3.11、あれから5年

福島原発事故は終わらない・・・

 

2011年3月11日、あれから5年の歳月が経ちました。
多くの方々が、この日を忘れることはないと思います。

ある有名なベテラン女優さんが、日本の平和が続くためにコメントされていました。
「ずっと戦後でいいんじゃないの?」これは戦後70年、100年、200年・・・。
「戦後」が続くことは、日本が戦争をしないということだから。
「もう戦後じゃないんです」みたいな言葉には、危機感を覚えます。

同じように「福島原発事故」も何年続いてもこの言葉は忘れてはならないと思います。
「原発事故は終わっていない」というよりも「終わらない」
と思います。
なぜなら福島の原発事故の教訓が生かされず、原発そのものが日本及び世界からなくならない限り終わらないと思います。

東日本大震災、福島原発事故からの復興をめぐっては、いまだに18万人の方々が避難生活を強いられています。
首相は、年頭の施政方針演説で「明るい日射しが見えてきた」「復興は新たなステージへ」と言っていました。はたしてそうでしょうか?
一国の政権を担う首相が、このような発言をされたことに大きな不安と失望が湧き残念でなりません。

国の原子力委員会では、福島原発事故による損害費用は6.9兆円と見積もり、その中で損害賠償額は5,9兆円、賠償額は5年間でゼロになると想定していました。
しかし、事故による被害が5年間で終わる見通しはありません。
被災者にとっては、これまで生活してきた環境が大きく変わり、生活基盤そのものが奪われてしまいました。そうしたことを見ないで、単に固定資産税の評価額だけで賠償金額の算定をしているという問題があります。                                                             更には、目に見えない放射能被ばくによって将来発生する健康被害の問題もあります。

原発事故以降、各地の原子力発電所の再稼働、電源3法に基づき立地道県や市町村に交付された金額は1059億円(2014年)、そして、インドへの原発技術の輸出・・・。
更に問題となっている使用済核燃料の処分、廃炉などの費用は19兆円(政府試算)にものぼり、又、福島原発事故の除染費用は、飯舘村1村で3224億円もかかっているようです。
これらは全て電気料金への上乗せと国民の税金で賄われています。

最近、与野党の中で衆院議員の定数削減について話し合われています。
首相は衆院予算委員会で「消費税を上げていくことにかんがみ、われわれも身を切る改革をしなければならない」と繰り返し答弁していました。
国民に増税というかたちで負担をしてもらう代わりに自分たちも定数削減を図り、経費節減に努めるということのようです。                            一見、国民に対して説得性のある答弁に見えますが、はたしてそうでしょうか?
「消費税と社会保障の一体化」として増税されたわけですが、実際は社会保障費に充てられた財源は1割に過ぎません。                              更に、定数削減に関して河野洋平元衆院議長は「定数削減で切られるのは、有権者の権利だ」(読売新聞)と言っていました。                                                         定数削減は、見方を変えれば消費税増税を国民に押し付け、国民・有権者の権利を侵害するものではないかと思います。                            定数削減と原発問題は一見全く関係のないように思えますが、国民の税金の有効活用という見方から考えれば、密接な関係にあると思います。
議員一人当たりの国民負担額(歳出)を年間約2億円とみた場合、定数削減で経費節約される金額と原発維持にかかる莫大な費用を比較したらどうなんでしょうか
その他、身を切るのであれば政党交付金320億円(2015年実績)はどうなんでしょうか
国の政策として今やるべきことは、もっと他にあるのではないでしょうか。

 

経営者の「責任」ということ

 

2月29日、東京電力福島第一原発事故で、東電の旧経営陣3人が業務上過失致死罪で強制起訴されました。

この起訴の内容はすでに報道されていますので特に詳しく触れませんが、ここで経営者の「責任」ということについて考えてみました。
まだ記憶に新しいと思いますが、昨年横浜で「傾きマンション」事故が起きました。
「部下が勝手にやったことで知らない」というようなことで、施工会社、販売会社、中間の下請け、元請などの関連会社間で責任のなすり合いになりました。
これは、ひとつの例であって「経営者の責任」ということが常にウヤムヤになるケースが多々あると思います。

ある経営コンサルタントの「経営者のビジネスマナー」の中で、
経営者はいうまでもなく、すべての社員の上司にあたるわけで、上司としての役割は、「指示、教育、責任」である。社員に仕事を任せ、そして責任をとる。
仕事を任せるのは、社員を教育し育てるためです。そして仕事を任せた結果、ビジネス上のトラブルが発生したら、そこで初めて経営者の出番です。
経営者であるということは、自社の社員が起こしたことはすべて自分の責任と考える。

「知らなかった」「聞いていなかった」「その案件は部署に留まっていた」「予測できなかった」「想定外のことだ」などなど・・・。
この発言自体が経営者としての資質がなかったということを裏付けていると思います。                       社長、CEO、取締役などの経営者は、地位と名誉、更にそれなりの報酬を受けています。その代わりに、それだけの責任とリスクがあるということだと思います。
そのことを理解、認識しなければトップに立つということはできないのではないでしょうか。

福島原発原告団は
「多くの関連死や自殺者を出している原発事故は明らかな人災だ。3人の有罪を勝ち取りたい」
                                  今でも仮設住宅で暮らす高齢者は
「賠償金をもらっても古里は元に戻らない。東電の罪は重く、誰かが責任をとらないといけない」
南相馬市の桜井市長は
「南相馬市は1万7000人市内外で避難生活を強いられている。誰も責任を取らないのは許されない。裁判を通して責任をはっきりさせてほしい」
とコメントされていました。
※各報道記事より

あれから5年経った今、「明るい日射しが見えてきた」?、ほんとうにそうでしょうか。
国としてしっかりやるべきことはあるのではないでしょうか。

                        

4 thoughts on “3.11、あれから5年

  1. 私も戦後のままの考え方に賛成です。
    この国では、責任を取らないことが多すぎますね。
    政治家、官僚は責任をとらないで、大失敗しても逃げて、給料泥棒です。
    そのつけは、国民が払っています。

    1. 家犬さん

      早々のコメントありがとうございます。                この問題に関して家犬さんと共有できたことは良かったと思います。
      この間の政治家の不祥事や企業の経営者の「責任の取り方」ということについて大きな疑問を感じざるを得ません。
      今、社会の中で起きていることの中で「責任」について、もう少し突っ込んで考えてみたいと思っています。
      後日ブログにアップしていきます。

  2. 責任を取らなアカンのは、トップでしょうね。
    本当に知らなかったかもしれませんが、責任とる覚悟がない人はトップになってはダメです。

    知人が避難地区の動物のケアの為に活動してます。
    極論ですが、人は避難すればいい。
    生活出来なくなったら他人に何とかしてもらえばいい。
    でも、残された猫や犬はどうなるの?????

    住民の方の飼い方にも問題あるけど・・・。
    これも命を預かる責任問題だから根底は同じですね。
    趣旨とは違うかもしれませんが心が痛みます。

  3. ヒトミさん

    コメントありがとうございます。
    2日間ほど出かけていたので返信遅れましてすいませんでした。
    ヒトミさんがおっしゃるように、確かに責任を取る覚悟がなければトップになる資格はないと私も思います。

    そういえば、住民の方が避難された後、テレビの報道で犬や猫、又、牛などの動物が置き去りにされていました。ほんとうに心が痛む光景でした。

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