60歳からの現実(リアル) (37)

この歳になって見えてくるもの・・・

「〇〇の常識は、世間の非常識」?

 

私たち60代ともなれば、酸いも辛いも様々な事を経験してきた世代だと思います。

以前ブログで記したある小説の一文にこんな言葉がありました。

60歳を過ぎてから、初めて人生を俯瞰することができる、もっと広い目で人生を考えられるようになる

この「俯瞰(ふかん)」というのは、広い視野で全体を把握するという意味を持ちます。

私は登山が趣味です。
登山などで山の頂上から見下ろすと、今登ってきた登山道が手に取るようにわかり、周辺の山並みを一望できます。
こんな時も「俯瞰」という言葉を使うようです。

 

私たちは60年という歳月を過ごしてきました。
学校を卒業して社会に出たといってもほぼ限られた範囲の中で生活してきました。それは仕事(会社・組織)であり、家庭を持つことから一定の枠の中で過ごしてきたと。
それはごく当たり前のことで、その「場所」で責任を持って自分の役割を果たしてきたわけですから。

60歳というのは、長い人生の中でも一つの大きな節目と言われています。
今まで歩んできた道を振り返って見ることができる年齢ではないかと。
登山に例えれば、長かった上り坂を登って周辺が一望できる ”稜線に立つ” ということなんでしょうか。

この時、今まで登ってきた登山道は何の疑いもなく歩んできたルートだったが、果たしてこの道で良かったのか?、又、この登山装備で良かったのか?・・・。
稜線に立った時、他のルートから登ってきた登山者がいた、自分とは異なる道具を持っていたなど、今までの自分たちとは違うルートやツールに気づくことがあります。

このことは登山に例えた一例ですが、長い人生の中で仕事(会社)や家庭内で当たり前、常識だと思っていたことが、他から見れば全く異なる考え方だったことを知る時があります。
そんな時は、一度立ち止まって「見直し」「修正」したりします。それがその時点で分かって直せばいいのですが、そのままだったりすると、後で非常識なこととして指摘され恥をかく場合もあります。

最近では、政界においてのジェンダー不平等発言や官僚の接待問題などがあります。
彼らにとって当たり前のような冗談は、世間にとっては非常識なこととして捉えられます。
夜の接待・会合は当たり前?、接待する側が飲食代を持つ?、昼間の時間帯に省内の会議室で行えばいいんじゃないですか。これもまた世間にとっては非常識なことです。

こうした組織(会社や省庁など)の中では、このような悪しき習慣が常識として通用していることが意外と多いです。
「皆で渡れば怖くない」ということなんでしょうか。最初は間違っていることが分かっていても、集団になれば平気でできることを知り罪悪感が薄れていく。そして、それが続くと「組織の常識」に変わっていくのでしょう。
「官僚の天下り」が典型例ですね。利害関係のある会社に有利に天下りできる習慣が確立されていることなど、世間にとっては非常識そのものです。

又、自分が勤めていた会社を振り返ってみれば、これもまたおかしいな?と思うことがあったりします。
更に、家庭内においても同じようなことが言えます。ダンナが当たり前のように言ってることが、奥様にとっては苦痛であり差別だったりする発言・行動もあります。

こうしてみると、「〇〇の常識は、世間の非常識」という言葉は、意外に私たちの日常生活の中に存在しますね。

 

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私たち夫婦には、昔から親しくしているご家族がいます。
子どもの保育園が同じでお互い共働きだったことから、今でも子ども達抜きの夫婦同士お付き合いが続いています。
毎年のように国内・海外旅行はじめ、月2~3回の食事会など楽しんでいます。

ダンナさんはすでに定年退職してリタイア生活ですが、奥さん(63歳)は今でも働き続けています。
60歳定年を迎えた時、優秀なキャリア(人事関連)を見込まれ今までと同じ条件(職責・給与)で働いていました。
昨年末、「もうやり残したことはないわ」と言って円満退社しました。

そんな彼女に退社から一ヶ月ほどして、他社からヘッドハンティングの話がありました。
その話を聞いて、私は彼女だったらそうした話がきてもおかしくないな~、と思うほど優秀な人でしたから。

先日、新たに入社を決めた彼女から「仕事の帰りに寄ってもいい?」と連絡がありました。
こうした連絡は特に話したいことがある時なんです。そんな時はいつものように夕食の準備をして待っています。

そんな彼女が一言、「今度の職場、まるで昭和だね」と。

その一言で、会社の雰囲気や仕事のやり方・進め方など大よそのことが分かってきました。
一代で築き上げた創業者とその親族による企業で、業界の中でも社員数百人を有する中堅会社だそうです。
創業一族による会社は家族的な社風を持ち働きやすい雰囲気があるようですが、一方でワンマン経営などとも言われたり、新しい血が入らないため様々な改善がなされず硬直した状態になりやすいと言われたりします。

