「続・下流老人」 (1)

「死ぬまで働く高齢者」を考えて

 

昨年末、藤田孝典氏の「続・下流老人」が発刊されました。
これは1年半前(2015年6月)に出版された「下流老人」の続編です。

今回の著書では、主に高齢者になっても働き続けなければ生きていけない社会環境とその現実、そして、この問題を救うための財源と対応にスポットを当てて展開されていました。

「高齢者になっても働き続けなければ」と言うのは、今の高齢者だけを指すものではありません。
現在働き盛りの40代、50代はもちろん、20代、30代の若者たちがこの年代になった時、今以上に深刻な問題として広がっていることを警鐘するものでした。
そういう意味から、サブタイトルにもある「一億総老後崩壊の衝撃」「一億総疲弊社会の到来」というキャッチコピーがそのことを表しているのでしょう。

 

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私は、今までのブログ「60歳からの現実(リアル)」シリーズの中で、私の周りの同僚、友人知人のほとんどが定年退職後も働き続けている現状を伝えてきました。
それは、継続雇用制度(公務員は再任用)を利用した方、又、転職・起業する方などを含め8割以上が働いている現実があります。
そして、その理由としては、「退職しても特にすることがないから」「給料が減ってもとりあえずこづかい稼ぎ」「身体を動かしていたい」というものが圧倒していました。
もちろん働くことでの「生きがい」もあったと思いますし、「経済的な面」(生活費、老後の蓄え)も当然あると思います。
働き続ける理由は、ひと言で言い表せるものではなく、複数の理由が重なっているのが現実なんだと思いました。

年齢階層別の就業状況をみると、男性有業者の場合、60~64歳で72.7%、65~69歳で49.0%、70~74歳で32.4%の高齢者が働いているという結果が出ている。

「高齢者の就業率の国際比較」によれば、フランスで2.2%、ドイツで5.4%、イギリスで9.4%、アメリカで17.7%となっている。対して日本は、20.1%で、フランスの9倍以上だ。ここから日本の高齢者が、いかに「働きすぎ」かわかるだろう。
「続・下流老人」

 

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「生きがいのために働く」?

 

昨年、私は内館牧子さんの小説「終わった人」をテーマにブログをアップしました。
NHKラジオ番組で内館さんにインタビューする放送も紹介しました。
この放送の中で内館さんは、この小説を出版した後すぐに大きな反響があったとおっしゃっていました。
その中で「この小説は俺を主人公にしたんじゃないか」とか「俺の生きざまに似ている」などの感想が寄せられたそうです。
そしてその年代の人は、ほとんどが70~80代だったそうです。

私はその時思いました。
この世代の人たちは、まさに高度経済成長の中で生き抜き、企業戦士と言われる方々だったと。
つまり、団塊世代以上の世代の人たちの「仕事一筋」というエネルギッシュな生き方であったということなんだと。
当時は、「働くことが生きがい」という方が多数いた時代だったと思います。
小説「終わった人」の中で、”俺はまだ終わっていない”、”まだ成仏していない”、”まだまだ、まだまだなんだ” という気持ちは、現在の60代の人たちにも共通して言えるものだと思います。
しかし、「生きがいのために働く」という気持ちは、はたしてどうなんでしょうか?

現在の60代とその当時の60代の人たちとの社会的背景は大きく違ってきています。
年数にしたらたった十数年の間に政治的、社会的な環境は変わりました。
それは、経済面では低成長時代に突入し、社会保障面では財源問題が浮かび上がり、年金カット、受給年齢の引き上げ、医療費の負担増、介護保険料の値上げや要介護サービスの削減などをみても解ります。

60代の働く意欲、リタイアしても趣味やボランティアとして生きがいを求めるエネルギーは全く変わっていませんが、働き続ける理由として、「生きがいのために働く」という考え方は変わってきていると思います。
なぜなら、前述したように老後の経済的な不安が大きく圧し掛かってきている状況の中、単に「生きがいのために働く」ということはかなり少数派になってきていると思います

現在の政府は、高齢者の就業率がこれほど高いのは、「働く意欲が高い」と言っています。
そのための施策として、継続雇用制度をはじめ高齢者雇用促進法を推進しています。
はたしてほんとうに「働く意欲が高いのか?」、ほんとうに「生きがいを感じているのか?」という疑問があります。
もちろんそうした理由で働き続ける方はいると思います。
私の周りで働き続けている方は、冒頭で述べたように大勢いますが、その理由は「働く目的が複数重なり合っている」というのが現実です。その底辺にあるのは、やはり老後の経済的な不安が共通しているように思えます。

 

