北アルプス雲ノ平 (2)

ハイ松と池塘、草原と花の庭園・・・

彼方にぐるり取り巻く名峰たち

 

「息を呑む」という言葉があります。
これは、驚きなどで一瞬息を止めるという意味として使われたりします。
しかし、”雲ノ平” の場合、一瞬だけではない。次から次へと展開される景色に ”息を呑み続けた” という表現のほうが当たっている。

観光旅行雑誌やパンフレットなどに「地上の楽園」「天空の○○」「雲上の○○」などのキャッチコピーをよく目にしたりします。それだけ素晴らしい風景・景観を楽しむことができる所なんでしょう。
私はこれらのコピーをぜ~んぶいただいて、すべて ”雲ノ平” という地に捧げたい。

今回仲間たちと共に山旅した感動は、まさにそれに匹敵するものでした!

登山2日目、いよいよ北アルプス最深部「雲ノ平」を目指す日が訪れました。

 

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薬師沢小屋から目の前の黒部源流を吊橋で渡りました。
この黒部川には大きなイワナが泳いでいます。小屋の玄関前には「キャッチアンドリリースがルール」と書かれていました。

 

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源流を渡ったすぐの所に雲ノ平直登の登山道がありました。いきなり見上げるような急登がまちかまえていました。
雲ノ平まで標高差約500m、2時間半の行程です。通常の登山道とは違い、大きな石がゴロゴロとした沢のような道?を足元を確認しながら慎重に登り続けました。

 

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2時間半の急登と樹林帯を抜けると一気に視界が広がりました。
標高2500mの台地の上に立った時、そこはまさに ”天空” という表現がピッタリ! ハイ松と池塘、トウヒやダケカンバが林立し、北アルプスの雰囲気を醸し出していました。

今まで太郎兵衛平、薬師沢から見上げてきた薬師岳がほぼ目線の高さに位置し、その山容を望むことができました。

 

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南方に目を向ければ、黒部五郎岳と三俣蓮華岳が目に飛び込んできました。(「アラスカ庭園」)

 

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木道を進むとハイ松と火山岩が見事に配置された「奥日本庭園」。右に目を向ければ三俣蓮華岳があんなに大きかったのか!
更に右後方には笠ヶ岳が見えてきました。

 

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一本道の木道ははるか彼方まで続いています。進むにつれてその景色も刻々と変化していきました。
右前方には小高い丘が、あれが祖母岳ですね。左後方には一段と高い山が望めます。雲ノ平のシンボル的な存在、祖父岳のようです。
黒部五郎岳も大きく見えてきました。口を開けたカールも少しづつ目に映ってきました。

 

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登山道沿いに咲くハクサンフウロとヤマハハコ。ミヤマコゴメグサ。

 

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雲ノ平山荘に向かう途中の分岐でザックをデポして手ぶらで祖母岳に登ってみました。
アルプス庭園が広がる先に堂々とした水晶岳を望むことができました。

 

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アルプス庭園と水晶岳

 

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小高い祖母岳頂上からは、更に高い位置から360度の視界がひろがっていました。
ナナカマドの赤い実が秋を感じさせてくれます。

 

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北西方向には薬師岳、更にその後方には剱・立山連峰が。東方に目を向ければなんと槍・穂高連峰までも見渡すことができました。
雲ノ平を中心にずらりと取り囲む北アルプスの名峰たちが微笑んでいました!

 

雲ノ平と伊藤正一氏

 

雲ノ平を世に紹介したのは三俣山荘ご主人の伊藤正一氏です。
今から76年前の1946年に三俣小屋(当時)と水晶小屋の権利を買い取った頃から雲ノ平全域を探索したそうです。
「想像を絶する素晴らしさに感激して、この風景を世に紹介したいと強く思った」とその後の手記に書かれていました。
後に雲ノ平山荘を建設し、多くの登山者が訪れるようになったようです。

伊藤正一氏が年2回(現在は年1回)発行している機関紙「ななかまど」(三俣山荘便り)があります。
数年前、私はこの機関紙のことを知り、三俣山荘に連絡してバックナンバーを郵送してもらいました。

 

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第2号(2001年)~第13号(2010年)までの12冊

 

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この機関紙「ななかまど」の第4号(2002年発行)に「雲ノ平に足を踏み入れた頃」と題しての回想文が記されていました。

昭和22年頃、雲ノ平という地名は知られていたが、内部のことは誰も知らなかったし文献もなかった。知っていることといえば、広大な溶岩台地でハイ松と絶壁に囲まれているというぐらいであった。
私はこの雲ノ平を周囲の山から眺め、ハイ松の間をぬけて入るルートを調べた上で探検に出かけた。
最初、現在ある黒部源流からの急登を登り、約100m祖父岳寄りのハイ松の切れ目を迂回し、第一雪田の下部に出た・・・。
第一雪田を突っ切って、その上部に出たあたりには、ハイ松と池塘と草原が点在し、形の整った岩石や、その岩の上部まで繁っている高山植物が美しい花を咲かせ、まるで庭師が粋を尽くして造ったような風景が展開された。

