60歳からの現実(リアル) (7)

今年退職される先輩からのメール

自分探しの旅~これからの過ごし方

 

「60歳定年退職」という言葉は、過去のものになりつつあります。
これは健康寿命が長くなり、又、継続雇用制度(公務員では再任用)も浸透してきている中、今の社会では働き続けることが当たり前のようになってきていることからではないでしょうか。

「定年退職制度」はあってもひとつの通過点になってきているように思えます。
継続雇用によって、所得が下がることはあっても雇用の安定(働き続ける権利)は精神的な安定にもつながってきています。
転職して慣れない仕事をするよりも、同じ会社内で部署や仕事内容が変わっても、転職するより精神的な面での働きやすさがあると思います。

私が勤めていた会社の同僚たちも今年60歳になり定年退職を迎えます。
そのほとんどの同僚は、転職や完全リタイアしないで継続雇用で働き続けると便りがありました。

 

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厚生労働省資料(平成24年)

上記の円グラフでも継続雇用を希望しなかった方、基準を満たさず離職した方でも転職や起業などの道を選んだ人は多いと思います。
これらの方々を含め60歳定年を迎えても、それ以降働き続ける割合は多分8~9割以上あるのではないでしょうか。

 

私の先輩で今年65歳になる山仲間のAさんがいます。
先日、継続雇用で働き続けてきて「いよいよ完全退職を迎えるよ」といったメールが届きました。

すーさんとは山に登った後の平坦な下りで、折々に退職後の人生について話しながら歩きましたね。
自分も退職前から仕事の無い生活への不安は存在していました。それが当面の現状では事実となっています。
まだほんの一週間ですが、それが延々と続くのか、この状態を是とするのか、この状態に自然に慣れ親しんでいくのか、何か行動を起こし構築していくのか、出来るのか。
やりたいことは無い訳ではないのですが・・・。

この歳を迎えるまでにもう少し練って決めておくべきなのでしょうかね。
ただ仕事一筋でわき目も振らなかった。
遣り甲斐のあった仕事、楽しかった仕事、でもそれは単に生活の為の金を稼ぐ手段であったのか、ただ身をすり減らして来たのか。

どう考えてもこれからどうするかですよね。
でも、それで自分を責めるのもおかしな話で、人生まあそれでもいいかと平々、凡々もありかな・・・そのうち芽が出るか・・・、自分探しの旅ですね。
※Aさんからのメールの一部

 

Aさんとの山の付き合いは3年半になります。
私がまだ働いていた頃、社内で一緒に仕事することはありませんでしたが、仕事や登山においては常にリーダー的存在で後輩からも慕われている方でした。
いつもは登山仲間たちとパーティを組んで定例登山を楽しんでいますが、Aさんとは個別に日程を合わせて登山する機会もありました。今年も丹沢山系や残雪の涸沢に一緒に登っています。
そんな山行きの下山時に歩きながらこれからの生き方、過ごし方について話したものでした。

Aさんのメールの中で、
”この歳を迎えるまでにもう少し練っておくべきなのでしょうかね”
心の奥底に潜むこの気持ちは、その年齢に近づくごとに少しづつ湧き出してきます。
今までの60歳定年であれば、55歳を過ぎたあたりから徐々に頭をもたげてきたのではないでしょうか。
それが継続雇用により、その気持ちはちょっと先延ばしになりましたが・・・。
しかし、いずれにしてもこれから先の生き方、過ごし方については決めていかなければならない”この歳”なんですね。

Aさんが最後に言っていた”自分探しの旅”もたしかにそうだな~と思いました。
今まで永年勤めていた会社が、これからの自分を導いてくれるものではありません。
自分自身がこれから試行錯誤しながら探し求めていくものなんですね。
私は早期退職しましたが、同じように退職する数年前からこれからのことを考え、自分探しの旅は今も続いています。
遅かれ早かれそうしたことを意識する”60歳からの現実(リアル)”だと思います
100人いれば100人の考えとその行く道がそれぞれあるのではないでしょうか。

 

