女性の社会進出
夫婦共働きと女性が働き続ける社会環境に思うこと~
定年退職というと、ごく一般的にはフルタイム(1日8時間労働、正社員・正職員)で働いてきたご主人(男性)のことを指す場合が多いです。
昔から男性(主人)は外に働きに出て稼いでくるもの、女性は子どもを育て家庭を守るもの、というように社会が成り立っていく生活習慣の考え方からでしょう。
既婚女性は、家事と子育て、ご主人の世話や親の介護(義父母等)、その他地域との交流など大事な役割を担ってきました。 そして、子育てが一段落する頃から家計支援のためにパートとして働きに出ることになります。その間、家事やご主人の世話、親の介護、地域交流は変わることなく続きます。
そうした社会の中で私たち夫婦は結婚以来35年間フルタイム共働きを続けてきました。
カミサンは定年退職後、更に再任用(継続雇用)として働き、来春完全退職を迎えます。
結婚前から数えれば40年以上働き続けてきました。結婚後、妻として母として主婦として、そして外で働く女性として人生を捧げてきました。
そんなカミサンには頭の下がる思いです。「長い間、ほんとうにご苦労様でした」という感謝の気持ちでいっぱいです。
結婚当初から家事は全て分担でした。
「お~い、お茶」「お~い、メシ」「お~い、風呂」などの言葉は一切存在しません。
早く帰宅した方が子どもを迎えに行き(保育園など)、夕食を作る、風呂を沸かす、洗濯掃除などをする。それぞれの休みの日は、たまっている家事をこなすなど・・・。
家事の分担といってもやはりカミサンに負担がかかってくることは否めませんでした。
家族揃っての夕食は毎夜10時をまわりました。ご近所の家庭では、ご主人が帰宅する時間が6~7時頃でしたから多分7時以降の夕食だったのではないでしょうか。そんな家庭を羨ましく思った時期もありました。 現役時代、私の勤めが小売業だったこともあり帰宅は毎晩遅く、又、カミサンも仕事に誇りを持って情熱的に働いていたことで、お互いの帰宅時間は遅くなりがちでした。
その後、カミサンは台所の後片付けや洗濯などで寝る時間は、毎夜午前1時をまわる日々でした。
そしていよいよ完全リタイアです。
女性が外で働き続けることの厳しさを、一緒に生活してきた中でよくわかりました。
家庭内での家事、育児はもちろんですが、男女雇用機会均等法、女性の社会進出といっても、やはり男性社会の中でいろいろな弊害を乗り越え働き続ける困難さは言いつくせないほどあったと思います。 働き続ける上での強い意志と使命感、そして条件と環境が整っていなければできるものではないということを、妻の完全定年退職を迎え改めて感じるものがありました。
既婚女性のフルタイム比率は増えていない
ここ十数年、女性の社会進出が増えてきています。
これに伴い、夫婦共働きが増え既婚女性の就業率は上昇傾向にあります。
しかし、その中身をみると、妻がパートなどの非正規雇用の就労であって、フルタイム同士の共働きは増えていないようです。 フルタイムによる既婚女性の就業比率は、年齢によってほとんど変わらず15%前後です。
(内閣府男女共同参画資料より)
この15%の中で、子どもを持つ共働き夫婦の比率は更に下がってきます。
1985年、男女機会均等法が成立し、育児休業も整備されて、出産後も働き続ける環境が整ってきましたが、核家族が進む社会状況の中、育児に関わる施設や行政支援が伴わないものだったため、現実的にフルタイム共働きは厳しかったと思います。 又、法制上の形はできたかもしれませんが、実際の職場環境や雇用主の意識は旧態依然のため、フルタイムで働き続けることができる環境は、何ら変わっていないのが実情ではないかと思います。
M字カーブ。結婚、出産、育児期の就業率が一旦低下する状況(内閣府男女共同参画局)
現在、民間や公務員業務も含め非正規雇用がすすむ中、女性が正社員・正職員として働くことも困難な状況にあります。 仮に、女性が正社員として働き続ける場合においても、上記のように働く環境が整っていません。 私たち夫婦の場合、私は民間企業(営利)、カミサンは公務員(非営利)として働いてきました。民間と公務員の仕事内容や考え方は異なるため、単純に比較することはできませんが、女性が働き続けるための職場環境においては、民間に比べ公務員の方がまだいいのかもしれません。とは言え、最近では公務員も民間並みに労働環境が大きく変わりつつあります。
定年を迎える男性と女性との違い?
