白寿

人生100年時代?・・・

99歳を迎えた義父の生き方

 

人生の節目に長寿の祝い年齢として60歳の還暦、70歳の古希、77歳の喜寿、80歳の傘寿・・・、
という呼び方があります。
こうした呼び方を意識するのは、やはり定年退職した最初の大きな節目である還暦からではないでしょうか。
そして還暦の後は?、その次はどんな呼び方なの?というように、シニア世代になるとこうした祝い年齢を意識し、おじさんおばさんが集まればそんな話題が増えてきます。

最近、「人生100年時代」という言葉を見たり聞いたりする機会が増えました。
ストレートにみれば、「エッ!、百歳も生きるの?」と驚きます。
日本人の平均寿命は、女性が87歳、男性が81歳だそうですが、医療の高度化や介護の充実化などによって寿命はさらに延びる方向性から高齢化社会を「人生100年時代」というフレーズとして表現したものなのでしょうか。

「人生100年時代」に関してのあるサイトにこんなことが書かれていました。

超高齢化社会は多くの人が長生きする社会であり、若い世代にとってはこの先相当長い人生が待っている。当然不安があるが反面多くの選択肢があるということだから、今からいろいろ準備していく必要がある。
人生後半組にとっても、定年・老後という単純なライフプランで一くくりされるのではなく色々な顔を持ってアクティブに生きていける社会ということだろう。
自ら選択した生き方で人生を楽しむという前向きな響きが感じられる。
「人生100年時代」に関連したサイトから抜粋

確かに見方を変えれば、「自ら選択した生き方で人生を楽しむ」時間とその機会は増えてくると思います。
しかし一方、それだけ長い期間を過ごすことになれば、身体的に働く機会は減り収入も比例してくることで、生活費は大丈夫か?続くかどうか? ”不安” が増大していくことにつながります。

「人生100年時代」という言葉の裏には、社会的に大きな問題と矛盾が隠れているようにも思えます。
先日、読み終えた垣谷美雨の小説「老後の資金がありません」、更に4年前に話題になった藤田孝典著の「下流老人」を挙げる限り、簡単に「100年時代」と言う言葉を使っていいものだろうかという思いにもなります。
それはまさに ”格差社会が進行する中での100年時代” だからです。
そのことを抜きにして語ることはどうなのか?という疑問が生じてきます。

そんな「百歳も生きるの?」「百歳も生きていけるの?」ということですが、現実にその百歳に近づき生き抜いてきた人を目の当たりにすれば、その生き方に学ぶことがあります。

 

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義父が入居しているサービス付き高齢者住宅。
義父が趣味にしている油絵が施設内に展示されています。

 

今年3月、義父は99歳の誕生日を迎えました。
99歳といえば白寿(はくじゅ)です。
白寿は、百から一を引くと「白」となることに由来しているそうです。

先日、白寿のお祝いにカミサンと義弟の3人で義父を囲んで食事会をしました。
いつものように義父は大好きなお寿司と海鮮汁(2杯)をたいらげ大満足で喜んでいました。

現在、義父はサービス付き高齢者住宅(サ高住)に入居し3年経ちます。
高齢ということもあって足腰が弱まり現在車いす生活ですが、頭はビックリするほどはっきりしています。
この歳になれば認知症を患うこともごく一般的なことですが、その気配は全くありません。
又、義父は若い時の障害(戦争)で片目が見えず、今では耳が遠くなっていますが、私たちと同等におしゃべりすることができます。

なぜ白寿になってもこんなに冴えているのか?
その答えは、”生きることに楽しみを感じている” ということなんでしょうか。
実は、義父の趣味は長年「短歌」と「書」を嗜んでいました。そして、現在もその勢いは増すばかりになっています。
以前は油絵も描いていましたが、今はこの2つの趣味が続いています。

 

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毎日のように詠んでいる短歌と書き出しノート

 

私たちが施設を訪れると、

「今朝はこんな短歌を詠んだよ」
と言って、私たちに短歌を綴った大学ノートを見せてくれます。
「へ~、すごいね~」
「今度、これとこれは色紙に書いてみるよ」
と言って、義父は気に入った短歌を色紙に書と絵を描いて仕上げすることが日課になっています。

