職業欄は「無職」ではなく空欄
役所関連の届け出やその他書類を提出する時などによく職業欄があります。
退職後、記入する時一瞬とまどうことがありました。なんて書いたらいいんだろうかと。無職とは書きたくないな~と思っていました。
又、登山に行った時にも登山届の計画書にも職業欄があります。 先日、高校時代の卒業生名簿作成のための書類がきました。数年前に提出した時は職業欄に㈱○○と記入しましたが、今回は空欄のまま提出しました。
社会的に「無職」と書くのは何か抵抗があります。 それほどこだわる必要はないかと思いますが、無職というのは、現在は無職だが将来職に就こうと希望している場合を指すのではないかと勝手に思っています。
完全リタイアして今後も職に就く意思がないのだから「無職」とは書けない、ということで最近ではためらわず空欄にしています。 空欄のまま書類を提出すると、係の人からご職業は?と聞かれたりする時があります。
「退職しましたので」と応えると「失礼しました。長い間たいへんご苦労様でした」
という言葉が返ってきます。
私も退職された方には敬意の念をもって接します。
それは今まで働き続けてきたことへの慰労、家族の生計を築き、子どもを育て社会に送り出してきたこと、更に、どんな職業でも直接的・間接的に社会貢献してきたのだからと思うからです。
60代は最初で最後のチャンス
病気や家庭事情以外の定年退職完全リタイアは今ではかなり少数派です。
統計からみても継続雇用や再就職する方は約7割を占めているようです。
又、退職して今は無職だが働く意思がありまだ職に就いていない方を含めると8割近くになるそうです。 働き続ける方は、人それぞれいろいろな考えがあると思います。
働き続けることで生きがいを見出す方、生活のリズムを持続させ充実した毎日を送る方、年金だけでは老後の生活ができない経済的な事情、家にいても特に何もすることがないからとりあえず働こう等など・・・。
こうした中で私のような早期退職者(完全リタイア)は多分数パーセントにも満たないと思います。共働きを続けてきたといっても、退職後それほど贅沢な生活はできません。
それでも完全リタイアという道を選びました。
退職後、60代ということについて深く考えることはありませんでしたが、この3年間の生活を通して改めて感じたことは、60代は人生において貴重な年代なんだということに気づきました。
60歳定年を迎え継続雇用、又は再就職しても仕事の第一線から退き、若い世代に譲っていくことになります。(もちろん全てではありませんが)
こうしたことから働き続けていても長い人生においてはやはり大きな節目だと思います。
継続して働くという行為は今までと変わらないにしても、頭の中では切り替えるチャンスではないかと思います。
昨年、当ブログで「60歳からの現実(リアル)」シリーズをスタートしました。
この中で「60歳という年齢は自分が何をしたら幸せになるのかについて考えることが、社会的に許される年だということだ」という文章をある書籍から引用しました。
今まで充分働いてきて家族を養い子どもを育て社会に貢献してきました。
人それぞれ考えがあって働き続けるとしても、気持ちの上でははっきりと意識転換してもいいのではないかと思います。 もちろんこのことは押しつけでありませんが。
「今までは」から「今からは」という言葉があります。
今まではっきり言えなかったこと、思っていても躊躇していたこと、分かっていても口に出せなかったこと、周りを気にして行動できなかったこと・・・。
もういいんじゃないんですか。
「今まで」をそんなに引きずらなくても。他人とそんなに比較しなくても。
これからは自分や家族の幸せを考えても、社会のことを考えてもいいんじゃないですか。
男性の健康寿命は70歳と言われています。
だからこそ気力、体力、好奇心がある内にやれることはやってもいいじゃないんですか。60歳(60代)という年齢はそうしたことが許される年だと思えば、長い人生の中でもたいへん貴重な最初で最後のチャンスなのかもしれません。
>「今まで」をそんなに引きずらなくても。他人とそんなに比較しなくても。
同感です。
我が家も夫が56歳で早期退職しました。その後57歳で病気になり、働くということは無理になり、私が引き続き働くようになりましたが、それで良かったと思います。外野席はいろいろうるさく言う人がいましたが、如何せん、働かねばなりませんでした。結果、今年からのんびりシニアの猫を引き取って暮らせます。
