「政治とカネ」問題

裏金の闇~今も昔も変わらない・・・

政・財・官の関係に思うこと

 

自民党派閥のパーティを巡る裏金問題が大きな話題となっています。
私たち庶民にとってはとんでもない問題として憤懣やるかたない思いではないでしょうか。
ちょうど確定申告の時期ということもあり、多くの国民が納税に関わる公平性おいて疑問や怒りが爆発しています。

このパーティ券の問題は、連日のように多くのメディア報道や野党の追及などで明らかになっているので、ここでは特にその詳細は省きますが、今回のスクープについて振り返ってみたいと思います。
このスクープもメディアで報道されているとおり、一昨年の「しんぶん赤旗」日曜版の特ダネがきっかけでした。
この点について、昨年12月31日東京新聞「時代を読む」コラムに田中優子氏(法政大名誉教授)がコメントされていました。

年末になって次々と明らかになってきた自民党派閥パーティ券を巡る裏金も、醜い問題だ。誰も気づかなかったが、1年以上前、昨年11月6日の「しんぶん赤旗」がスクープした。このとき、他の報道機関はほとんど取り上げなかった。しかし、その調査結果を見た神戸学院大学の上脇博之教授は「これはすごい」と仰天した、と「Arc Times」で語っている。大変な手間のかかる調査をやり遂げたことに驚いたのだ。そしてその調査をもとに、政治資金規正法違反容疑で東京地検に刑事告発した。それをもとに特捜部が動いたことで、他のメディアはようやく報道を始めたのである。
醜いニュースが多い中で、ジャーナリストの調査と市民の連携が政治家の不正を追い詰めたことには、希望が持てる。

12/31東京新聞より

 

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2023年12/31東京新聞「時代を読む」田中優子氏のコラム

 

上脇教授のなぜ「これはすごい」のかという発言の内容はすでに報道され皆さんもご承知かと思いますが、私も少し調べてみましたので簡単に記してみます。

政治資金規正法では、一回のパーティで同一の企業や政治団体から20万円越の収入があった場合、大口購入者の名前などを収支報告書に記載するよう義務付けています。
しかし、この抜け道として各派閥は、依頼した議員ごとの入金額が記載義務のある20万円以下であるのを良いことに、あえて同一の者からの収入を足し合わせず、記載を逃れていたそうです。
つまり、派閥のパーティでは、議員ごとに企業や団体にパーティ券を買ってもらっている。派閥側はそれを足し合わせないことで企業の名前が表に出ないようにしているということです。
一般に派閥の収支報告書の方はだれもが調べますが、それとは逆の、購入した政治団体から調べるのは簡単なことではありません。(政治団体は全国で5万越)
そこで、「しんぶん赤旗」の調査は、購入した政治団体をおおよそ見当をつけて、団体側の支出と派閥側の収入の記載を突き合わせて不記載が明らかになったようです。
この時の調査や取材で団体の事務担当者は「各議員からパーティの案内があり、それぞれ分けて入金した」と説明していたそうです。その内訳も団体の収支報告書にそれぞれ記載されていたことから確かな証拠になったようです。気の遠くなるような地道な作業だったと思います。

日曜版から指摘を受けた派閥側は、その都度訂正したようですが、あくまでも指摘を受けた団体を書き加えるだけで、自ら点検をしなかったことから、その後次々と明るみになり裏金の闇が大きく浮き彫りになったのが今回の腐敗事件といってもいいでしょう。

こうしたパーティ券裏金問題を私たちが知ったのは昨年末です。あまり知られていない「しんぶん赤旗」がスクープしたのが一昨年の11月。この間のメディア報道は何らありませんでした。上脇教授が刑事告発して東京地検特捜部が動き出すまでの時間があったからなのでしょうか。
しかし、こうした記事というのは真っ先に大手メディアも追随してしかるべきだと思います。まったく後手に回ったのも気になります。
この点について、フリージャーナリストの青木理氏が見解を述べていました。

当局が捜査に動き出すと突然大きく報じはじめるような、捜査機関追随型の報道ばかりで、メディアは権力監視の責任を果たせるのか。
こうしたメディアの体質の根源には、大手メディア各社が官公庁などの「記者クラブ」情報に依存している問題もあります。そうではなく、メディアが自らの取材と責任で調べ、報じる「調査報道」にもっと力を入れるべきです。

確かに言われるように、大手メディアが官公庁などの情報だけに依存していることから、こうしたパーティ券の購入が形をかえた企業・団体献金になっていることに疑問さえ思わなかったのでしょう。自ら「これは大問題だ!」という視点がないのも残念でなりません。

 

松本清張の小説「歪んだ複写」

 

先日、年一回発行の同人誌が届きました。
昨年、同じ地域に住む同人誌の知人(編集者)から依頼され、私もエッセーを投稿させてもらいました。
いつも楽しみにしている同誌でしたので届いた早々読みました。

この中に、戦後史探訪「松本清張の登場」と題する紀行文が投稿されていました。
その著者(70代)は若いころから清張ファンだったようです。書き出しは「二十歳の頃、神田の古本屋街を歩き廻り清張の本を買い求めていた・・・、清張の姿や匂いを追い、そして又、主人公の息遣いを求めて九州への旅になりました」というところから始まっていました。
紀行文には、小倉の「清張記念館」に訪れたことも描かれていました。私も数年前、九州くるま旅で立ち寄ったこともあり、また清張の本を読んでみたいな~という思いになりました。

