村山古道の核心部~富士裾野の樹林帯を歩く11時間
7月10日、村山浅間神社の開山式が行われました。この日を前後して富士周辺の各浅間神社や五合目の登山口にて開山式が行われたようです。そして、この日を境に五合目までの交通規制(一般車による入山規制)が実施されました。
山旅2日目のこの日、村山浅間神社の開山式(am11:00)を見ることなく、新六合目に向けて早朝入山しました。 前日は神社脇にある「村山ジャンボ」に宿泊しましたが、開山式準備の関係者の方々と同宿する機会に恵まれました。夕食を共にする中で、村山古道を経験されている方との話の中で「道迷い」が話題になりました。 「道に迷う登山者の共通した点は、下を向いて歩いていること」という指摘がありました。標識やマーキングなどの道しるべを見落としてしまうことで誤った方向に進んでしまうということです。そうした話を聞けば「当たり前のことじゃないか」と聞き流してしまうくらい全く単純なことで当然のことですが、実はこの一言が2日目の村山古道を歩く最も重要なポイントであったことを思い知らされました。
村山浅間神社
am5:00 いよいよ村山古道の入口です 。いきなり薄暗い道が続きます。
古道は、しばらく一般の市道と並走、交差しながら登っていきます。交差路では標識があり、確認しながら進んで行きます。
二股に分かれています。村山道標識は、チェーンがかけられた右方向です。一般車の進入を防ぐためのチェーンなのか? 跨いで渡り進みます。
山の中の場合、周りは全て草木で覆われ目印となるものはありません。この交差路は、来た道を含め四つあります。三方向のどの道を進むか迷います。左側に看板がありますが、標識ではありません。ガイド地図でも赤い登山道と等高線だけです。そして、どの付近まで歩いてきているかは意外とわかりずらいです。ガイド地図(右写真)を確認して多分この辺りだろうと予測して、書かれている六辻(もと五辻)と判断。実際は四辻?
「正面山裾の草の生えた溝路を左に進む」とあり、左前方の道を選択して進みました。
結果は正しかったですが、なぜこの場所に標識がないのか?
その理由は、後でわかりました。
草が生い茂っていますが、なんとか道はわかります。この場所で自撮りしましたが、この後カメラが故障してしまいタイマーが使えなくなりました。(ズームなどの機能全て) 通常の写真撮りだけができただけでも救いです。
倒木の中、溝路を進みます。所々に標識とマーキングがあります。
薄暗いトンネルのような樹林の中を一直線に道が延びています。普通であれば真っ直ぐ進みますが、ふと右側に目をやると、ダンボールの切れ端に書かれた矢印がありました。更にその先には、木の枝に結んだ赤リボンが何か所かありました。もしこの時、下を向いて真っ直ぐ歩いていたら道迷いになったと思います。一瞬、昨夜食事を共にした方の話が頭をよぎりました。
写真のように崩れて古道が行き止まりの箇所もいくつかあります。周辺を見回すと標識があり、いったん戻ってガケをよじ登ります。又、木に書かれた指示やペンキのマーキングもありますが、登山道上に標識版が立てられてない分岐場所が何か所もありました。
なぜなのでしょうか?
清閑なすがすがしい樹林帯の中はとても心地よくトレイルが楽しめます。
林道に出ると、その向こう側にマーキングがあり、村山道は更に続いています。
「札打場跡の大ケヤキ」
ガイド地図に写真入りで案内されています。地図上での現在地を確認する上では、たいへん有効な案内で助かります。
また林道に出ました。振り返って出てきた場所を確認すると何ら標識はありませんでした。下山時の時には、こうした場所に標識が立てられていればいいのに?と思いましたが・・・。
am9:30。浅間神社を出発して4時間半、富士山麓山の村管理棟に着きました。ここで一休みです。ペットボトルの自販機があり補給です。この先、六合目までは全て樹林帯の中なので最終補給地です。林間学校の学生さんに撮ってもらいました。久しぶりに人に会うとホッとします。
「中宮八幡堂跡」中宮馬返しとも言われ、当時村山より派遣された社人が常駐していた場所だそうです。ここまでは馬で登って来られたようです。
写真右:「女人堂跡」 当時、女性の登山者はここまでで禁止され、女人堂に籠って頂上を拝み下山したそうです。
一面コケの生えた場所にでました。何かひんやりとした大気が漂っています。
am11:10。富士スカイライン横道に出ました。ここでランチタイムです。今まで来た経路とこれから向かう登山道の確認。 今日からマイカー規制がはじまったため、ほとんど車は走っていませんでした。唯一、富士宮登山口(五合目)に向かうシャトルバスが、登山者を乗せて走り過ぎていきました。
標識がありました。「高針駐車場~御殿庭コース」の案内用の標識で村山道については何ら書かれていません。その先の木にくくられたパウチの紙に「村山道」と書かれていました。ここでも標識版としての杭は立てられてなく紙案内のみです?