又、伊藤氏が名付けた庭園名についても書かれていました。

引き続き雲ノ平全域を歩いた。
現在知られている庭園名については、当時三俣小屋にいて、いろいろな人に雲ノ平に行くよう勧めていた際、場所を説明しようとしてもあまりにも広く、要所要所の名称が必要になった。
探検するにつれて雲ノ平全体が最初に見た日本庭園のように素晴らしい所だったので、それぞれ名称をつけて呼ぶようになり、現在の庭園名が定着した。

 

なるほど、確かに山深き所で「あそこは素晴らしい場所」と説明したところで、広大な範囲で目印もほとんどないですから難しいと思います。
多くの登山者がわかるように庭園名をつけたことは、本当に分かりやすいのではないでしょうか。

 

 雲ノ平山荘とスイス庭園

 

祖母岳でゆっくり雲ノ平の景色を満喫した後、雲ノ平山荘に向かいました。
この雲ノ平山荘は1963年に建てられ、その後2010年に伊藤正一氏次男の二朗氏主導で建て替えられたそうです。
ちなみに三俣山荘は現在長男の圭氏が経営。

 

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雲ノ平山荘と山荘前に広がるギリシャ庭園

 

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山荘のラウンジと食堂

 

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一般的な山小屋とは違いランチメニューは豊富です。心地よいジャズの音色の中で温かな食事ができました。
昼食後、山荘で身体を休めた後、スイス庭園に向かいました。

 

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雲ノ平山荘から30分ほどでスイス庭園です。庭園の特徴は目の前のそびえ立つ水晶岳を眺められることです。

 

水晶岳を立派に眺める場所が二つある。
一つは縦走路中の赤岳と野口五郎岳との中間あたりから望むもので・・・。
もう一つは雲ノ平からで、ここでは水晶岳はすぐ眼の前に仰ぐ位置にあるので、ドッシリした重量感をもって迫ってくる。そこから眺めて一番まとまりのある堂々とした山は水晶岳である。もしこれがなかったら、高原の値打ちの半分は減じるだろう。
深田久弥著「日本百名山 水晶岳」

確かに雲ノ平のどこから見ても一番目に付く高山は水晶岳でした。二つの峰頭(双耳峰)がキリッと立つ姿は圧巻です。そしてその全容がまじかで見れるのですから。

 

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岩苔小谷の先には薬師岳、谷底の奥には秘境といわれる「高天原」(たかまがはら)が見えました。
コーヒーを淹れてのひとときは至福の時間でした。景色を眺めているだけでゆっくりとした時間が流れていきました。

 

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夕食は山荘名物の石狩鍋です。これが思いのほか実に旨い!ほとんどの登山者がおかわりしていました。
疲れた身体と少し弱った胃腸にはとてもやさしい食事でした。

 

さて明日3日目は、鷲羽岳、水晶岳登山、そして裏銀座縦走です。

 

「北アルプス雲ノ平 (3)」最終編へ つづく

 

余談

雲ノ平を取り巻く日本百名山は、薬師岳、黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳の4座あります。
この4座を登頂するための登山口は主に3つあります。それは、富山県の折立、長野県の高瀬ダム、岐阜県の新穂高温泉からです。
この4座は雲ノ平を中央にしてぐるりと周れる縦走路が整備されています。前号でも記しましたが、登山者の多くは登頂を目的にこの周回する登山道を辿ることで雲ノ平に来るのは意外と少ないです。
又、立ち寄ったとしても通過するだけの登山者が多いのではないでしょうか。

深田氏の「日本百名山 水晶岳」にこんなことが書かれていました。

「ただ先を急ぐことのみを能とする縦走病患者は、この立派な山を割愛して、少しも惜しいとは思わないようである」

「日本百名山」の書籍が出版される以前の話なので、当時の登山者は水晶岳を横目に見ながら通り過ぎるというものだったと思います。
今では当然百名山の水晶岳を目指して来るわけですが、単に百名山のピークをハントするだけで、その山容や周囲の景色を見落としているのが ”もったいない” と強く感じます。
深田氏が言う「ただ先を急ぐ」「縦走病患者」を、現在に例えれば「百名山詣で患者」とも言えるのではないかと。
もちろんこのことは登山者それぞれの価値観の問題です。日々働く中で時間的な余裕がないこともあるでしょう。
しかし、この地にせっかく来るのだからできるだけ余裕を持ったプランでぜひ雲ノ平に来て欲しいと思います。

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