そんな彼女は総務・人事面(主に教育)を中心にいろいろな改革を推進する仕事を任されたそうです。
外部からの新しい風は、硬直化した組織を変える一助になるでしょう。

着任早々、細かな部分から大きな慣習に至るまで様々なことが目に付いたようです。
小さなこととはいっても、会社にとっては、”塵も積もれば山となる” ということわざのように、無駄な経費の削減や効率を高める上では経営上最も必要なことではないでしょうか。
更に、最近では会社内における「ジェンダー平等」も大きな課題であり、社会的な企業責任もあるでしょう。

例えば、
■書類がA版・B版が混在し、全部で6種類の用紙が使われている。
■書類上の日付は、特に基準なく西暦と年号が使用されている。
■社員の名札は全て職位を含めた刻印型のため、人事異動の度に新たに作られている。
■必要な備品・消耗品類が各部署ごとに発注されている(発注先がそれぞれ別取引先)
■各部署の産休届け出書が、社長まで書類上の確認印がある。
■終業時、管理部門の各社員のデスク上が散らかりそのままの状態で退社している。
■部長・役員会議の内容はほとんどが報告事項に終始し、決まらない・決めない会議体になっている。
■取締役・常務は常に社長の顔色をうかがっている。

■製造部門の「社員の声」(改善要望書)は、パワハラ・賃金問題に集中している。
■社長お気に入りの女性社員制服
■・・・

これらは、直接たずさわっていない外部の人にも分かりやすいほんの一例だそうです。
ただ、こうした状況をウンヌンするつもりはありません。それは、どんな会社でもこのような問題は大なり小なりどこにでもあるものですから。

この会社にとっての救いは、こうした状況について担当する社員の人たちが感じていることなんです。
つまり、彼女が言うには、何らかのカタチで改善してほしいと要望しているとのことでした。
ではなぜ自分たちで改善出来なかったの?と思われるかもしれませんが、これがまさに「会社の常識」として長年続けられてきたものだからでしょう。
思っていても、感じていても周りがそうだからそのまま流されてしまっているのが現実なのかと。

 

では「常識」とはどんなことでしょうか?

「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」(コトバンク)

会社や団体などの組織には多くの人たちが働いています。そこでは、「一般の社会人」なのかもしれませんが、「組織内の人」とすれば他者からみれば「一般の」ではないとも言えます。
個人がもつ常識が組織になると非常識に変わってしまう?、そこには損得勘定や忖度が介在することから生じてくるのでしょう。

国会審議で政治家や官僚が、「記憶にございません」と答弁を繰り返すのは、裏を返せばまさに「自分たちは非常識なことをしました」と言っているように聞こえます。

 

63歳にして再就職した彼女は、自分で働く期限を決めているようでした。
それは年齢的に?というものもあると思いますが、「自分ができることを一定の期間で成し遂げたい」という想いを自分に課したものなのでしょう。
そこには、「しがらみがない」ことがその原動力になっていると思いました。
こうした働き方というのは、会社にとっても個人にとっても有益なことのように思えます。

 

私たちは60代になって組織(会社)から離れ、又、第一線から退いた時、こうした常識・非常識がよくわかるようになるのではないでしょうか。
それは冒頭で述べたように「俯瞰できる立場」になったからだと思います。
損得勘定や利害関係もなく、ましてや忖度することもないでしょう。

ただ、今度は自分の生活範囲で留意しなければならないことがあると思います。
それは、自分や家庭に置き換えてみたらどうなんでしょうか。

「自分の常識は、世間の非常識」
「家庭の常識は、世間の非常識」

私たちのような世代になると、今まで生き抜いてきた自信や自負というものがそれなりにあると思います。
それはそれで大切なものですが、社会の変化や周りをみて冷静に判断しなければならない場合もあります。
自分の考えが正しいと貫くことも大切です。しかし、一方で他の意見や考えに耳を傾け尊重することも忘れてはならないものです。

・自分に非があることを認めず、相手に食って掛かって文句を言う
・自分は大丈夫だと言い張って、相手の注意に耳を貸さない
・若い人に説教じみた話や自慢話をし続けたり・・・

こうした状況は、今通っているスポーツセンターでよく見る光景です。「ああはなりたくないな~」と思う場面に遭遇したりします(笑)
今、社会的な問題になっている「高齢者の運転免許返上」話もこうした一例だと思います。
そう考えるといろいろありますよね。私も自分に問い詰めた時、思い当たる節がありました(笑)

私たちの生活の中でよくある「〇〇の常識は、世間の非常識」、一考に値する言葉ですね。

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