15:30。スタートしてから10時間以上経っています。体力的にもかなり厳しい状況です。ガイド地図によれば最後の急登だが、村山道を塞いでいるこの倒木帯はなんだ~!
今まではくぐるか跨ぐか、それとも登山道からはずれて迂回するかの3択で対応できましたが、この状況では選択できない。リュックを降ろして這いつくばって抜けるしかない!ということで実行。 この時フッと時間を確認。この区間の参考タイム80分(山と高原地図)で分岐に出られるはずが、すでに120分近く経っている。時間的にちょっとおかしい?
又、この倒木帯は廃道か?などと考えを巡らせる。もしかして道を間違えたか!といやな思いが頭をよぎる。しかし、方角の正しさと唯一頼みの赤リボンがあることを信じて倒木帯を直進。
体力の低下と道迷いの不安の中、前方に見慣れた村山道のパウチを見つけました(写真)
やったー、正しかったんだ!と今までの不安な気持ちと疲れが吹っ飛びました。
左写真:ここは交差路で直進が村山道です。実は写真に写っていませんが、村山道を塞ぐようにローピングされていました。左に行けば富士宮口五合目駐車場、右に行けば宝永山の第二火口縁に至ります。 右地図:地図でも間違いなく直進が村山道です。ちなみに地図上では、この地点は富士宮市のエリアです。なぜローピングされているのか?
ローピングを無視して村山道を直進するとイッキに視界が広がりました!森林限界はここまでです。前方には頂上方面と今夜の宿泊地の宝永山荘が見えます。そして、右方向には宝永山がくっきり姿をあらわしました。今までの曇り空が青空に変わった瞬間でした。
表富士方面の景観。夕日に照らされた「影富士」ラッキー!
開山ニュースの実況放映
山荘では何やら物々しい状況です。なんと富士山の開山に合わせて静岡第一テレビの実況放映が、この宝永山荘で行われるということでした。6時15分からのニュース番組です。
山荘の女ご主人もインタビューされる場面もあり、事前に2回ほどリハーサルされていました。又、当日の宿泊登山者に対する事前のインタビュー録画もありましたが、私は到着が少し遅かったのでインタビューされませんでした。残念! しかし、宿泊者の夕食風景の中でちょっとだけ映っちゃいました。(ほんの一瞬)
村山古道は歴史的な価値のある文化遺産
ということで、2日目11時間半かけて六合目までなんとか辿り着きました。
同宿した登山者の中に富士山の世界文化遺産ボランティアガイドをされている方と夕食を交えながらお話する機会がありました。その方は、村山古道の経験者であり推奨されていました。話の中で登山道の案内板や標識について話題になりました。 今日実際に村山古道を歩いてきた中で、何か所か不明瞭な場所や交差路の標識において疑問を持つ点を話しました。一歩間違えば道迷い、最悪遭難に至る場合もありえます。
その方も全く同意見で標識の不備を指摘していました。このことについては、いくつかの問題をはらんでいるようです。 村山古道は、一部国有地の中を通っていること。又、富士周辺の行政(市の考え)の歴史的な背景があるようです。例えば、国有地の敷地内においては杭一本打てない実情。設置してもすぐに撤去されてしまう現状があり、イタチごっこの状態が続いていることなどです。
私は、行政に携わる者でなく、こうした事項の専門家でもありません。単なる登山愛好者の一人として単純な疑問を持ちます。登山道沿いには先人が残した史跡もあり、歴史的にも評価される道だと思います。そうした古道であるからこそきちっとした整備が必要ではないかと思います。現在、村山古道を復元しようとするボランティアの方々によって、なんとか登山ができる状況にありますが、やはり行政による支援が求められるのではないかと感じます。 2013年6月、富士山は世界文化遺産に登録されました。だからこそこうした歴史的価値のある村山古道の復活と整備が必要であると思うばかりです。
3日目はいよいよ登頂です。深夜1時出発ですから、今夜は早めに寝ます。
「富士山」 つづく