何時かは終わる命ですので、反省はあっても後悔はしたくないものです。
社会情勢、経済情勢のの厳しい国にいましたので、いろいろ考えさせられました。
ささやかなことに感謝することの大切さを感じました。
いろんなことはあっても見方によって楽しく生きられるのではないでしょうか。
私たち夫婦も50代後半で、60代をどう過ごすかが話題になります。
やはり体力、気力が残っているうちに遊びたいです。
貧乏旅行でも楽しめたら幸せだと思っています。
家犬さん
コメントありがとうございます。
私たちも贅沢な旅行はできませんが、車中泊しながらのくるま旅は楽しいものです。
費用がかかるとか、かからないとかということではなく、自分たちが何をしたら「楽しめるか」ということが大切なことだと思います。
家犬さんがおっしゃるように「楽しめたら幸せ」なことが一番大事なことだと私も思います。
Roseさん
コメントありがとうございます。
>いろんなことがあっても見方によって楽しく生きられるのではないでしょうか。
私も同感です。
私もそうでしたが、どうしても一面的な見方にとらわれ周りが見えなくなってしまうことやひとつの考えに固執してしまうことがあったりしました。
しかし、ちょっと角度を変えてみたりするといろいろなことが違って見えてくることがあります。
これからの生き方においてもそうなんじゃないかなと思います。
実は、今回のブログ(60歳からのリアル5)は、今までお付き合いしてきた周囲の友人、知人、会社の同僚や先輩の方々に対してのメッセージとして書いてみました。
今まで充分働いてきたんだから、これからは自分のこと、家族のことをもっと考えて生きたらいいんじゃないの、という気持ちからでした。
今まではという見方から、これからはという見方に変えて生きていってもいいんじゃないかと思います。
60代で完全リタイヤする人は少ないですし、これからもっと少なくなると思ってます。
60代って(勝手な偏見ですが・・)感受性も豊かで、まだ新しい事を始められる最後の年代だと思うと、(わたしは50代前半ですが)今を無駄に過ごしては勿体無いと感じます。
いつまでも今のままの感性で生きられると思ってしまうんですね。
ぼんやり仕事してると働けなくなるまで働きそうで怖い(笑)
生来の怠け者なので、そんなに働いてないですが・・・。
参考にさせて頂きますので、わたしが経験する前に半歩先をいって色々経験して教えて下さいね。
次を楽しみにしてます。
ヒトミさん
コメントありがとうございます。
>60代って感受性も豊かで、まだ新しい事を始められる最後の年代。
私もヒトミさんの考えに同感です。
60代は、リタイアするしないに関わらず、健康寿命(男性70歳、女性74歳)までの最後の年代だと思います。
まだ元気なうちに更に仕事に打ち込み、新しいものにチャレンジしていくことは素晴らしいと思います。
一方で、リタイアしてこれからの新しい人生をスタートしていく方もいて、個人によっていろいろな生き方があります。
いずれにしても自分がやりたいことを前向きに考えて生きていくことは、たいへん大切なことだと思います。
私は退職後3年間、友人や知人、会社の同僚や先輩方と会ってお話しする機会が多々ありました。こうした中で現実は、「自分はもう歳だから」「特にやることがないからとりあえず働いている」という考えや気持ちを持つ方が意外と多いことでした。
>最後の年代だと思うと、今を無駄に過ごしては勿体無いと感じます。
私もそのとおりだと思います。 働き続けるにしても何か目標や目的を持っているのであればいいのですが、ただなんとなく過ごしているのでは、やはり勿体無いと思います。
このことは、誰もが迎える「60歳という人生の大きな節目」からくるもの(一歩立ち止まって考える年)ではないかと思います。
だからこそ、働き続けていくにせよ、リタイアするにせよ意識転換する年代ではないかと思います。
あまり参考にはならないと思いますが、これからもいろいろな経験や体験談をブログにアップしていきます。
いつでもご訪問していただきコメントを通じて交流していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。