そんな事は興味ないです。
すーさんは、リベラルですよ。
わたしも会社始める前は議論こそが一番大切だと思ってました。
前職は予備校だったので、生徒が納得出来るまで解説が大切です。
リベラルな人は、将来の事もしっかり考えてるので子供も少ない。
将来の事も考えない子供も無計画に作ってしまう、話の分からない人をどうする?
これが一番難しいです。
今の生活保護者とか、そーいう人が大多数です。
土日や長期休暇時期に公園で炊き出ししましたが、議論なんて意味ないです。
意味ない人でも日本人っーだけで一票持ってる。
紀元前のローマと同じで「パンと娯楽」が一番の興味ですよ。
欧州の議論が大切っていう価値感は時代遅れです。
本当に真剣に議論して欲しいなら心が動く行動が必要です。
それは自分の命を懸けた行為しかないですよ。
推敲せずに、思うままに書いてます。
ヒロさん
すーさんはリベラルですか。
自分では分かりませんが、そういうものなんでしょうか。
まだ国会においてもこうした議論がしっかり行われていない状況です。
変わっていく、変革していくという状態になっていくには、それなりの時間を要することもあると思います。
少しづつでもそうした声が大きくなっていく広がりが必要だと思っています。
むずかしいテーマで、うまく表現できるかどうかわかりませんが。
保守とか、右、左、リベラルの分け方って、昔の概念と変わっているようです
よ。
だから世代によって思い込みやとらえかたで、まったく逆になっていることも
あるらしい。
現政権が保守だといわれていますが、保守?
私はそういう根本のところから公の議論で定義してほしいです。
そしたら、自分の考えをまとめられる。
政治の話がぐちゃぐちゃで議論できないのは、食べることと遊ぶことだけがい
いと思っている人ばかりの理由ではなくて、わかりにくいからだと思う。
わかりにくいものをさらにわかりにくくしているマスコミもだめですね。
改憲についても、憲法についてどれだけ理解できているか。
専門家の意見だって、完全に見解が分かれていて、むずかしいです。
ど素人があちこちの解説を読んでも、その派閥的、ひも付き的な要素までは
読めないですね。
そしてすべてが、この世の中すべてが、利権がらみです。
私は最近、ど~でもいいわ。と思うようになりましたが、すーさんの意見はい
つもそれを反省させられます。
わからないなりに、どうすればいい国になるのかということを多少でも考える
ことは大人としての義務だとも思います。
暴力によっての行動や主張、解決はだめです。
命をかけてはいけません。
家犬さん
コメントありがとうございます。
確かに政治のいろいろな問題がわかりにくくなってきていますよね。
そうした時にまず判断する基準は、自分自身がどう思うか、どうあればいいかという気持ち、考えではないでしょうか。
私も難しい論議や新聞書籍など見たり読んだりしてわからなくなる時があります。
例えば、今回の核抑止力についてもいろいろな意見、考えがあります。
そんな時、家犬さんが最後におっしゃった言葉
>暴力によっての行動や主張、解決はだめです。
これが家犬さん自身がどう思っているか、どうあるべきかという一番の気持ちだと思います。
まさにこのことが家犬さん自身の「基準」だと思います。
いろいろな論議や意見があってもこの基準に照らして判断すれば・・・。
こうした政治的な問題は、多種多様な利権も含め様々な考えがあります。
そうした中で自分はどう思うか、考えるかという気持ちだけは持ち続けていきたいと思ってます。