「生きがいのために働く」はウソ
「高齢者は働く意欲が高い」のではなく、「働かざるを得ない」ことを裏付けるデータがある。
内閣府の調査(平成26年)によると、60歳以上の高齢者のうち、就労を希望する割合は71.9%で、そううち「働けるうちはいつまでも(働きたい)」と回答した割合は28.9%と最も多かった。
問題は、その理由だ。内閣府の調査によれば、高齢者が就労の継続を希望する理由として最も多かったのが、「収入がほしいから」(49%)であった。
また、意識調査では、「生活費を得たいから」(76.7%)、「自由に使えるお金が欲しいから」(41.4%)と、いずれも現金収入の獲得が、一番の目的である。

・・・高齢期の労働の目的は「金だ」。退職後の仕事は、生きがいづくりの場などではなく、これまでの現役生活の地続きの、シビアな現場なのである。
 「続・下流老人」

 

藤田氏は、著書の中で「生きがいのために働くのはウソ」と述べています。
このことは有業者全ての人に言っているものではなく、資産が十分にあり老後の心配がなく生きがいのために働いている方もいるとは思います。
しかし、現在の社会においては、「生活のために働く」傾向が拡大していることを強く指摘しています。
生きがいを持って働き続けたいが、現実はそんなきれいごとでは済まされない「シビアな現場」があるということなんだと

 

「最後の10年」をどう生き延びるか?

 

現在、日本人の平均寿命と健康寿命の差は、男性で約9歳、女性で約12歳です。
この差は、自立した生活ができなくなり、何らかの支援や介護が必要とされる期間(約10年)の事です。
個人の身体的なものですから、人によってその差はそれぞれです。
しかし、歳を重ね老衰していくことは事実ですから、このことを無視して考えることはできないと思います。

皆さん、最後の10年どう過ごされますか?

「自宅で家族に面倒(介護)みてもらう」、「要介護サービスを受けながら自宅と施設で過ごす」、「有料老人ホームに入居する」など、自分や家族の考え、経済的な諸事情によりさまざまだと思います。

そもそも日本では、「介護は家族が行うもの」という価値観が根強くある。
しかし、核家族化の進行やそれにともなう独居老人の増加、また介護する家族自体が高齢化しつつあった。
そこで、税と保険料を中心に拠出された財源で、”社会全体で高齢者の介護を支える” ように方向転換したのである。
「続・下流老人」

しかし、こうした施策も少子化と超高齢化社会の急速な進行によって財源問題(税と保険料)が大きく浮上し、今ではそうした「介護の社会化」が、逆に「介護は家族が行うもの」という方向に戻りつつあります。
このことは、財源問題から要介護サービスの低下や特別養護老人ホーム(特養)入居条件規制などでそのサービスの選択肢が縮小化、利用料が高額化されてきているのが現状です。

一方、施設入居(各種老人ホーム)にしても、
介護サービスの商品化による市場原理が、最もむき出しになっているのが、「有料老人ホームの高額利用料」だろう、と藤田氏は指摘しています。
入居倍率が最も高いあの特別養護老人ホーム(特養)でさえも、
これまでは「特定入所者介護サービス費」と呼ばれる負担軽減制度によって、低所得者の利用者に対しては補足給付が支給されていたが、15年の法改正で、この軽減制度の条件が厳格化され、給付対象外となる人が続出している・・・・。
この結果、月に5~7万円の値上げとなり、月額14万~15万円の自己負担が生じている。
「続・下流老人」

これでは利用したくても利用できない、入所をあきらめざるを得ない人が出てきます。

では、その他の施設はどうなんでしょうか。
一般的には、「介護付き」「住宅型」「健康型」の3つに分類されますが、地域やサービス内容によってその利用料は異なります。
私が実際に親の介護と施設入居に関わってきた経緯から言えば、ごく一般的な「介護付き」「住宅型」の利用料は、月額約14万~15万円といったところです。
(要介護サービス保険費用含、消耗品費含、個室、3食付、一時金なし)
この費用は、今まで複数の施設を見てまわった経験から、多分最低ラインの金額ではないかと思います。
私の母、義父もほぼこの金額です。
これが4人部屋となると約12万円位~ということになりますが。

特養の場合、法改正によって入居条件(配偶者の有無、所得、預貯金などの資産額など)も加味されるようになり、個人によってその利用料はさまざまだと思いますが、一般的な民間の「介護付き」「住宅型」などの利用料と変わらないくらい自己負担額が上がってきているようです。

 

私たちの親の代の介護費用について考えてきました。
最期まで自宅介護という場合もありますが、現実的には核家族の進行や家庭内事情、独居老人や老老介護家庭の増加により、いつかはこうした施設に入居される方、最終的には入居希望する方は多いと思います。
私たちの親の世代と私たち自身の世代(現在60代)以降のことを老後の費用面で比較したら、どういうことが予想されるでしょうか?
例えば、こうした介護施設利用料の高額化の他に、医療費の負担増、介護保険料の値上げ、年金の減額など・・・。
詳しく述べなくても現在の社会保障問題をみるだけで多分想像できると思います。

