コロナ危機と新自由主義

広がる格差と貧困・・・

”自己責任の社会” でいいのか!

 

毎年5月になると固定資産税と自動車税の納付書が郵送されてきます。
税を納めることは国民の義務ですから致し方がないと思いますが・・・。

先日、家の片づけをしていた時、働いていた頃の給与明細の束が出てきました。
税控除欄には、所得税、住民税、社会保険料、厚生年金、雇用保険の5項目が天引きされていました。
現役時代は、こうした納税や保険料などにはあまり関心がなくほとんど見ることはありませんでした。
改めて見てみると毎月十数万円が天引きされていました。
この金額が毎月、そして数十年に渡って納付されていたんですね。

国の運営というものは、国民のこうした納税によって成り立っています。
一人の働き手にとってはたいした金額ではありませんが、これが数千万人の納税規模となれば莫大な金額になります。
そういう意味では、国民が納めた税金というものはその使用用途を明らかにして国民生活の安定に使われるべきものだと改めて感じるものがあります。

 

コロナ危機が収束に向かいつつあります。

例えば自然災害の時のように、台風や地震に見舞われた後には家屋が倒壊し、土砂崩れによって木々が押し倒され、河川では橋が流され流木が散乱している光景があります。
多くの人が亡くなり、病院では溢れるばかりのけが人の姿があります。

こうした災害時と同じようにコロナ感染は社会全体に大きな影響を及ぼしました。
国の緊急事態宣言による特に中小業者や個人事業主、文化活動者などへの支援はなく、あってもその補償は後手にまわりました。
その結果、企業倒産が相次ぎ廃業する商店も数多く出てきました。
又、医療機関や介護施設においても同じような状況が発生してきています。

このような事態は、”結果論” ではないと思います。
未曾有のウィルス感染が予測できなかった、まさかこうした状況まで拡大するとは思わなかった、だからしょうがないとするものではないと思います。

2011年に起きた東日本大震災の福島第一原発事故をみても明らかなことです。
事故後の処置が果たしてどれだけ出来きているか? 被災者への生活支援が十分でき、今までの生活を取り戻すことが出来ているか? 放射能汚染を止めることが出来ているか?
そのほとんどが中途半端なままになっています。今も裁判が続けられている状況です。
更に、現政府はこれからのエネルギー対策として原発再稼働を推進しています。

私たちは今回のコロナ危機を体験して学ぶことは、自然災害をはじめこうした事態に対応できる政治・社会ではないでしょうか。

なぜこのような政治になってしまったのか?
なぜこのような社会になってしまったのか?

 

新自由主義の歪み

 

先日インターネットにイギリスのジョンソン首相の発言が掲載されていました。
彼はコロナ感染にかかり病院で治療を受けていた時のメッセージで、

「社会というものがまさに存在する」と発言し関心を引いたそうです。

ジョンソン首相は、イギリス80年代のマーガレット・サッチャー元首相の後継者として、昨年保守党党首に選出され、同時期に首相に就任した人です。

サッチャー元首相は、、
「社会なんてものはない。あるのは個々の男たちと女たち、家族である」と発言していました。

戦後イギリスの福祉国家体制を否定し、徹底した個人の「自己責任」を強調する新自由主義の「哲学」を表明したものでした。

この新自由主義とは、「市場原理至上主義」ともいわれるように、すべてを市場の競争に任せ、資本=大企業に対する規制は少ないほど良いという主張と政策です

ジョンソン首相のこの発言に関心が引かれた理由は、自分がコロナ感染とその治療により回復したことで、「われわれのNHS(国民保健サービス)を守れ」と発信したことが驚きをもって受け止められたそうです。
これは、同じ保守党だったサッチャー元首相の「社会なんてものはない」という考えから一転して、「社会というものがまさに存在する」という考え方に変わったことからなんでしょう。