 

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同人誌の紀行文。清張の「歪んだ複写」。

 

そんなことで、早速図書館で3冊借りてきました。
その中の一冊「歪んだ複写」のストーリーに深く興味を覚え、一気に読んでしまいました。

物語は、税務署員が職権を濫用して脱税に関与し、供応を受けるなどの汚職を発端に連続殺人事件が起こるストーリーです。
この事件の解決に導いた小説の主人公である田原新聞記者が最後にこんな言葉を残していました。

「税務署員が、そういう小さな汚職を汚職と考えない限り、後から後から根は絶えない。ぼくらが憤激するのはね。ぼくたちの給料がガラス張りで税金が天引きされているだけを言ってるんではない。また、正直者がバカをみるということだけでもない。それは、現在の重税では中小企業者の中には営業がなり立たない者もいるだろう。税金をまけて貰うのはいいのだ。しかし、そういう納税者の弱点につけ入って、昔の岡っ引きみたいに、タダ食い、タダ呑みするばかりか、業者に女をねだり、高価な物品を買わせ、札束をうけ取っては己の懐を肥えさせて恥じない、税務官吏の悪辣なやり方が憎いのだ」

この小説では、税務署員が裕福な企業家の法人税脱税に加担し、その見返りを要求するものでした。一言でいえば「財と官」の関係を描いた物語でした。

又、最終頁の解説では小松伸六氏がこのようにコメントされていました。

昔のようにお役人が「天皇の官吏」という名で絶対権力をふるうことはさすがになくなり、戦後の官僚組織のなかにもお役人は「公共性」をもたねばならぬとか、人民の「公僕」であるという考え方は入っているように思われます。しかし、それは形の上のことであって・・・、とくに税金をとるお役所の役人に対しては「民」は卑屈なほど戦々兢々としていることは、皆さんもご承知のことと思います。「官」への追従、懐柔、供応そして汚職はそこから生まれるのです。

更に、小松氏は清張の「ある小官僚の抹殺」という小説の一文を引用していました。

「汚職事件には直接の被害者がない。金品を贈った方も、もらった方も利益の享受者である。公式めく言い方をすれば、被害者は国家であり、国民大衆である。しかし、これは茫漠として個人的には被害感を与えない。・・・汚職事件は個人的には被害者が不在で、利益者のみで成立している。利益者たちは、相互の安全を擁護するために秘密を保持している。相手の露見はおのれにつながっているから、これほど堅固な同盟はない」

ここで注目したいのは、”脱税や供応、金品授受などの汚職には直接の被害者がない” という点です。
なるほど、そう言われてみればそうですね。過去何度も政・財・官の間で汚職事件がありました。その時は大きな問題として取り上げられましたが、時間が経てば忘れたかのように過ぎ去っていきました。
これは、まさに ”直接の被害者がない” という事件だったからなのでしょう。私たち庶民にとって個人的な被害感がなかったことがメディアも含め権力監視を弱めたのかもしれません。

今、起きている自民党派閥パーティ券を巡る裏金問題は、「政・財」に関わる癒着の大事件です。
パーティ券の購入が形をかえた企業・団体献金で政治を歪めることにつながります。

■多額の献金は、当然その見返りがあります。
例えば、財界から要求され続けてきた法人税の度重なる減税(過去7回)は、結果として大企業の内部留保(500兆円越)として貯めこまれました。又、経営者側に有利な労働法制の改悪(非正規雇用拡大、低賃金)。防衛費拡大に伴う軍需産業の擁護(三菱・川崎重工など上位20社が1億6千万円越の献金)。原発推進を図る現政権は毎年莫大な予算計上で原発関連企業・団体でつくる日本原子力産業協会から6億3500万円の献金を受けるなど。
行政においても各省庁の官僚の天下りもまだ続いています。

■参政権を持つのは私たち一人ひとりの国民です。企業には参政権はありません。
金の力によって政治が歪められていれば、有権者である私たちの願いや要求は国会に届きません。憲法上の根本に関わる問題です。

私たちが納めた大事な税金は、私たちの暮らしの向上や安定のために使われるものです。
その集められた税金が国家予算(歳入)として適正に配分(歳出)されなければならないものが、一部企業・団体の利益のために使われているのが現実ではないでしょうか。

清張の小説の一文にあるように、「被害者は国家であり、国民大衆」ということがよくわかります。
そして、このような裏金が長い間続いたのは、これもまた清張の一文にある「利益者たちは、相互の安全を擁護するために秘密を保持している・・・これほど堅固な同盟はない」ということもまさにそうなんでしょう。

 

松本清張の小説を読むキッカケとなった同人誌の紀行文に、著者はこのように綴っていました。

「清張の作品はこれからも、いや、これからますます数多くの読者を引き付けていくでしょう。なぜなら清張の分身は、今の世にも満ち満ちているのですから」

この紀行文は、清張の生まれ育った小倉や小説の舞台となった九州の地を探訪する内容のものでした。
今起きているパーティ券の裏金問題とはまったく関係のない文でしたが、奇しくも私が読んだ「歪んだ複写」をとおして清張の分身が訴えているように思えました。

この小説は、昭和34年~35年にかけて「小説新潮」に連載されたものでした。今から64年前です。
今も昔も変わらない「政・財・官」の関係が、様々に形をかえて続いているんですね。

そして、この裏金問題の最大の被害者は、私たち国民であることをしっかり認識しなければならないと思います。

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