60歳からの現実(リアル) (33)

書籍「生きるコツ」を読んで

「老いの妙」を感じる時?

 

私は今年65歳になります。
今までは社会的に中高年者という括りでしたが、これからは「高齢者」の仲間入りということになります。

え~、高齢者扱いされちゃうの!? な~んてちょっとガッカリした気分になりますよね。
60代といってもまだまだ元気で、年齢だけで社会規範の枠組みに入れられてしまうなんてとんでもない!と言いたくなります。
社会的な健康管理体制や社会保障制度の利用など年齢で何らかの決め事をしなければならないことはわかりますが・・・。

コロナ禍の中、例えば感染者数や死亡者数などで「65歳以上の高齢者の数や割合」といった線引きが行われたりします。
これは高齢者を一括りにして身体的弱者を解りやすくするための表現・基準なんでしょう。

又、最近では「高齢者の逆走」、「ブレーキとアクセルの踏み間違い」、「高齢者の遭難(転落、道迷い)」、「逆ギレ」などといったような話題に事欠きません。

しかし、よく考えてみるとこの高齢者と言われる範囲はかなり広い年齢層です。
例えば、65歳~90歳までですと25歳の幅、95歳までだと30歳もの開きがあります。
若い年代層に例えれば、20歳~45歳、50歳までの年齢幅に相当します。
そんな広範囲の年齢層を前期・後期というふうに分けられていますが、やはり一般的には「高齢者」を一括りとして表現されているのが現実です。

 

コロナ感染が拡大し緊急事態宣言が発布された中では、今まで以上に外出自粛を余儀なくされている状況にあります。
特に高齢者に至っては感染リスクが高いということもあり、”家にこもる” ”ひきこもり” 状態が広がっているのではないでしょうか。
日中、高齢者をよく見かける場所として公園や図書館、スポーツジムといった所はやはり閑散としたものです。

そして社会的によく言われる言葉として、「もういい歳なんだから・・・」「高齢者なんだから・・・」「老人らしく・・・」といったような雰囲気を直接・間接的に感じることが多くなっているのではないでしょうか。
確かにそのことは一理あります。自動車事故や遭難、徘徊、逆ギレが社会問題化していることからみてもわかります。

 

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先日、「生きるコツ」(毎日新聞出版)というエッセイ本を読みました。
この本の著者は姜尚中(かんさんじゅん)という人で、日曜のTBS「関口宏サンデーモーニング」のコメンテーターとして出演しているので知っている方もいらっしゃると思います。
(経歴:東京大学名誉教授、熊本県立劇場理事長兼館長、鎮西学院学院長など)

著者は、コロナ感染が拡大する中、外出自粛やひきこもりといった状況をとらえて、

家にいることが、不安と焦燥で身も心も擦り切れてしまうことをただじっと我慢していることになってはならない・・・。
家にいることが単なる「巣ごもり」とは違う、より積極的な意味を持つ時間であることに目を向けるべきではないだろうか。

そこで思い浮かべるのが、「リトリート(retreat)」という言葉だ。
仕事などの日常から身を退いて、新しい場所で新しい体験をし、これまでとは違う自分を発見する。「リトリート」にはそうした意味が込められているのだ。
むしろこれを機会に自分を見直し、自分の中の新たな可能性を発見する好機と捉えるほうが心身の健康にもいいに違いない。

ちょっと観念的な意味合いがありますが、モノの見方考え方を少し変えるだけで ”何か新しい発見” があるんだということも頷けます。
”積極的な意味を持つ時間” は、まさに個人の考え方一つで広がってくるものがあるように思えます。
そこには、誰に対してもハッキリした答えはありません。それは自分自身で見つけ出すものであり、そのチャンスがあるということなんでしょう。
例えば趣味的なことであり、読書や学習、個人で出来るスポーツなど・・・。

 

又、「スモール・イズ・ビューティフル」という60年代の言葉を引用して、

大きいことや速いこと、強いことに囚われず、何事においても過剰な欲望に支配されない社会。小規模なコミュニティや地域社会のサイズに合致したもの、装飾を排したシンプルライフ・・・。

コロナ禍の中、インターネットのリモートによる小規模コミュニケーションが盛んに行われたり、最近ではキャンプなどが見直しされています。
今まで何でも効率や効果を追及したり、損得勘定を意識したりしてきましたが、もっと単純に物事を考え行動した時にそこには新しい発見があるかもしれません。

 

私にとってコロナに関わらず完全リタイアした生活の中にもいろいろな発見がありました。
それは姜尚中氏と同じような体験からです。

意外にも自分がカーマニアであると知ったのは、五十路を過ぎてからだし、還暦を過ぎてゴルフにはまり、そして役者としてのデビューを果たしたのも、その頃だ。
なるほど、自分にはこうしたところがあるのか、ふむふむと、自分の知らない自分を発見して驚くことしきり。
それはまるで未知との遭遇のような静かな感動を与えてくれる。これも、これまで大病を患わず、それなりに健康で老いの途上にあることのご利益に違いない。長生きしなければ、こんなことは実感できなかったはずだ

私も還暦を迎えてから本格的に登山にのめり込み、時には10日間もアルプス山脈を巡り歩いていたこともありました。
更に、ラン、スイム、バイクにまで趣味を広げ、まさかトライアスロン競技に出場するとは思ってもみなかったことです。