今後平均寿命が更に進む中、自分たちのことを考えてみましょう。
親の介護を抱えながら働き続け、そして自分たちが介護を受ける身になることも身近に迫っています。
先日、義弟が冗談まじりで、
「オヤジ(父親)もまだ元気でなによりだけど、その前に俺がくたばっちゃうよ」と笑って言ってました。

こうした冗談が口に出される世の中になったんですね。
親の介護と同時に自分たちの身も考えながら生きていく時代に突入してきたということを。

そう考えると、まさに「死ぬまで働かなければ」という高齢者像が浮かび上がってくるのではないかと思います。

 

この書籍は「自己防衛策の本」ではない

 

藤田氏は、「続・下流老人」の冒頭で、前著(「下流老人」)で私は ”ある失敗” をしたと語っていました。

発刊後(前著)、多くの方から聞かれたのが「どうすれば下流老人にならずに済みますか?」という質問だ。
大多数の人が求めていたのは、自分が下流化しないための極めて具体的な ”自己防衛策” だった。
例えば、老後までにいくら貯蓄すべきか、どんな保険商品を購入すればいいのか、老後も効率的に収入を得る方法はあるのか、といったことだった。
不安を解消したい気持ちはわかる。
「続・下流老人 はじめに」から

この語りや前著を読めば、「エッ!いったい何が失敗だったの?」と思う方もいらっしゃると思います。
「自己防衛策のアドバイス本じゃなかったの?」と・・・。
藤田氏は、前著で私なりにそのための提言を盛り込んだつもりだったが・・・、と述べていました。

こうした書籍を読めば、多分当然自分の身と比較しながら読み進めると思います。
だから自分はこうした対策を打とう、こうした防衛をしていこう・・・、ということになります。
書店に行けば、「老後のための防衛策」や「老後のための投資術」的なガイド本、指南書などが山積みされています。
藤田氏は、そうした書籍と同じように読まれた本(下流老人)だったのではないか、と感じたのではないでしょうか。

私は、この「下流老人」は今の政治・社会問題を根底から取り上げ、個人の問題ではなく社会的な問題として指摘し、警鐘しているところが、他のこうした類の書籍と大きく異なる点だと思います。

下流化の解決策を自助努力、自己防衛に求めているうちは、真の意味で高齢者の貧困をなくすことはできない。
生活の安心を「商品」として買わなければならない社会では、むしろ格差や貧困は拡大していく一方である。
前著では、この点を十分に伝えきることができなった。
「続・下流老人 はじめに」から

 

自己責任や自己防衛策を論じている間は、何ら本来の解決策が見出せないと私も思います。
自己責任論は、単に足の引っ張り合いをしているだけで、本当の問題点が隠されてしまいます。
自己防衛論は、もちろん生活していく上で最低必要な手段ですが、それだけでは収まらない現実があることを認識しなければならないと思います。

ではどのように解決策を見出していったら良いのか?
藤田氏は、この本の最終章で「財源」の話を取り上げています。
「社会保障費に充てる財源がない、足りない」と政府は言っています。
はたしてそうでしょうか?、何でそんなに「ない、足りない」ことを連呼しているのでしょうか?
その背景には何があるんでしょうか?

私たちがお互い自己責任論やお互い自己防衛策を論じている間(マスコミも含め)は、今の政府にとって都合のいいものになっていると思います。
なぜなら、私たち国民の大事な「税金の使われ方」に目を向けさせないためでもあるからだと思います。
つまり、”庶民が政治に口を出してほしくない” ”我々政治家(専門家)に任せてもらえばいい” ”政府がやっていることは正しいことなんだから” というようなことが見え隠れしているように思えます。

 

私は以前、ブログ「60歳からの現実(リアル)(9)」の中で、60代世代の方々に対して「もういいんじゃないの」という言葉を引用して、この世代の日常会話集をアップしました。
私たちは現役時代、政治に対する個人の見解や意見、考えの議論が、どちらかというと閉鎖的なものだったのではないかということを投げかけました。
第一線で働いている頃は、仕事中心の生活だったことや会社内での政治論議の閉鎖性もあったと思います。
しかし、この年代になれば「もういいんんじゃないの、おかしいと思っていること、不満に感じていることを自己表現してみたら」という会話にしてみました。

逆に今の若い方の方がストレートに自分の意見をはっきり表現しています。
例えば、「私、保育園落ちた!」、これによって若者が政治を動かしました。
この時、私たちは「政治は一部の議員が上(うえ)の方でやっているもの」から「私たち国民が動かすもの」ということを教訓として学んだのではないでしょうか。
こうしたことは、日本の古い因習から「政治=お上(かみ)」という概念があり、お上(かみ)のやっていることは正しいこと、お上(かみ)が決めたことだから、という風に自分たちの生活と切り離したところで考えていたと思います。