日本は現在、「国民皆保険制度」です。
国民一人一人が保険料(義務)を支払い、国の財政からも支援して国民の健康維持を図る制度として成り立っています。
日本からみれば当たり前のことなんでしょうが、アメリカなど国によってはその制度は異なります。

普通冷静に考えれば、「社会というのもが存在する」ということは当然のことであり、誰もがそう思っていることではないでしょうか。
私の個人的な見方からすれば、”一国の責任者がこんなレベルの考え方なの?” と呆れるばかりです。

人は一人では生きていけないものです。
私たちが毎日生きていくために必要な食料は誰が作っているのでしょうか。
病気やケガをした時に誰が治療し介護してくれるのでしょうか。
私たちが移動する時、誰が道路や鉄道を作り、誰がバス・電車・飛行機の運転操縦をしてくれているのでしょうか。
水道、電気、ガスなどのインフラも・・・。
一人一人の働きによって社会は成り立っていることを忘れてはならないと思います。

そして健康保険制度においても保険料を支払い、又、国の全面的なバックアップに基づいていつでも誰もが受診・治療できる体制ができている社会が求められます。

「社会というものが存在する」こと。
当たり前のことが当たり前でなくなる社会になりつつあることに危機感を覚えます。

 

前回ブログにアップした「その国の7年半」は、まさに新自由主義に邁進する政治が行われてきました。
ここにも誰がみても当たり前のことが歪められ、法の解釈や見せかけで自分たちの都合のいいように変えてきた政治がありました。

2012年安倍政権発足後、アベノミクス政策が日本の経済を更に深刻化させるものになりました。
政権は好景気に見せかけるために株価に執着しました。
日銀に異次元の金融緩和を推進させ、円安を加速し株高を演出したことは、株をやっている人やっていない人誰でも承知のことと思います。
さらに、法人実効税率を引き下げ、大企業の研究開発減税を拡充し、所得の累進課税制度にも手をつけて取るべきところから取らない税制度を確立してきました。
そして、財源が確保できない分を消費税増税(5%→8%→10%)で穴埋めしてきました。

一方、国民に対しては社会保障の削減を繰り返し(年金マクロ経済スライド、医療費負担、介護制度改悪)実施してきました。
又、働き方改革の下、労働者派遣法を改悪し「生涯派遣」化を推進し、非正規雇用を拡大してきました。
そして今回のコロナ危機に直面して、真っ先に職を失う非正規雇用の実態が浮き彫りになりました。

こうした政策は、まさに前述した新自由主義の政策と一致しています。

”社会福祉国家を否定し、徹底した個人の「自己責任」を強調”
”すべてを市場の競争に任せ、資本=大企業に対する規制は少ないほど良いという主張”

頑固なまでに補償に後ろ向きな政権の姿勢の根本には、こうした新自由主義の考え方があるからです。
外出や営業の自粛はあくまでも「要請」であって、”自粛を決めたのはあなたでしょう、その責任もあなたにある” というニュアンスが見え隠れします。

 

この新自由主義の政策はイギリスや日本だけでなく、アメリカをはじめとする先進主要国で推進されてきました。
2009年のリーマンショック以降、経済を急速に回復させる必要から緊縮政策に転換しました。
それは社会保障などの公的支出を削減、付加価値の増税、法人税の減税などがそうです。
そしてこの政策はより加速し集中化したことで、日本をはじめ世界的な規模の格差と貧困をもたらす結果につながりました。

 

より累進的な課税を!

 

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5/27日、第2次補正予算案が閣議決定されました。

これも国民の声や野党からの提案によってようやく実現したものですが、あまりにも遅すぎる決定です。
中身をみれば第1次補正予算に盛り込まれてもいいものばかりではないでしょうか。

こうした補正予算は国債の発行による国の借金で対応することになりますが、国民生活のあらゆる危機を救うための緊急性を考えれば必要なことだと思います。

これら借金は未来に残すもので私たちの納税から少しづつ返済するかたちになります。
そして今のような新自由主義的な政治がこれからも続くとすればどのようになるでしょうか?