定年退職して仕事や肩書、職場の人間関係などを失うと、それまで自分がどんな人間かを定義づけていたアイデンティティも同時に失う危険に晒される。とくに会社に人生を捧げるような生き方をしてきた中高年男性にその傾向が強いようだ。 ※矢部武著「60歳からの生き方再設計」
※ここで言うアイデンティティとは「会社という組織の中で認められていた存在」の意味
最近では、継続雇用が増えて60歳で定年退職する人は少なくなってきています。
私の会社時代の同僚や先輩(全て男性)は、ほぼ8割以上継続雇用で働き続けています。
60歳で役職を離れ65歳までの期間は、その後の人生に向けての準備・助走期間として捉えているように思われます。 そのため、上記のようなアイデンティティも徐々に薄まり、次の人生に目を向けるようになってきますが、やはり会社の中での存在、過去の肩書、職場の中での人間関係を失っていく不安な気持ちは、少なからずあるのではないでしょうか。
では、既婚女性で長年フルタイム働き続けてきた人はどうでしょうか。
男性と同じように「仕事に誇りと情熱を持って働いてきた」女性であっても、男性と違って生活の基本は「家庭」にあったと思います。
一日長い時間働き続け、仕事から帰ってきても家事、子育てに追われ自分の時間さえありません。それでも仕事と家庭を両立していくパワーがあります。
更に、少ない自分の時間を利用して友人(女子会など)や地域とのコミュニケーションを持って多彩に活動しています。そういうことからも、仕事を離れても家庭、地域とのつながりを持ち、社会に順応していく力があると思います。 こうした実態は、カミサンをはじめ私たち夫婦共通の共働き友人夫婦をみてきても明らかです。
「女性の社会進出」という掛け声だけでなく、それを支える社会環境や条件をみる限りまだまだ難しいものがあるのではないでしょうか。
女性が働き続ける職場環境以外にも男女の「同一労働同一賃金」もしかりです。
女性の力はまだまだ無限大にあると思います。そうした力を社会に活かしていくことも、これからの日本の将来にとって有効なことだと思います。
そのためには、社会環境や労働条件の整備としくみ、そして男性の意識改革が必要ではないかと思うばかりです。
来春、40年以上もフルタイムで働き続けてきたカミサンの完全定年退職を迎えるに当たり、今までの夫婦共働き生活を振り返ってみてこんなことを考えてみました。
次回は「夫婦共働きの条件」「専業主婦の定年退職」について考えてみたいと思います。
興味深いテーマで面白く読ませていただきました。
これからも1億総活躍で、皆が働くことを奨励されるようですが、実際可能なのか?
と考えてしまいます。
条件も悪く、高齢でも否応なく、死ぬまで働かされてしまうイメージがつきまとうのは私だけでしょうか。
元気でお金を稼げることは、いいことでもありますが、それが個人の選択でなく、
国の激励、しないことが肩身の狭いことになると、人間らしい生活はいつするのか?
と疑問です。
一日中働いて、考える時間もなくなれば、国の言いなりになる恐れがあります。
人間らしい幸福とは何かを問うことが必要だと思います。
家犬さん
コメントありがとうございます。
先日、「反貧困全国集会2015」に参加した時、「下流老人」の藤田氏、NHK「老後破産」のディレクター板垣氏の話の中で、厚生労働省の社会保障審議会において現状と対応について訴えたところ、予算問題でその改善は難しいと言われたそうです。お役人さんは今の現状についてよくわかっているそうです。しかし、予算決定は全て国会です。消費税5→8%の増税分5兆円の内、社会保障費にまわったのは5千億だけです。残りのお金は、法人税減税の穴埋めと海外で人を殺す武器に使われるようです。
原発推進に使われる補助金は年間4千億円以上、米軍基地への補助は年間5千億円を上回ります。全て国民の税金です。
保育園をもっと充実してほしいという願いひとつとってみても、原発再稼働、米軍基地、安保法制と「密接な関係」があります。
家犬さんがおっしゃるように政府が言う「一億総活躍」するための根拠となる政策が全く見えませんね。