犠牲にしてきたものを取り戻す

 

Aさんからのメールの最後に、忌憚のない意見や何かアドバイスがあればよろしくと結ばれていました。
大先輩を前に意見やアドバイスなどありません。
しかし、登山をとおして何でも言い合える気心の知れた先輩でしたから一言添えて返信しました。

それは、今まで仕事や家庭のことでわき目も振らず働き続けてきたことで、自分が気が付かないところで犠牲にしてきたものがあったのではないかと思ったこと。そして、退職後の自由な時間はそれを取り戻すことに使っていると伝えました。
ちょっと大げさな言い方ではありましたが・・・。

そのひとつに私の個人的なことですが、親の世話や見守り・介護がありました。
働いていた頃は、遠く離れた親(義父母含めて)の身体状況がどのようになっているか、どう過ごしているかなど、時々の便りだけで”わかっているつもり”でした
振り返って見れば、実家の近くに住む次兄や長兄の義姉、義父母については義弟に任せきりだったということでした。
”わかっているつもり”は、”わかっていない”ということだったんです。

今まで、「仕事だから」「仕事が忙しいから」という免罪符的な言い方でその世話や介護を免れてきたのでしょう。
又、その状況がある程度わかっていても、そのことを深刻に受け止めていなかったこと、その時はっきり気づかなかったことも、後になって(退職後)わかったものでした。

親(義父母含め)やその世話をしている親族(兄弟やその嫁さんなど)に対して、「仕事があるから」という一言を発することで、親や親族はそれ以上の救いを求める言葉を飲み込んでしまっていたかもしれません。
働いていた頃、気づかなかったことが退職後そのことに気づき、親の世話や介護、そして親族への負担も「犠牲にしてきたもの」のひとつだったんだと思いました。

親のこと以外でも、自分がやりたかったこと、妻に負担をかけてきたこと、妻や子どもにしてあげられなかったこと、親族や友人たちとの付き合いなど・・・。
考えてみれば、「今まで犠牲にしてきたもの」はたくさんあったと思います。

退職後は、こういう生き方をするとか、こんな過ごし方をするんだ、というハッキリ目的を持った方は少ないと思います。
今まで犠牲にしてきたものを取り戻す中でいろいろ気づくことがありました。
そこにこれからの過ごし方についてのヒントがあるのかな?と最近思うようになりました。

例えば、
親の世話や介護を通して、今まで頻繁に交流のなかった兄や義姉、義弟とのコミュニケーションが深まり、何かと腹を割った話ができるようになったこと。
登山にしても、単なるピークハントから縦走登山の楽しさを見つけたり、海抜0mから頂きを目指す面白さに気づき、更なる気力と好奇心が沸いてきたこと。
くるま旅にしても、各地で出会うキャンパーの人たちの話に刺激され興奮したり、その土地のグルメに感動したり・・・。

これらのことは、たいした経験や話ではありませんが、「新たな発見」が好奇心へと結びついていくように思えます。

はじめから答えなんかないと思います。

”自分探しの旅”は続いています。

 

2 thoughts on “60歳からの現実(リアル) (7)

  1. 「新たな発見」が好奇心に結びつく・・・

     確かにそうなんですが、逆に「好奇心」があらたな発見を生む、というのも真なの
    かな、と思います。

    つまるところ、「好奇心」と「新たな発見」の良い循環が生まれるのが理想なのか
    な、と。

    でも、どちらが先か、と考えると、やはり言われるような「発見」が先なんでしょうけ
    ど、それをするためには何かしらの行動をする、というのがまず有りきでしょうか。

    心の若さだけは保っていたいものですね(笑)

  2. リンロン88さん

    コメントありがとうございます。
    たしかに好奇心が「新たな発見」を生むということもありますね。
    行動を起こす動機は好奇心ですから、それが「新たな発見」に結びつくということなんですね。
    リンロン88さんがおっしゃられるように、「好奇心」と「新たな発見」の好循環が充実した生活や活力を生んでいくと思います。
    気持ちだけは常に前向きで生きていきたいですね。

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