噴火から5年・・・
今なお山岳信仰の巨匠の山!?
今から5年前、2014年9月27日に御嶽の噴火が起こりました。
山頂付近にいた登山者が巻き込まれ多くの犠牲者が出ました。
ちょうどこの時、私たち夫婦は蔵王登山に行く途中、東北道SAのテレビニュースで知りました。
この御嶽と同じように登山を目的に出かけているということで、今でもこの時の衝撃が忘れられません。
実はこの御嶽には、2年前の9月に行ったことがあります。
この時、噴火警戒レベル2からレベル1に引き下げられたということで、剣ケ峰登頂はできないものの山頂周辺まで登山ができるという情報を得たからです。
しかし、田の原登山口駐車場(標高2200m)まで行ったところ、「突発的な噴火への対応」ということで入山は禁止されていました。
2017年9月、田の原登山口。入山禁止の立て看板。
この場所には、山岳関係者と警察官詰め所が設置されていました。
「おんたけ」、「おんたけさん」という呼び方は二通りあります。
一般的には「おんたけさん」という言い方の方が多いのではないでしょうか。
長野県民謡の木曽節の歌詞にも出てくることから、親しみやすい言い方として今でも使われていると思います。
♬ 木曽のナーなかのりさん ♬ 木曽の御嶽さんは ナンジャラホイ ♬ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ
では、漢字で書くとどうなんでしょうか。
基本的には「おんたけ」で一致しているのだが、「たけ」に当てる漢字は「岳」か「嶽」なのか、末尾に「山」がつくか否か、二系統にそれぞれ二通りのバラエティーがあるので、四種類もの山名が存在する。
すなわち御嶽、御嶽山、御岳、御岳山。
それぞれの支持層をまとめたのが以下のとおりである。
■御 嶽:「日本百名山」、日本山岳会編著「新日本山岳誌」
■御嶽山:国土地理院、Wikipedia、三省堂「日本三名事典」、昭文社「山と高原地図」・・・。
■御 岳:御岳県立自然公園、日本二百名山、御岳ロープウェイ・・・。
■御岳山:開田高原公式HP
樋口一郎著「新釈日本百名山」より
確かに呼び方や漢字の書き方は様々ですね。
中山道(木曽路)の国道19号線を車で走らせていると、観光案内やドライブインなどの看板には「御岳」という字が多かったです。
難しい「嶽」というより「岳」のほうが読みやすいのでしょうか。
樋口一郎氏は著書の中で、こうまとめていました。
山がつくか否か。本来「おんたけさん」と呼ぶときの「さん」は、山を指すよりも呼称であると考えるほうが自然なのではないか。「御嶽さん」と親しみをこめて、あるいは尊敬の念で呼んでいるわけだ。
以上、検証の結果は「御嶽」。「日本百名山」のとおりである。いまや珍しくなった「嶽」に尊崇の意味をこめて「御」をつけるのみ。簡明にして偉大なるオンリーワンのビックネーム、それがこのビックな山にはお似合いだ。
「新釈百名山:御嶽」より
別件ですが、東京都の奥多摩にある「御岳山」は「みたけさん」と呼びます。
同じ漢字を使って呼び方が違います。ちなみに御岳山頂上の境内に「御嶽神社」(みたけじんじゃ)、最寄り駅の青梅線の駅名は「御嶽駅」(みたけえき)です。
これもまたややこしいですね。
メールやラインなどで「先日御岳山に登ってきたよ」と連絡した場合、木曽の御岳?、奥多摩の御岳?と分からないのではないでしょうか(笑)
日本語というのは複雑で難しいものがありますね。
前置きが長くなってしまいました。
今回の御嶽登山は、今年7月から10月にかけての期間に剣ケ峰登頂が一部解除になったことから出かけてみました。
登山ルートが限られているため御岳ロープウェイを使って登ってきました。
御岳ロープウェイ乗り場(往復2600円)
この場所から御嶽の山頂付近を望むことができました。
ロープウェイの案内では、安全のためにヘルメットを着用するよう放送が流れていました。
私はこの時点でヘルメットをかぶっていましたが、ほとんどの登山者が持参していませんでした。
全体として約3割程度の登山者だけが着用、又は持参していました。
直近で噴火した山ですから、いつ何時再び噴火が起きるかわかりません。そのための備えは必要だと思いますが・・・。
ロープウェイの飯森高原駅で下車。
しばらく高山植物園の遊歩道を進んでいくと、七合目の行場山荘が見えてきました。
この山荘は「ちからもち」が名物のようです。参拝者・登山者が休憩する場所になっていました。
八合目の女人堂
この八合目から森林限界を超え一気に視界が広がりました。
北アルプスの乗鞍岳が遠望できます。
眼下の女人堂 南アルプスの山並み
見上げれば黒沢口の頂上へと続く登山道をはるかに見渡せ、振り返れば中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳が一望。
石室山荘
すでに営業していて参拝者や登山者で賑わっていました。
富士山、鳥海山、立山、石鎚山など、古くから宗教登山が盛んであったが、現在では一般登山の中に解消されている。
信仰登山の組織と戒律と風俗を今でも濃厚に保っているのは、御嶽だけだろう。
「日本百名山」より
信仰登山で他にも盛んな山は、白山、大峰山、月山などがありますが、頂上に至るまでこれほどの石仏がある山は初めてでした。歴史ある登拝の道をたどる感じです。
深田久弥氏が御嶽に登ったのは、今から半世紀以上前のことです。当時すでに宗教登山は ”一般登山の中に解消されていた” のですから、現在のこの御嶽の状況は驚くべきものがあります。
頂上直下にあった山荘の残骸
噴火から5年経ちますが、ようやく警戒レベルが引き下げられたことで残骸の撤去と社務所、頂上山荘などの再建が急ピッチで行われていました。
御嶽頂上剣ケ峰3067m
御嶽神社奥社と噴火による被災者の慰霊碑が祀られていました。
頂上は建設用資材や物資などで溢れかえっていました。
今日のように天気の良い日は、ヘリコプターで盛んに物資の搬出入が行われていました。
ちょうどヘリが来るということで、建設途中の社務所の中へ登山者も含め全員で一時非難(風圧のため)
頂上から眼下に一ノ池と摩利支天山。かなたに乗鞍岳を望む。
下山中、2人連れの山ガールがヘルメットをかぶって登っていました。
八合目の女人堂に戻ってランチタイム。カミサンに握ってもらったおにぎりをパクリ!
食事中、白装束姿の参拝登山者グループが登っていきました。
この御嶽の写真は、翌日「空木岳」に向かう途中の稜線から撮ったものです。
御嶽に登っている時には山全体の形はあまりよく分かりませんが、こうして中央アルプスから望むとその偉大な山容が目に飛び込んできます。
このボリュームのある山は、それだけで一王国を形成している。
一個の山として、これだけ図体の大きい存在も稀である。山頂は、最高の剣ケ峰を初め、継母岳、摩利支天山、継子岳などからなっていて・・・はなはだ変化に富んでいる。
しかし、それらすべてが一つの大きな山頂となって、そこから裾へ向かっておおらかな斜面をおろしている。
この斜面がみごとである。厖大な頂上を支えるのに十分な根張りをもって、御嶽全体を均衡のとれた美しい山にしている。
「日本百名山」より
御嶽下山後、空木岳に登るために駒ヶ根に向かいました。
次回ブログは、「空木岳」です。