モチベーションの持ち方
「こだわり」にこだわる?!
今年のくるま旅のプランはできていません。
更に、登山、持久系スポーツ大会へのエントリーも同じくノープラン状態です。
昨年から続くコロナ禍の中、どうしても外出自粛を考えなければならないためです。
そんなことからモチベーションが下がりっぱなしです。
登山計画は日本百名山残すところ5座です。
東北の朝日岳だけは今年の夏に登る予定で決めていますが、残り4座の大山(鳥取)、宮之浦岳・霧島・開聞岳(鹿児島)だけは年内登頂は難しいでしょう。
登ろうと思えば登れると思いますが、やっぱり気持ちの上でモチベーションが上がってきません。
私たち夫婦の登山は今までくるま旅とセットでした。
目的が登頂であれば、その周辺地域や行きかえりのルート上で旅を楽しむスタイルなんです。
もちろん登山なしのくるま旅もあります。その時はその土地のグルメや史跡・温泉めぐりなどの目的を持って出かけていました。
先日読んだあるキャンパーの旅コラムにこんなことが書かれていました。
キャンピングカー旅生活を始めた2005年頃、年配の男性から「1年の目標を考えておかないと続かなくなるよ」とアドバイスをいただきました。
例えば登山好きなら日本百名山制覇とか、どうせ日本一周するなら道の駅全制覇など、テーマは何でもいい。ただあてどもなく旅をするのは耐えられない、というようなニュアンスでしたが、正直、当時まったく理解できませんでした。
達成感が得られないといけないのかな?と想像するものの、適当に「へぇ~、そうなんですか。参考になります」と生返事するあたりに、性格がでますね(苦笑)
あれから15年、やっと、その男性の気持ちが少し解かるようになりました。
時間は無限ではない。明日も平常である保証はどこにもない。ただあてどなく旅することは、時間を無駄にするのと同義である、ということなのであろう。
このコラムにあるように、何かテーマを持った旅、又、○○を食べてみたい、観てみたい、散策してみたい・・・。
そんな動機があるかないかでは大きな違いがあると思います。
「時間は無限ではない」わけですから、やっぱり実のある時間を有効に使いたいものです。
先日、長年家族ぐるみで親しくしているご夫妻に呼ばれて鍋会をしました。
このご夫婦家族とは、一昨年まで4年連続北海道旅をした仲です。
その奥さんから、「コロナ禍になるとは思ってもみなかったわね。北海道に行ってて良かったわ~」と。
コラムのように「明日も平常である保証はどこにもない」ということを実感しました。
昨年末から今年にかけてのコロナ感染拡大は、「Go To トラベル」が引き金になったと言われています。
感染爆発した時期からさかのぼれば確かにこのキャンペーンが原因ではないかと思います。
割引や各種サービスによって旅に出かける動機につながります。
「安くなったから出かけよう」という気持ちは、「いつか行ってみたかったから、いつか食べてみたかったから・・・この際に」という動機に結び付くものがあります。
しかし、「安くなったからどこかに行こうか」という ”どこか”? は、あくまでも ”安さだけの動機” でしかないです。
もちろんそれでも普段なかなか行けない所であれば、それはそれで良いのかもしれませんし、人それぞれですが・・・。
やっぱり私にとっては、”こだわり” というものが欲しいです。
それは、旅のテーマがあることでモチベーションが高まっていくことにつながるからです。
昨年10月、仲間たちと2泊で尾瀬トレッキングに行った時にGo Toを使ったことがありました。
燧ケ岳と尾瀬散策が目的の山旅でしたが、ついでにGo Toが使えるということで利用しました。あくまでも結果Go Toというだけであってこれが動機ではありません。
Go Toがなくても山旅は実行されていました。
「ただあてどなく旅することは、時間を無駄にするのと同義である」という考えは確かにあると思います。
やはり、「・・・したい、・・・観たい、・・・食べたい」という、”強いこだわり” があってこそ旅の面白さが倍増されるのではないでしょうか。
そんな ”こだわりにこだわる” のもいいんじゃないかと(笑)
こうした旅というものが過去何度もありました。
あの旨いラーメンが食べたい、名物の肉うどんを求めて、日本海に沈む夕日を、映画・小説のロケ地へ、天守閣がないあの城址へ、標高1500mの雲海に、この山にしかない固有種の高山植物を求めて・・・。
そんなこだわりを持って旅すること数万キロにも及びました。
そうした旅の思い出は今でも鮮明に残っています。
コロナ禍の中、まだまだモチベーションが上がってきません。
ただ、これからの旅プランは、短期間でも近場でもやっぱりこだわりを持って出かけてみたいと思っています。
このコロナで私も旅はもちろんそうですが、日頃の活動にも頭の上に重いふたをされたような
気がしています。何かをやろうと思い立っても躊躇することが多く、すぐやるぞということには
ならなくなりました。
ただ田舎に住んでいて山、高原、湖がありますので、町内を含め近隣に出かけるようにはして
います。
昨年春に平均年齢70歳超の三歩の会というのを立ち上げ、基本的に月一回以上当番を決めて
活動を始めました。当番の人が日時、場所を決めて募集し、都合の良い人が手を挙げて参加する
形です。登山、ハイキング、歴史散歩、カヌーなどです。メンバーは増えて20人余になりまし
た。夫婦参加が多いです。
今回のブログに「こだわりにこだわる」旅もいいんじゃないかとありました。
基本的に全くそうだと賛同するものです。わたしも「こだわることにこだわる」としてきまし
た。2012年3月、59歳で退職してから旅とこだわりを求め、昨年春までの8年間に数えて
みたら普通の人よりは相当多いであろう日数を、国外国内に出かけていました。妻とは国外は6
割余り、国内は3割ぐらい一緒です。
その中でこだわることはとても大切だし面白いのですが、自分の関心が薄い事にもかかわって
みると今までにはない新しい発見というか感動を見つけることができました。こだわって物事を
深めることもとても面白いのですが、違った面白さがそこにはあるように感じています。
今は「こだわらないことにこだわる」よう自分に戒めながら旅をしようとしています。どう
せ、こだわることを捨てることはできないでしょうから。
槌が崎さん
>今までにない新しい発見というか感動を見つけることができました。
いや~まったく同感です。
旅の面白さというのは、思ってもみなかったモノを発見したり、出会いというものがありますね。
その時の感動は旅の思い出としてしっかり残っています。
以前ブログでも紹介したことがありましたが、私が北海道の幌尻岳に登った時、カミサンは麓の山の駅で2日間車中泊生活しました。その時知り合った山の駅の管理人さんと食堂の女将さんと仲良くなり、今でもラインや手紙で交流を続けています。
又、讃岐のうどん店で知り合った若者と意気投合して、一緒に車でうどん巡りをしたことがありました。
その他にも迷い込んで入ってしまった高原で息を呑む絶景に出会ったことも・・・。
槌が崎さんのように長年旅を続けていらっしゃる方にとっては、あまりこだわらずにもっと自由に旅を楽しもうという考えもよくわかります。
「こだわらないことにこだわる」のもいいんじゃないかと(笑)
旅に出て思ってもみない発見や出会いがあれば、その旅も充実したものになりますね。
月に一度の三歩の会、とてもいいですよね。
何か一つでもそうした会があるだけで生活のリズムや張りが出てくるように思います。
コロナ禍で「頭の上に重いふたをされたような気分」(同感)ですが、旅への想いを途切れさせないようにしていきたいものです。
コメントありがとうございました。