大学ゼミOB会

70年代、学生だった ”あの時代”

経済学をとおして社会を知る

 

今、昭和のシティポップが海外の音楽ファンや日本の若者に聴かれているそうです。
平成生まれの若者が「新しい」と反応し、ユーチューブなどで往年のヒット曲に関心が高まっているようです。
又、テレビでも「70~80年代の昭和歌謡」と題して放映される歌番組が増えてきています。60~70代のシニアの人たちにとってはとても懐かしさを感じるのではないでしょうか。

戦後、日本の歌は、作詞・作曲家により作られ歌手が歌うのが一般的でしたが、70年代の頃からは特に若者やグループによるシンガーソングライターが主流になり数々のヒット曲が生まれました。
私が大学に入る頃、フォークソングからニューミュージックと言われるポップに移る時代でした。
フォークソングでは吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫などをよく聴きました。と同時に、ユーミン(当時荒井由実)や中島みゆき、グループではオフコースやチューリップが全盛期だったように記憶しています。

こうした時代背景の中、1975年私は衣類の入ったバック一つとラジカセ片手に静岡の片田舎から上京しました。山手線ではドアの開閉が早いのに驚き、落ち着いて座席に座ることができませんでした。新宿駅では路線と人の多さに驚き、地下ターミナルでしばらくの間立ちすくんでいたことを思い出します。

70年安保後の私たち若者は、マスコミから無気力、無関心、無責任という ”三無主義の世代” と揶揄されました。60年後半から70年にかけて大学紛争が大きく渦を巻いた時代に比べれば、確かに何か目的を見つけられない世代だったからそう言われたのかもしれません。
しかし、現実はまだ多くの大学で武装学生が我が物顔で闊歩する時代でした。私もある大学入試で機動隊に囲まれながら入試会場に足を運びました。試験中、校内から武装学生のアジテーションが聞こえていた大学が複数ありました。
まさに荒廃した大学のイメージがまだそこにはありました。

 

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2つの経済学

 

私が入学した大学は、当時のこのような荒廃した大学のイメージは全くなく、ヘルメット姿の角材を持つ武装学生は一人もいませんでした。
入学後わかったのは、大学自治が民主的に学生たちの手によって運営されていたことでした。一部のセクト集団によるものではなく、大学自治について各クラス討論を重ね、民主的な選挙で執行委員選出するというかたちをとっていました。
学生自治会を中心に文化会、体育会、ゼミ会、寮、生協などの各学生組織がまとまっていたことが大きな特徴でした。

大学の講義は、経済学と経営学を中心とする大学でした。
当時の経済学原論は、近代経済学とマルクス経済学が必須科目でした。この2つの経済学を同時に学ぶことができる大学は数少なかったです。振り返ってみれば良かったと思っています。
というのも、相反する経済学を学ぶことで互いの長所・短所を知ることができたからです。一つは資本主義経済、もう一つは社会主義経済、それぞれの教え、しくみを比較しながら理解できたことです。
当然、学生の間ではこの2つの経済学について議論が起こります。教室やキャンパス、学生会館などで学生たちが議論し合う姿をよく見かけました。学内にはこうした討論する土壌・風土があったのでしょう。

この2つの経済学をとおして今の社会のあり方を学ぶことができました。

 

先生の教え~ ”モノの見方・考え方”

 

先日、ゼミの教授が卒寿を迎えたお祝いのゼミOB会が開催され出席しました。
以前にも2度ほどゼミ生の会が行われ、この時も先生の退職と喜寿のお祝いを兼ねたものでした。

私が学んだこのゼミは、労使との関係を研究する経済学でした。現在の資本主義社会の中での労働者と使用者(資本家)との関係をとおして、”現代社会そのもののしくみ” についての教えでした。
高校までの授業というのは、教科書に沿った知識を覚え詰め込むだけのものでした。もちろんそれらは必要な勉強なのでしょうが、大学の各講義も含め、本当に正しいものなのか?という疑問もありました。
特に社会科学の分野は、数学や物理などと違い一つの答えはありません。様々な見方や考え方によってその結論は、違った答えを複数もっています。
前述した近代経済学とマルクス経済学も同様です。

