安全保障のジレンマ

力をお互いになくすことをなぜ目指さないの?

「核抑止力」論を考える

 

戦後80年の夏がきました。
8/6日、広島市で被爆80年・原水爆禁止世界大会ヒロシマデー集会が開催されました。
また、この世界大会は8/7日長崎市に舞台を移して被爆80年長崎のつどいが開催されました。

昨年12月、私たち夫婦は「大人の休日俱楽部」を使って広島に旅行しました。
この時、広島平和記念公園を訪れ原爆ドームをはじめ、原爆死没者慰霊碑や平和記念資料館などを3時間ほどかけてゆっくり巡りました。
ちょうどこの日は、オスロで開かれたノーベル平和賞授賞式にあたり、日本被団協の田中てるみさんの講演をこの平和記念資料館内のスクリーンでライブ視聴しました。

ブログ:広島の旅    ブログ:「核廃絶の歩み」後援会

 

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80年前の広島と長崎への原爆投下以降、世界中で核廃絶に向けた運動が盛んに行われ、原水爆禁止世界大会も毎年実施されるようになりました。
一方、これと並行して「核抑止力」論を唱える核保有国(5ケ国)以外にもインド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルに拡散しているのが現状です。
この「核抑止力」論を唱える人たちの言い分は、
「たしかに核兵器は非人道的だ。だからそれを使わせないために核抑止力が必要なんだ」
「今、日本の状況を見てみろ。安全保障環境がこんなに悪いじゃないか、だから核抑止力が必要で、これは核兵器を使わせないために必要なんだ」
※中国や北朝鮮を名指ししている。日本は米国の「核の傘」論を唱える。

核廃絶を願う私たちにとって、この「核抑止力」論をどう克服するか?これは大きな課題でもあります。

6日、広島市の平和記念式典で湯崎広島県知事が行ったあいさつに、核抑止力論に関するお話がありました。
「抑止力とは、武力の均衡をのみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです」

このことは核抑止力以外に私たちが選ぶ方法、進むべき道があることを示唆していました。

 

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8月初旬、地域の人たちとYouTubeの「広島から平和を考える」動画を視聴しました。
この動画は、広島市が主催して県内の高校生を対象としたオンライン学習講座でした。講師は東京大学大学院の藤原帰一教授で、被爆の実相や核を巡る国際動向を学び、平和について自ら考え学ぶものでした。

この講座の中で高校生が藤原教授にとても興味深い質問が出され、それに応えるシーンがありました。
高校生
「力(核や兵器)をお互いになくすことをなぜ目指さないのでしょうか?」
藤原教授
「力を減らすことが怖いからです。力の均衡は『安全保障のジレンマ』です。力を確保しなければ安全が保障できないんだという観念を誤っていると指摘するのではなく、具体的に減らしても大丈夫なんだという状況をつくっていくことが大事です」

ここで注目したいのが、藤原教授が応えた「具体的に減らしても大丈夫という状況をつくること」に安全保障のジレンマを解消するヒントがあると思いました。
これは、先の湯崎広島県知事が話した「ソフトパワーや外交を含む広い概念」で取り組めば、「核がなくても大丈夫」という状況をつくることにつながります。

こうしたことを力強く提唱できる最適な国はどこでしょうか?
それは日本です。なぜなら世界で唯一の被爆国ですから説得力があります。
日本国憲法で「非核三原則」を掲げる国でもあります。

しかし、残念なことに日本は核兵器禁止条約に参加していません。
それどころか今年度の「子ども版防衛白書」(全国の小学校に6100冊配布)の文書には驚くことが記載されています。
「ウクライナがロシアに攻め込まれた理由は防衛力が足りなかった。核抑止力が大切です」。また、中国、ロシア、北朝鮮の軍事活動に触れ、「日本が位置する地域は安全とはいえません」などと、脅威をあおっています。これでは更に他国を威嚇するようなもので、戦争する国づくりが着々と進んでいます。今、軍事拡大が進む沖縄・南西諸島の状況をみれば明らかなことです。

高校生が質問した「力をお互いになくすことをなぜ目指さないのか?」は、戦後80年経ってもまだ議論され続け、核の脅威は一段と高まっています。
こうした中でも世界中の大多数の人々が願う核廃絶に向けたパワーを広げ、核保有国やそれに準じる国々の政府を変える取り組みが必要だと思います。
「核がなくても大丈夫」「武器を持たなくても大丈夫」という状況を着実につくりあげていく外交こそが、安全保障のジレンマから脱却する道だと思います。

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