ジェンダー・ギャップ指数121位の日本
「おかしい」と声をあげる社会に
東京五輪組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視の問題発言が、国内外から批判や辞任を求める声が上がっています。
すでにメディアなどで広く報道されているので、ここではその詳細については省きますが、”起こるべくして起こった” という感です。
というのは、この発言を撤回する謝罪会見においても何ら反省の弁になっていないことが良くわかります。それは私だけでなく多くの国民の皆さんも感じられたことでしょう。
そこには女性活躍、男女平等、個人尊重、多様性など ”かたちだけの言葉” として扱われ、その中身については全く旧態依然とした女性を軽んじる考え方が根強く残っていることを物語っています。
更に残念なことは、そうした差別発言に対して何も言えない「組織」(五輪関連組織や政府)も大きな問題ではないでしょうか。
権力を掌握する者に対して、その周辺にいる人たちの利害関係や忖度が見え隠れします。
私たち夫婦は結婚以来夫婦共働きでした。
カミサンは40年以上フルタイムとして働き続けてきました。
1985年男女機会均等法が施行される以前からですから、男性中心の社会・職場の中ではたいへんな苦労があったと思います。
仕事と家事・育児をこなし、更には女性の働く場の環境改善やその地位向上に向けてたずさわってきたことを思えば、今回の問題発言をはじめとする ”かたちだけの言葉” の薄っぺらさに怒りを通り越して呆れていました。
私は35年間小売業(スーパーマーケット)にたずさわってきました。
お客様の大半は女性です。そして、そこで働く従業員(正規・非正規含め)の8割は女性でした。
取扱商品や販売、接客やサービス業務において女性が活躍できる職業の一つではないかと思います。
そんな職場の管理職のほとんどは男性でした。
職業柄もっと女性の意見・声を引き出し、責任あるポジションに就くことでその力を発揮し企業の成長につなげることができると思っていましたが、現実はなかなか難しかったです。
人事上で非正規社員(パート)を職位ランクアップする制度がありました。優秀な人材であれば正規雇用、更には管理職への道が開かれるものでした。
しかし、そうした優秀な人(女性)を推薦するもそのほとんどは実現しませんでした。
ほんとうに残念なことでした。会社としてもっと女性の力、その可能性を追及する努力を続けてほしかったと思います。
世界経済フォーラムが「ジェンダー・ギャップ指数2020」を公表しました。
この指数は、経済、政治、教育、健康の4つの分野のデータから作成され、各国の男女格差を測るものです。
この中で日本のスコアは0.652、順位は153か国中121位だったようです。(前回149か国中110位)
内閣府「共同参画」HPより
世界の各国比較から日本の政治、経済、教育面におけるジェンダー・ギャップがいかに低いがわかります。
特に「政治」のスコア順位が144位には驚きです。
今回の問題発言とそれを擁護する政府・関係組織の対応をみても明らかではないでしょうか。
まさに社会を変えていくことが政治と大きく関わっていることがハッキリわかります。
又、経済面においても正規・非正規と男女の賃金格差は改善されていないのが現実です。
これも新自由主義に邁進する今の政治が生み出してきたことです。
以前何度かブログでお話しましたが、今回のコロナ感染拡大が炙り出したものは ”格差と貧困問題” でした。
その中で特に非正規の女性に大きなしわ寄せが起きているのが現実です。
2千万人を超える非正規雇用の内、約1.5千万人が女性ですが、このコロナ禍の一年間で59万人の女性が職を失ったと報道されていました。
多くの女性が失業し、家事・育児負担の増大、更にはDV、シングルマザーなどさまざまな困難に直面し、女性の自殺者が増えていることは極めて深刻な問題ではないでしょうか。
男女機会均等法施行から35年経った今、法的な改善や意識(男女差別)の変化はあるものの、まだまだ根本的な意識改革と制度上の問題は立ち遅れているのが現実だと思います。
ジェンダーとは、日本語で「社会的性差」と言うそうです。
一般的に女性差別を捉えて言われますが、男女共に社会的な固定概念として問題視する場合もあるようです。
例えば、「男らしさ」「女らしさ」、「男だったら・・・」「お前は男だろう!」
こうした社会的な押し付けのイメージで固定化していくことも、ある意味考えなければならない問題だと感じます。
現代社会の問題の一つに「ひきこもり」があります。
これも様々な要因がありますが、その一つに「社会的性差」もあるのではないでしょうか。
社会的な固定概念だけで事や人格を決めつけてしまうことで、個性や多様性を奪ってしまっていることに気づかなければならないと思います。
又、昨年実施された特別定額給付金の受給権者が「世帯主」となっていることも問題になりました。
核家族がすすみ、家庭によって様々な事情がある中、”個人への給付” がなされなかったという点では、やはり考え直さなければいけないことのように思います。
お役所などの公的機関の書類上で「世帯主」欄をよく見かけます。
これは国税調査においても「世帯主との続き柄」という項目で明記されています。
「ぬし?」、何か違和感を感じるものがあります。
これは戦前の「家父長制」を引き継いだ制度が今でもそのままになっていることを物語っています。
コロナ危機のもと、「ジェンダー平等後進国・日本」の矛盾が噴出しました。
女性蔑視・差別化する意識、雇用における条件・賃金の男女格差、民法上の選択的夫婦別姓制度や同性婚、そして世帯主制度など・・・。
こうした現実が121位という指数にあらわれているのではないでしょうか。
先日、朝日新聞の論評欄で稲沢裕子さん(日本ラグビー協会女性理事)が、
男女関係なく「おかしい」と声をあげる社会に変えていかないといけません。
とお話されていました。
単なる失言だったとか、発言を撤回したからもう済んだとか、更には、ただ笑って見過ごすのであれば、この121位は永遠に改善しないのではないでしょうか。
「おかしい」と声をあげる社会に変えていくことが大事なことだと思います。