ゼミでは、労使間の関係を学ぶだけでなく、時事問題についてもテーマに挙がりました。
当時、政界ではロッキード疑獄が大きな事件として日本を震撼していました。この問題についてもゼミで討論したことを覚えています。
この時も普段のゼミ学習会と同じように、先生は暗に「君たちはどう考えるのか」という問いかけがありました。これも一つの答えはなく、討論や関連資料を基にどう思うのか、どう考えるのかという場でした。
このことは、今までにない授業のあり方でした。それは生徒自身が自分自身で考えることの大切さを暗に教えていたことだと思います。

 

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先生の卒寿を祝うゼミ生の会
60~70年代にかけての大学生活の思い出の数々。

 

以前読んだ本に、あるライターの「社会問題わらしべ長者」という頁がありました。この中の一文に、

「この問題は自分には関係ないことだから、と遮断すると、どんな社会問題も遠ざかってしまう。そうすることで自分の平穏が保たれるかもしれないが・・・、そうではなく、逆に、この問題が起きるのはなぜなのかと考えていけば、バラバラに見えた問題同士が繋がっているとわかり、社会の構造がより見えてくる」

労使との関係をとおして働く環境や条件に疑問を持てば、次に労働基準法へと繋がり、更に政治との関係性がはっきりと見えてくることになります。
例えば、今大きな社会問題として非正規雇用が拡大しています。正社員と比較して賃金や待遇面において目に見える格差がありますが、これも「なぜ起きるのか?」と考えていけば、労働における強者と弱者の関係や派遣法などの労働法制に繋がり、これもまた政治との関係性が見えてきます。

「ジェンダー問題に関心を持った結果として、社会への視野が広がったことを『社会問題わらしべ長者』と形容した。そもそも、自分に関係ないことなんてないはずなのだ。問題を細分化させればさせるほど、そこで苦しむ当事者たちは、逃げ道を見つけにくくなる。アレとコレは共通する問題なのに、断ち切ることで孤立させてしまう。『わらしべ長者』的な観点で繋ぎ合わせることで、社会に対する感度をあげていく」

 

先日、文科省の事務次官であった前川喜平氏の講演を聞く機会がありました。
講演の中で、学校教育において「生徒に批判的精神を持たせる大切さ」というお話がありました。これは学校や教師の教えを鵜呑みするのではなく、生徒自身に考えさせなさいというものでした。
教師が右と言ったら右を向く、左と言ったら左を向くような教育では生徒は成長しないということでした。

この時、私は大学ゼミの先生のことを思い出しました。47年前、先生はすでに批判的な精神を持たせる指導を行っていたと思いました。私たちの身近な問題や社会経済、政治の出来事を傍観者的、第三者的なモノの見方ではなく、自分自身に置き換えてどう考えるかという教えでした。
それはまさに単一と思われた問題をつなぎ合わせれば、見えてくるものがある。そして、そのことに対し疑問を持てば、逆に批判的な考えがあってもいいんだという教えだと思います。

 

今、インターネットによって日本や世界の動きが瞬時にわかる時代になりました。又、わからないことや調べてみたいことをスマホで検索するだけでその答えや内容を手にすることができます。
便利な時代になったといっても、それは ”使い方” にあるように思えます。というのも、自分にとって関心のあることだけ検索しそれに集中してしまう傾向にあります。逆に関心がないことはまったく知らない、わからないとあっさり決めつけてしまいます。

 

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東京新聞記事

 

12/9日東京新聞の一面に、「よりよい民主主義ってなんだろう?」という記事が掲載されていました。
この中の若者たちのオンライン講義で「野党の政策が見えにくい」「政党はもはやいらないのでは」という意見が出ていました。
例えば、選挙期間中によく耳にするのは、「野党は政策があるのか?」「野党は何をやっているのかわからない」などの声が聞こえてきます。
政治に関してテレビ、新聞などのメディアのニュースは、9割以上、いや100%に近い内容が政府与党の報道です。又、インターネットのトップ画面の時事報道も同様です。
つまり、私たちが普段目にするもののほとんどが政府与党の報道なんです。そういった社会の仕組みになっていることに気づき、疑問を持つことが必要ではないでしょうか。
「野党は政策があるのか?」という問いに対して、若者が得意とするネット検索すれば、多分読み切れないほどの情報量があるでしょう。
普段私たちが目にする情報だけで判断するのは非常に偏りが出てくると感じます。結果、傍観者的な見方に陥りやすくなるように思えます。若者にとってネットというツールがあるのであれば、その使い方によって様々な見方や考え方ができるのではないかと。