そこには、”自分の知らない自分を発見して驚くことしかり” でした。まさに ”ふむふむ” ですね(笑)

 

今まで平均寿命と健康寿命のことについて、何度かこのブログの中でお話してきました。
誰の世話にもならず生活できる健康寿命期の間に自立した生活をエンジョイしていこうと強く考えていましたが、最近では動けなくなった後のことはその時になってからという気持ちに変わりつつあります。
”もっと自然体に” というのが本音なのでしょうか。

姜尚中氏はそんな過ごし方を、

「出たとこ勝負」と、開き直った気持ちになっているのである。これもまた、「老いる力」のなせるワザか。
生きていれば、老いる。老いても・・・不思議なことに、私の中からバイタリティ(活力)が失われることはなかった。いや、むしろ、老いとともに、自分の知らなかった自分に出逢える、新しい発見に、「老いの妙」のようなものを感じる時がある。

 

今まで60年以上も生きてきて特に仕事や家庭に重点を置いた生活の中では、自分自身を固定化する、肯定化するという風になってきたのではないかと。
それはごく自然なことであり当たり前のようにも思えます。

しかし、リタイア後というのは、社会とのつながりは保つものの様々なしがらみから解放されるということから、新たな自分を発見するチャンスでもあるのでしょう。

高齢者と言われても「老いる力」を持っていれば、まだまだ ”自分の知らなかった自分に出逢える” と思います。

4 thoughts on “60歳からの現実(リアル) (33)

  1. 「年寄り笑うな行く道だもの」と言うように、皆等しく経験することですが、
    個人差を無視してひとくくりにされることには抵抗がありますよね。
    でも制度上、一線を引かないと公平なサービスが受けられないこともあるので、
    そんなに神経質にならない方がいいと思います。

    例えば、すーさんにお会いした方が、「えっ、65才? 見えな~い!」って
    言ってくれる人もいるんじゃないですか?
    この歳になれば個人差が大きいので、本人の受け止め方次第ですよ。

    また「リトリート」は戦前まであった「戸主が家督を子供に譲る隠居制度」と
    考えればいいんじゃないでしょうか。
    ところがこの制度が無くなったので、いつまでも実権を譲らない年寄りが多く
    「老いては子に従え」が出来ない弊害があちこちに見られますよね。

    さらにこの時期は「仕事を離れ、真の生き甲斐を探す」いわゆる四住期における
    「林住期」と捉えることで、コロナによる巣ごもりを林住期を過ごす閑居だと
    考えれば、「生きるコツ」が見つかるのではないでしょうか。

  2. Rockyさん

    お久しぶりです。

    >「年寄り笑うな行く道だもの」

    親鸞の教えでしょうか?、いつもなるほどと思う味わい深いお言葉ありがとうございます。
    確かにこの歳になれば自分の納得のいくように生きたいものですね。
    もういろいろなモノに束縛されず、自分の考えや思いに従って進んでいきたいなと。

    >この歳になれば個人差が大きいので、本人の受け止め方次第ですよ

    そうですよね。60年以上も生き続けてきたわけですから、個人差が大きいのは当たり前ですね。
    人との比較というのもあまり意味のないことで、できるだけ自分らしく過ごしていきたいと思います。

    「生きるコツ」、まだ漠然としていますが、何か少し理解できたように思ってます。

    貴重なお話ありがとうございました。

  3. すーさん、貴重なお話、ありがとうございます。
    私もあと2ヶ月余りで65歳の高齢者を迎えます。
    複雑な気分はありませんが、山でいうなら、5合目まで
    登ったかなという感じですね。

    確かに、体力や感覚は若いころに比べ落ちている実感は
    ありますが、あせる気持ちはなく、自然に受け入れられるのは
    大きな変化ですね。

    先日、車を買い替えて、今流行りの安全装置や支援装置を体験
    しました。
    年齢で落ちてゆく部分をハイテクが補ってくれる感覚を知り、
    これもいいかなと思っています。
    昔に比べれば、ありがたいものです。
    (この関係の仕事をしていたので、あらためて感激した次第です)

    前述の方が、隠居という言葉をお使いになりましたが、まさに
    隠居の生活に慣れてきました。
    失敗を挽回することに精を出すのでなく、失敗も楽しむ生活
    です。
    今後は、高齢者という未知の世界を体験できる楽しみを満喫
    しようかなと思います。

    1. あらちゃんさん

      こんにちは

      >失敗を挽回することに精を出すのではなく、失敗も楽しむ生活です。

      いや~、なるほど!と確かにそう思います。
      私も退職以降いろいろな事にチャレンジしてきました。
      そのほとんどが今まで経験したことがないものばかりでした。(旅、登山、スポーツなど)
      とりあえずやってみるか、行ってみるか・・・、な~んて気軽に始めてみてやっぱり失敗だらけでした(笑)
      でも、それらの失敗ははじめから想定内?、気持ちの上での余裕?もあったことから落ち込むことなく、次回はこうしよう、次回は変えてみよう・・・というふうに楽しみました。

      こうした経験も「生きるコツ」に切り替えれば楽しいものですよね。
      損得勘定、利害関係、更に忖度?、もういい加減いいんじゃないかと。自分の思うように素直に生きていくことこそ幸せなことだな~としみじみ思います。

      いいお話ありがとうございました。

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