答えは明白です。
前述した新自由主義の政策が更に加速するでしょう。

国の財政のひっ迫は、まずは収入源の税制度に着手するでしょう。
コロナ危機による経済立て直しのため財界からは更なる法人税減税の要請があり、逆にその分の穴埋めとして消費税をはじめとする増税が行われる可能性があります。
莫大な内部留保のある大企業にとってはその恩恵を受けることになります。と同時に人件費圧縮のために非正規雇用の拡大が進むことでしょう。

又、歳出では、最もウェイトの高い社会保障費削減が見込まれます。
これは今までと同じように少子高齢化を理由に、そして2025年問題を大々的に打ち上げ国民の理解を求めてくるでしょう。
※2025年問題:団塊世代が75歳後期高齢者になる年

結果どのようなことが起きるのでしょうか?
それは、”格差と貧困の未曾有の拡大” が起きてきます。まさに、”社会というものが存在しない” ことにつながってくる恐れがあると思います。
すべてが ”自己責任の社会になる” と言っても過言ではないと。

ではどのような方向性が求められるべきなのでしょうか。
それは、現状の税制度の見直しだと思います。
”能力に応じた負担の原則” に基づき、累進課税を正常に戻すことが必要ではないでしょうか。
富の一極集中を防ぎ、所得再分配が無理なく行われることで経済の循環がより加速していくことにつながります。

法人税の見直し(中小企業は除く)、大企業中心の研究開発減税や連結納税制度の見直し、所得税・住民税・相続税の最高税率を元に戻す、株式配当・譲渡所得への課税強化、富裕税の新設、タックスヘイブンの規制など・・・。
こうした税制の見直しにより税収確保が見込まれるのではないでしょうか。

又、同時に雇用を守るための法規制、生活を守るためのセーフティーネットも必要なことだと思います。

 

今までの歴史的な背景からこのように考えた時、新自由主義は力の強い者の理論であることが分かります。
前述した ”市場の競争に任せる” ことは、政治として社会を守るという規制はほとんどなくなることにつながります。
言い換えれば、社会を守る、社会を成り立たせる政策は、まったく ”無策” ということです。

そのことが、今回のコロナ危機でより鮮明になりました。
国として緊急事態宣言を発令したにも関わらず、あくまでも「自粛要請」に執着し、その補償はなしということで全て後手に回りました。
そして、国民世論の強い声・要望によって、ようやくその対策に着手し始めたことが今の政府の姿勢を物語っています。

どういう立場で政治を行うか、誰のために政治を遂行するか、この基本的な考え方がないためにこうした事態を招いたことがはっきり伺えます。

 

6/1日、「特別定額給付金申請書」が届きました。
皆さんのところにもすでに申請書が届き給付された方もいるかと思います。

給付が遅すぎるという声が多くの国民から上がっていました。
確かに遅いと思います。10万円という金額であっても厳しい生活の中では大変助かるものではないでしょうか。

申請書欄には、「給付金の受給を希望されない方は、不要欄にチェックをお願いします」とありました。
私はチェックしません。

受給するかしないかは個人の判断ですから、このことに対してウンヌンするもりはありません。
受給しなければ国の財政から支出されることがなく、また違ったかたちで利用されればと思いますが・・・。

私の個人的な考えですが、一律給付なんですから当然もらってもいいし、受け取るべきだと思います。
仮に「受給しなくてもいいよ」と言って受け取らなければ何に使われるか分かりません。
であるなら一度は受取り、自分の判断で寄付する先を決めればいいと思います。
その方が自分のお金の使われ方もはっきりし、自分の手で納得のいくかたちで活用できるのではないでしょうか。

 

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申請書では、「本人確認書類」と「振込先口座確認書類」のコピー添付がありました。

