風速12~14mの風雨の中・・・
裏銀座コース12時間のロングトレイル
登山3日目は、鷲羽岳、水晶岳、そして裏銀座を縦走して野口五郎小屋までの行程です。
今回の山旅では最も長いロングトレイルになりました。
昨日までの天気とは打って変わって雨混じりの強風が吹いていました。
午前4時真っ暗な中、ヘッドライトをつけて雲ノ平山荘を出発。目指すは鷲羽岳。まずは祖父岳を経由してワリモ分岐までの登山道を進みました。
風雨の中、登山道沿いに咲くイワシモツケとキヌガサソウ
北ワリモ分岐
出発して2時間半、標高2840mの北ワリモ分岐に到着。
この場所は、鷲羽岳と水晶岳の中間にある乗越です。鞍部とはいっても風雨は強いです。
ここでザックをデポして水だけ持って鷲羽岳を目指しました。ザックカバーを装着しているものの、雨が強いためザックをツェルトで覆い出かけました。
山全体がガスで覆われ視界は数十メートル。ただ登山道はしっかり見えるので道迷いはありません。
稜線に出たことで風雨は一段と激しくなってきました。
先ほど追い抜いて行った若い登山者2人が、崖の上から「ライチョウがいますよ~」と声をかけてくれました。我々が来るのを待っていて知らせてくれました。
なんと5匹のライチョウ親子でした。ライチョウは天気の悪い日に姿を現すようで、ちょうどこんな日に見れる確率が高いんですね。天敵から身を隠すため毛の色は岩と同色でした。
我々が登頂した後に戻って来た時もまだいました。ここに巣があるんでしょう。
鷲羽岳登頂(2924m)
残念ながら視界ゼロ。山の天気は変化しやすく、こうした状況も受け入れるしかありませんね。
仲間6人の記念写真を撮って早々に下山。
この鷲羽岳から見た眺望は実際にはどんな景色なのか?
2015年夏、鷲羽岳を登頂した時の写真を添付しておきます。
ワリモ岳から見た鷲羽岳。頂上からの黒部五郎岳と眼下の谷が黒部源流(2015年7月撮影)
黒部といえば、その谷の深さと険しさと美しさとで有名だが、その黒部川が産声をあげるのが鷲羽岳である。この頂きに立つと、黒部川の幼年時代の発育ぶりが手にとるようにわかる。源流は一跨ぎ出来るささやかな流れである。その水がやがて切り立った絶壁の間を、たんとなり淵となり滝となって、猛々しく流れて行くのである。
深田久弥著「日本百名山 鷲羽岳」
鷲羽岳登頂後、ワリモ北分岐まで戻り、ザックを背負って水晶小屋を目指しました。
水晶小屋まで約1時間の行程もかなりハードな岩稜帯が待ち受けていました。
その後、予定通り水晶小屋に到着。雨具を着ているものの汗と雨水で着衣は濡れていました。小屋内で着替えと食事でしばらくの間休憩。
態勢を整え水晶岳に向かうも、身体の冷えと激しい風雨のため4人は小屋に引き返し、まだ体調が大丈夫な2人は水晶岳登頂。
こうした状況も険しい北アルプス登山ならではのものです。無理をしないことが大事ですね。
風雨で全く見えなかった水晶岳も実際にどんな山容だったのか?
こちらも以前登頂した時の画像を張り付けておきます。
水晶小屋と小屋から見た水晶岳(2015年7月撮影)
今回の鷲羽岳と水晶岳について、登山口からの所要時間を考察してみました。
登山家の樋口一郎氏著書の「新釈日本百名山」に「登山口から山頂までのコースタイムの長い順」ランキングが記載されていたので紹介します。
なんと、鷲羽岳と水晶岳が最も登山口からの所要時間が長いんですね!
思い返してみれば、北アルプス最深部と言われるだけあって、確かにこの二座は遠かったです。
裏銀座コースと野口五郎岳
昨年7月、雲ノ平を目指して長野県側の高瀬ダム登山口からブナ立て尾根を登り、裏銀座コースに入った所で引き返しました。これは台風接近による撤退でした。
今回はその逆コースです。雲ノ平から北ワリモ分岐で裏銀座コースに合流し、水晶小屋~真砂岳~野口五郎岳~野口五郎小屋~烏帽子小屋~ブナ立て尾根下山です。
風雨の中、水晶小屋を後にして、今夜の宿「野口五郎小屋」を目指しました。時間にして3時間のコースタイムですが、休憩や天候の影響で4時間以上の行程でした。
大きな石がゴロゴロと積み重なる登山道には苦労しました。こうした岩場には目印のマーキング(白ペンキ)が印されています。
こうした険しい山岳地帯にも風雨に負けず可憐な高山植物が咲いていました。
ウサギギクとヨツバシオガマ
野口五郎岳(2924m)と野口五郎小屋
野口五郎岳に登っている途中で小屋から電話が入りました。到着時間が遅れていたことから心配して連絡があったんです。
小屋に着いたのは夕方4時半。なんと雲ノ平山荘を出発して12時間以上経っていました。これだけ長い行程は初めてでした。
衣服は濡れ、ザックの中身もかなり湿った状態でした。救いだったのは「乾燥室」が機能していたことです。
一般的にどの小屋も乾燥室はあるものの、夏場の場合は意外と稼働していない所が多いです。
登山4日目、早朝4時小屋出発。画像左後方が野口五郎岳。
5時過ぎ頃、雲の間からのご来光。
野口五郎岳から三ツ岳の縦走路は岩場が多いものの、次第に歩きやすい登山道になっていきました。
ようやく眼下に高瀬ダムが見えました。更に前方には烏帽子岳が!