「施設の中で ”短歌の会” を作って皆でやってるよ」
と話しながら、義父は施設に入居している人が詠んだ短歌を添削していると言っていました。
「へ~、添削もするんだ~。じゃ先生だね!」
「そうなんだよ~、皆から最近そう言われるんだ~」
と、ちょった照れた顔してニンマリ(笑)

そんな毎日の過ごし方が義父の生き甲斐につながり、”生きることに楽しみを感じている” んだな~と思いました。

そして、義父が食事中にこんなことをしゃべり始めました。

朝起きて着替えをした後、毎日部屋の掃除をしてくれるんだ、ありがたいね~。
俺は自分でまだ時間はかかるけど着替えはできるよ。でも自分で着替えができない人は施設の人に手伝ってもらっている。
それとお風呂に入った時もなんとか自分で身体を洗うことができるけど背中はやっぱり洗ってもらっている(笑)
でも自分で身体を洗うことができない人がほとんどだから、これも施設の人が洗って流してくれているよ。
自分で自分のことができないからしょうがないけど、できるだけ自分ができることは自分でするようにしているよ。
手伝ってくれることは本当にありがたいことで感謝したい気持ちになると思うけど、それが毎日のように続いていくと今度は ”不満” に変わるんだよ。
着替えもお風呂も最初はありがたいと思っていたことが、当たり前のようになると、ちょっとしたことで不満に変わり愚痴になるんだよ。
だからそういうことを聞きたくないから俺はできるだけ自分のことは自分でするようにしてるんだ。

義父は自慢話をするような雰囲気でこのことをしゃべってはいませんでした。
そういった ”他人の愚痴を聞きたくない” という強い思いから、「自分はそうなりたくないな」と感じた純粋な気持ちからだったと思いました。

このようなことは、こうした老人介護施設に限らず私たちの身の回りにたくさんある出来事だと思います。
最初に抱いていた感謝の気持ちが当たり前のようになってくると、”不満と愚痴” につながることが多々あります。
施設入居者の場合、ちゃんとお金(施設料)を払っているんだからそれに見合った世話をするのは当たり前だろう、それが仕事だろうと言えばそれまでですが、そうしたことだけで割り切っていいものかどうか・・・。

又、施設に限らず在宅介護も同じようなことが言えるのではないでしょうか。
要介護者が父親の場合、その妻や嫁がその世話と介護をする場合がよくあります。この場合、親族・身近な人ということから、施設ヘルパーさんに比べ感謝というより ”最初から当たり前な気持ち” で接することが少なからずあるのではないでしょうか。

感謝の気持ちを持つことは、”前向きでハレの気持ち” に通じるものがあります。不満と愚痴は、どうしても心の閉鎖と憎しみを持つ気持ちにつながっていくように思えます。

百歳まで長生きしたい、又、ある程度ほどほどに生きればいい、などの気持ちや考えは人によって様々だと思います。
ただこれから歳を重ねていく上で、義父のような生き方にも教えられるものがあったように思いました。
気力、体力が衰え、どうしても受け身になりがちな年齢になりますが、一方でそうした気持ちを改めて持ち続けることも大事なことではないかと。

 

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今回の義父の白寿のお祝いと前後して、内館牧子さんの著書「すぐ死ぬんだから」という小説を読み終えました。
この小説の物語と義父の生き方において重なるものがあったので紹介したいと思います。

この小説の概略は、老後の過ごし方として ”二つの気持ちと行動” があることを伝えるストーリーでした。
一つは、「すぐ死ぬんだから」と言って、自分自身に手をかけない過ごし方。
もう一つは、「すぐ死ぬんだから」と言って、もっと自由に積極的に人生を楽しんでいこう、ということでした。

義父もまた「すぐ死ぬんだから」という言葉を今まで何度も口にしてきました。
そしてこの言葉の意味は、まさに後者に当てはまる生き方ではないかと思いました。

この小説の感想については、次回ブログでアップしていきます。

 