先日静岡の実家から連絡がはいりました。
母宛てに申請書が届いたが、本人確認書(健康保険証など)と銀行通帳の写しをほしいとのこと。
母はグループホーム(認知症)に入居しているため、このような手続きはできません。
こうした場合、家族が代行して申請書を作成することになります。

現在、年金受給者数は数千万人(4千万人?)います。
その受給者は、2ケ月に1回年金が個人の指定口座に振り込まれます。
国として年金受給者であることは確認済でありその振込口座も把握しています。
このような申請書の作成と送付作業、個人が返送して役所が確認する作業など・・・、膨大な時間と労力がかかります。
そこで、すでにデータ把握している年金受給者へ自動振り込みすれば、このような煩雑作業は全くなくなると思いますが。

この場合、受給を希望しない人にも振り込みされてしまいますが、本人の手による寄付活動をすればいいのではないかと思います。
このような年金者への自動振り込みには、私たち素人には分からな様々な確認上の問題があるのかもしれません。
ともあれ、この給付金に限らず雇用調整助成金や持続化給付金、事業者家賃支援など早い段階で給付が行われることを願うばかりです。

 

コロナ危機に対応しての第一次・二次補正予算は、多くの国民の声に後押しされて決まりました。
仮にこのような声がなかったら、又、国政に届かなかったらどのようになっていたのでしょうか?
自己責任の考えに基づく政治ですから、何らその対策はなされなかったでしょう。

蟻川氏の寄稿「その国の7年半」の結び言葉に、

「おとぎ話の続きを書くのは、その国に現に生きている人々である」と。

私たち国民がしっかり書かなければいけないと思います。
でなければ、このおとぎ話は続いていくでしょう。

2 thoughts on “コロナ危機と新自由主義

  1. すーさん、税と社会の問題はいつも難しいですね。
    私も会社生活の最後は、結構高いポストをもらって、びっくり
    するような税金を納めていました。
    毎年の源泉徴収票を見ると、このお金はどこへゆくのかな?と
    素直な疑問が出たものです。
    一方で、子供ができた時、市役所で保育園の相談に行った時、
    会社名を言ったら「ものすごく高い保育料になるので、私立へ
    行って下さい」と断られた記憶があります。
    周囲の人に聞くと、自営業の人たちがほとんど課税所得=0なので、
    これを基準に料金を決めているとか。
    でも近所の自営業の人は、外車に乗っているのに、これはないでしょう!
    と腹が立ったものです。
    社会における公平性の問題は、もう少し論議をして方向を決めて
    ほしいものです。
    本当に努力しても苦労している人には支援を。
    節税と称して、納税を免れている方たちは、サラリーマン並みの
    課税も考えてほしいと思います。

    おまけの話ですが、認知症の私の母の申請ですが、実家の市役所が
    HPで申請書を公開し、ダウンロードした用紙で申請ができました。
    母の保険証などは、常にコピーを手元に置いているので、助かりました。
    また、以前の話ですが、実家の市役所の方にお願いし、母宛の各種書類は、
    私の所へ送ってもらうようにできました。
    (〇〇気付 △△様 のようにできるということです)
    自治体によっては、融通をきかせる所もあるので、ご参考までに。

    1. あらちゃんさん

      私もサラリーマンだったので自営業の人たちの課税についてはよく分かりません。
      友人が自営業をしているので納税の話をしますが、やはり節税対策でいろいろな対応を図っているようです。
      サラリーマンの場合、そっくり課税されるのでどうなのかな?と思ったりしますよね。

      私たち夫婦は共働きだったので、市の保育料金は基準最高額を納めていました。
      又、二重保育だったのでその分の出費も重なりました。
      今思えばよくやってきたな~と(笑)

      母宛ての各種書類についてのお話、ありがとうございます。
      自治体によってそのような対応ができるところがあるんですね。
      今度行った時に役所で相談しようと思います。

      コメントありがとうございました。

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