昨年、途中で引き返した場所に来たことからホッと一安心。
烏帽子小屋と小屋から望む立山方面
小屋前に咲くイワギキョウの群生
日本三大急登のブナ立て尾根を下り、昼12時無事高瀬ダム登山口に下山できました。
長いようで短かった山旅もこれで終わりました。
3年越しの北アルプス大縦走、なんと言っても ”天空の雲ノ平” は我々の記憶に深く深く残るものでした!
下山後、仲間たちの開口一番は、「下界は暑いな~!」
「北アルプス雲ノ平」 おわり
余談
今回の北アルプスを終え帰宅してから伊藤正一氏の著書「黒部の山賊」を読み返しました。
伊藤正一氏は、ブログでも紹介したように三俣山荘、水晶小屋、湯俣山荘、雲ノ平山荘のご主人でした。
この書籍は、戦後伊藤氏が三俣小屋(現山荘)の権利を買い取り、黒部周辺の様々な登山道を開拓・整備し、雲ノ平を世に紹介した人です。
そんな伊藤氏が、初めて三俣小屋に訪れた時、山賊が小屋に居座っていたところからその物語が始まります。
「山賊」?という言葉にちょっと驚きと戸惑いを感じましたが、実は昔から長い間、黒部一帯を猟場、棲みかにしてきた「猟師」のことでした。
戦後20年代から黒部ダムが建設される頃までの様々な体験談、回想録がこの本です。
今から70年以上前(戦後)、黒部一帯に足を踏み入れる人はほとんどいない未開の地だったことがよくわかる本でした。
例えば、こんなことが書かれていました。
明治以前から長い間、黒部は遠山一家の猟場であり、すみかでもあった。そしてカモシカを獲ることは彼らにとっては正当な生活手段だった。私は富士弥(遠山)に、「いままでに熊やカモシカを何頭位獲ったか」と聞いたことがある。彼は ”そんな数はぜんぜん数えられない” といった面持ちだったが、それでも「熊は五~六百頭、カモシカ二千頭は下らないだろう」といった。
又、「熊の足の裏を食う」という文面では、
大きな熊だった。林平は上手に皮を張ったが、長さは六尺三寸であった。大きな釜で肉をにていると、倉繁は熊の腸をそのまま中に入れようとした。腸の中には排泄寸前の糞がぎっしりつまっていたので鬼窪があわててとめた。
「やいやい、これサ、そんな物を入れる奴があるか。クソじゃねえか」
「うんにゃ、これを入れなきゃ味が出ねえ」山賊(漁師)たちは盛大に食べた。
「最後にこれを食わなけりゃ、熊を食ったことにならねえ」
といって林平は熊の足の裏を薄く切って焼いたのを私のところへもってきた。口に入れてみると、ゴムをかじるような感じで、味もなく、歯も立たなかった。
※富士弥、林平、倉繁、鬼窪の4人は猟師。本に登場するこの4人が「黒部の山賊」
昭和25年ころまでは黒部源流には、イワナもたくさんいた。赤木沢のトロには、水族館さながらに群れていたし、薬師沢の中流では私が水中にいるイワナの写真を写したことがあるが、二坪ほどのところに三十数匹を数えた・・・。
また、たいへんな悪食で共食いもする・・・、イワナの腹の中からサンショウウオや、自分の半分ほどのあるイワナが出てくることもある。
富士弥はつぎのような話をした。
「わしが釣りをしていましたらね・・・そのうちに大きなイワナが出てきてヘビを水の中へ引きずり込んで食べてしまったですわい・・・」
ヘビがイワナをつることはどうかと思うが、ヘビがイワナを食い、イワナがヘビを食うことは大いにありうることだと思う。
こんな風に山賊との奇妙な生活をはじめ、山の遭難事件と登山者、黒部山中の埋蔵金、山小屋の費用や空輸、黒四ダムに関わった山賊たちの話など、黒部を中心とした体験談が語られていました。
今回は、太郎平から薬師沢出合の黒部源流を渡り雲ノ平、鷲羽岳、水晶岳、野口五郎岳、裏銀座を縦走する山旅でした。
この本では、これらの地名や山名が至る所で出てきました。実際に辿った登山道や景色を思い浮かべながら読み返してみました。
ご無沙汰しております。
人生を謳歌なさっておられるようで何よりです。
いろいろ盛りだくさんのブログを毎回楽しんで拝見いたしております。
私の姉73歳も、毎年7月には北海道の山、多分、大雪山だと思いますが
登りに行きます。
8月初めにはスーさんと同じ北アルプスに3泊4日で行ってきたとかで
感激していました。
山の話になると話が尽きないようですよ。下山後は必ず温泉に入るそうで
す。
びっくりするくらい元気な姉です。(笑)
健康に気を付けて、できるだけ長い間好きなことを続けられたらと
願う妹の私です。
Roseさん
ご返信遅れまして申し訳ございませんでした。
先週から昨日まで北海道に行ってました。娘夫婦とカミサンの4人です。
娘夫婦の仕事(IT関連)のお手伝いで観光情報収集(グルメ等)が主でした。とはいっても、半分は観光気分と運転手の役割でした。
今回は釧路・根室などの道東方面でした。
お姉さんのことは、登山が趣味ということでお聞きしていましたが、夏は毎年北海道に行くんですね。今でもお元気でなによりです。
趣味の話となると尽きない。どんな趣味でも同じだと思いますが、登山も同じですね。
山仲間たちともそうですが、山で知り合った一期一会の登山者とも話し始めると尽きません。
お姉さんのお話をお伺いするだけで、これからも多分お元気で過ごされると思います。やっぱり気持ちの上で充実している人は、年を重ねても生き生きとしていますからね。
コメントありがとうございました。