 

大学時代の同期生の一人が某大学の職員として就職しました。先日、お互い定年退職後久しぶりに会う機会があって話を聞きました。
彼が言うに「国から私学への助成金は様々な意味で規制がありひも付きだ。講義内容においても同様だ」と。
一昨年、政策提言を行う国の特別機関「日本学術会議」が、新会員として内閣府に推薦した法律・歴史学者ら6人の任命について、当時の菅首相が拒否した問題がありました。
70年代、私たちが大学で学んでいた頃、もっと自由な講義や研究があったように思います。それは体制に縛られることなく自由闊達な議論や、時には批判的な考えもはっきと言える風土・校風があった時代でした。と同時に、「日本学術会議」も独立した組織として尊重されていました。
もちろん今もそうした土壌があると思いますが、一つの学問をとおして社会のしくみや政治のあり方まで考えさせ、導いてくれる授業があるかといえばどうなんだろうか?と思います。
いろいろな意味で、”忖度のない教育” というものを考えさせられます。

今思えば私たちが学んだ70年代、学生たちによる民主的な大学自治運営、そして、モノの見方と考え方を教えてくれた先生に感謝の気持ちです。

1977年、学園祭で当時人気グループだったハイファイセットのコンサートがありました。キャンパスにはヒット曲「フィーリング」が流れていました。この曲を聴くとあの時代にいつでも戻れるような気がします。

3 thoughts on “大学ゼミOB会

  1. 先日はお疲れさまでした。
    ブログ拝見しました。多岐に
    渡っての内容なのでそれぞれ
    のことに対してのコメントは
    また改めてお伝えしたいと思
    います。
    当日は体調を崩し、声が出な
    く、3人でコーヒーを飲み話
    しをすることに迷いましたが
    改たな出会いもあり、いろい
    ろお話しでき良かったです。
    Kゼミの活動よりもゼミ連
    や自治会や学生会館準備委員
    会、サークル(観光事業研究
    会)の立ち上げ、個人的には
    旅行などで忙しい大学生活で
    した。
    ちなみに4年間で280日ほど
    東京を離れていました。
    また、お話しできる機会があ
    れば、はっきりした言葉でお
    話しできると思います。
    今日は仕事でしたが明日は高
    校の友人と泊まりで日光に行
    きます。
    また、お話し出来ればと思い
    ます。

    1. ゼミOB Y・S様

      ご連絡ありがとうございます。
      先日は大学時代のいろいろなお話ができてとても楽しかったです。
      特に先輩方とは在籍期間が重ならなかったことから、貴重なエピソードが聞けました。
      私が入学した当時、学生会館が建設中でした。会館建設の準備委員をされていたんですね。今でも会館がきれいに残って使われていましたが、あの会館は私にとって一番思い出に残る建物です。

      お会いした後、Z・Nさんから鈴木さんはゼミ連の活動をされていたと聞きました。多忙な学生生活をお過ごしされていたんですね。
      サークルでも活動されていたんですか。観光事業研究会ですか、その時のお話もぜひ聞かせていただきたいです。私も退職後に全国各地をまわったのでたいへん興味があります。

      今回お会いできてたいへん良かったと思っています。またぜひお会いしていろいろなお話ができたらと思います。Z・Nさんにも連絡しておきます。
      コメントありがとうございました。

      追伸:コメントへの連絡は、わかるようなセカンドネーム(ペンネーム)でかまいません。
      又、個人的な情報交換であれば「お問い合わせ」に連絡いただければ、メール交換できます。一応、お名前変更修正しておきました。

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