もう一つ義父のことについて、最近ですが特徴的な事を発見?したように思います。
それは、過去のことに関して自分からあまり話さないことです。逆に言えば、今の生活のことやこれからやりたいことをよくおしゃべりします。
99歳まで生きてきた人ですから、今までこんなことがあった、こんなことをやってきたなどと自慢話をしたり、あの時は苦しかった楽しかったなどと回想することがあります。
こちらから尋ねれば、もちろん今まで体験してきたこと(例えば戦争、仕事、家族、趣味など)をいろいろ話してくれますが、自分から発する話はほとんどがこれからのことについてなんです。
これにはやはり驚きを感じざるをえません。

そんな義父でも一つだけ愚痴にすることがあります。
それは、毎日の食事が気に入らないことです。

「いつも病院食みたいで味付けが薄いんだよな~」と。
義父はどちらかというと味付けの濃い食事を好みます。塩や醤油味がしっかりついた献立が好きなんです。
こうした施設の食事なので塩分控えめなメニューになるんでしょう。
このためいつも梅干しやふりかけを持って食事をしています(笑)

義父を囲んだささやかな食事会では、好物の寿司と塩分がたっぷり効いた味噌仕立ての海鮮汁です。
寿司のシャリにもたっぷり醤油をつけて旨そうに食べる義父に、あまりつけ過ぎないように注意する人は誰もいません。
カミサンも義弟も、そして私も皆分かっているからです。

白寿まで生きてきたんだから、今更塩分控えめ?
「好きなように生きてよ」と。

4 thoughts on “白寿

  1. すーさん、こんにちは。

    義父様、立派です。

    >「好きなように生きてよ」
    99歳ですから、ご本人のお好きなことをさせてあげたいですよね。

    1. Roseさん

      こんにちは。

      ちょっと義父の自慢話になっちゃいました(笑)
      カミサンや義弟から見た義父像は、実はかなりシビアなんですよ。
      義母に負担をかけっぱなしで、自分は好きなように生きてきた人なんだと言ってます。
      ま~、これも実の子から見ればそういう見方もあるのかもしれませんね(笑)

      高齢化社会が進む中、義父のような過ごし方については学ぶことがあると思います。
      やっぱり常に前を見て人生を楽しもうという気持ちは持ち続けていきたいものです。
      本人が特にそうした意識を持っていなくても、そういう生き方は周りの人にも良い影響を与えるのではないかな~と感じています。

  2. こんにちは。

    >カミサンや義弟から見た義父像は、実はかなりシビアなんですよ。

    これは言えますよね。99歳の年齢の男性は「超男尊女卑」が当然のことだと思います。

    私事ですが、3年前に亡くなった私の叔父(享年88歳)は草薙に住んでいました。
    亡くなった時に義理の叔母に私は心を込めてお礼を言いました。
    わがまま、横柄、女性を見下しますので、優しい息子は父親とよく衝突していました。

    子供はよく親を見ていますよね。

    1. Roseさん

      あの時代の人はやはりそういう傾向があるみたいですね。
      もちろん全てではありませんが。
      義父は長年食堂を営んできましたが、営業は厳しかったようです。
      義父はあまり金銭感覚がないため、義母が外に働きに出たりして実質家計を支えていたようです。
      そんな義母のことを義父は、「苦労を苦労と思っていなかった」と評しています。
      そんな義父をカミサンは「誰も好んで苦労はしたくないのに、勝手にそんなことを言って!」と非難します。
      確かにそういう感覚は、私の目からみてもそう感じるところはあります。
      人間誰でもいろいろな一面を持っているので、ある部分だけとってその人の評価をしてしまうことはできませんよね。
      そんなカミサンでも、例えば私から「今度おじいちゃんを花見に連れて行こう」と言えば、ニッコリ笑って「そうしようね」と返ってきます。

      私の場合もそうですが、親とのことはいろいろあってもやっぱり血の繋がった関係ですから、傍では分からないものがあるんですね。

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