「そうではないんだ」ということを、この著書「続・下流老人」は語っていると私は強く感じました。

 

ちょっと話が逸れてしまいましたが、私たちが安心して老後を過ごせる社会にするためには、やはり「政治と向き合う」ことが大事なんだということを改めて感じるものでした。

この本の中で、「サイレント・マジョリティ」という言葉がありました。
本の中でこの言葉は、「高齢期になっても体に鞭を打ちながら黙々と働き続ける人々の生活が浮かび上がる」ということで使われていました。
この言葉の直訳は、「静かなる多数派」でした。(コトバンク)
この言葉を借りれば、私たち国民は「そう思っていても強く意見を主張することはない」という風にも使えます。
そして、そうした静かなる多数派意見は、政治において無視されがちになるということにもつながります。

これが今の日本ではないかと・・・。

 

「続・下流老人」 つづく

次回は、「財源とその使われ方」について考えてみたいと思います。

 

 

3 thoughts on “「続・下流老人」 (1)

  1. これは難しい問題ですよね。 

    まず政府の言う「高齢者の働く意欲が高い」というのは、かなり言葉を選んだ表現で、たぶん
    「働かざるをえないから働きたい」というのも「意欲」に入れているんだと思います。その意味
    では、「働く意欲が高い」=「生きがいのために働く」とは元から言っていないのでは、と。

    またサイレントマジョリティーに関しては、高齢者も声を出そう!ということには賛成ですが、
    どんな内容で「声」を出すか、も大きな問題です。大きな流れで言うと「シルバー民主主義」
    ( http://bylines.news.yahoo.co.jp/shimasawamanabu/20131119-00029913/ )というのは大き
    な危険性をはらんでいると思うからです。

    そして、その解決策に財源の問題が出てくるのは至極もっともなことですが、ここにおいても日
    本の少子高齢化の問題 ( http://toyokeizai.net/articles/-/148368 )をよくよく考えて、我々
    だけでなく、今後の日本を背負っていく世代のことも考えなければならない、と痛切に感じま
    す。

     まだこの本を読んだわけではありませんが、藤田氏の言う「解決策」がたとえ直近の高齢者お
    よび高齢者予備軍に対して良いことでも長いスパンで見た場合にどうなのか、という疑問もあり
    ます。 よく政府を悪者にした記事を見かけますが、たとえそのような批判している人がひとた
    び政権の座についてもその「日本のリアル」を直視した政策を考えざるを得ず、それは必ずすべ
    ての世代に痛みを伴うものにならざるを得ない、と思っています。 

    しかし、この問題は本当に深刻かつ難題です。 あらゆる角度からの検討が必須でしょうね。

  2.  付けたしです。 日本の異常な、人類史上例を見ない少子高齢化に関しては、先に挙げた記事
    の前に、 http://toyokeizai.net/articles/-/148363 も見ていただいたほうがその深刻さが分かる
    と思います。

     問題は私たちがこの事態に対して何ができるのか、ですね。「自己責任」「自己防衛策」とい
    う場合の「自己」に「国民一人ひとり」という意味も含めるのであれば、政府に声を挙げればい
    い、というようには単純には割り切れず(それも勿論大切ですが)、少なくとも「できる範囲
    で」我々一人ひとりが何ができるか、ということも考えなければならない、とも思います。

    1. リンロン88さん

      貴重なご意見、ご感想ありがとうございます。

      リンロン88さんはじめ、読者の方々がこうした問題意識を持っていろいろな角度から議論していくことは大事なことだと思っています。
      それは、リンロン88さんが述べているように「この問題は本当に深刻かつ難題」だと思うからです。
      単に高齢者だけの問題ではなく、少子化や今の若い世代の方々を巻き込んでの国全体の問題として捉えなければならない大きな課題だと思うからです。
      ご紹介のあった東洋経済の記事「少子化問題、人口急減の恐怖」読ませていただきました。
      現在と将来においてのこうした問題も含め考えていかなければならないと思います。
      そういう意味では、あらゆる角度からの検討と対応が必要ですね。

      私は、今回の「続・下流老人」で藤田氏が言わんとしていることも含め、今の日本(政治)が「どういう方向に向かっているか?」ということを問題提起しました。
      はたしてほんとうにいいのだろうか?という疑問と不安があります。
      少なからずそうした気持ちをお持ちの方はいらっしゃると思ってます。
      どういう対策、対応のしかたがいいのか多くのご意見もあるかと思います。
      そういう意味でも皆さんが何らかの問題意識を持っていただければと思います。

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