沖縄基地問題 (2)

ジャーナリズムの役割とは?

沖縄県知事選で見えてくるもの

 

毎月1回開催されるセミナーに参加してきました。
このセミナーは、私たちの身の回りで起きている政治社会問題を題材に取り上げ、その第一線でたずさわっている方やそれに関係する方々を講師に招いての講演会です。
一般社団法人が主催するこのセミナーは偏った政治色はなく、事前に申し込みさえすれば自由に参加できます。
定員が少人数(30人まで)のため講師との距離感が近く、意見交換や質問も自由にできることで認識を深めることができます。

今回11月のセミナーは、『問われる「辺野古」の存在意義~沖縄県知事選から考える』と題して、毎日新聞社編集委員の上野央絵さんが講師として開かれました。
私は朝日新聞を購読していますが、以前毎日新聞も購読していた時期もありました。
普段私たちは新聞を読む機会はありますが、こうして直接編集委員の方からお話を聞くことはめったにありません。
そういう意味では有意義なセミナーでもありました。

講演の内容は、選挙結果から安倍政権の敗因、普天間問題の22年、沖縄の基地負担、県民投票、やんばる世界自然遺産でした。
特に講演では、戦後72年今でも続く米軍基地と移設地問題に焦点を当て、これからの基地負担をどう考えていくかということが中心的な内容でした。

 

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セミナーで配布されたレジュメと資料

 

皆さん、この沖縄基地問題をどのようにお考えでしょうか?
又、今回の県知事選を通してどのようなことが見えてきたのでしょうか?

配布された資料の中に、毎日新聞(10/25付)の「記者の目」に投稿された上野央絵さんの記事がありました。

 

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今回の県知事選を通して、「国民が基地考える契機に」というキャッチフレーズが掲載されていました。

この記事の最後にこのようなことが書かれています。

沖縄の民意をないがしろにすることは、沖縄の現状をわがことと捉える国民の不信感を招くことにもつながる。
安倍政権は玉城氏からの問題提起をきっかけに、将来の安全保障環境まで見通し、辺野古を含めて自衛隊と在日米軍をあわせた日本全土の基地の意義、役割について説明してはどうだろうか。
国民が広く基地負担を自覚することで、国の安全保障を担う覚悟を持ってもらうよい契機ともなろう。

皆さん、この記事を読んでどのように思いますか?

冒頭の「民意をないがしろにする」ということは、私も上野さんが言うように「国民の不信感を招くもの」だと思います。
しかし、その後の記事についてはどうでしょうか。
国民は安全保障と引き換えに基地負担の自覚を持つべきだという考えがあります。
つまり、沖縄の基地負担が大きいというのであれば、国民は本土への移設や新基地建設も受け入れる覚悟を持つべきだということです。

この考え方は、”基地ありき” が大前提になっています。
安全保障は基地がなければ成り立たないという考えがあることからだと思います。

はたしてそうなんでしょうか?
まず基地負担(環境、事件事故、人権問題など)は、右から左に持っていけば改善できるかといえばそんなことはないと思います。根本的な解決には至りません。
又、基地をつくるということは、他国からみれば脅威を感じるものであり威嚇にも相当します。まさに「戦争する国づくり」につながるものではないでしょうか。
基地を建設するということは武器を持つということに他ならないと思います。
武器を持っての安全保障ではなく、政治と外交による安全保障こそが進むべき方向ではないでしょうか。

今、世界の動きが大きく変わろうとしています。
朝鮮半島における南北首脳会談、米朝首脳会談において北朝鮮の非核化、板門店での非武装化など、平和に向けた歴史的合意がかわされています。
こうした中で基地建設の根拠はハッキリと失われてきています。

今年7月、翁長前知事が辺野古新基地の埋め立て承認の撤回表明を行った時の記者会見で、
「20年も前に決定された辺野古新基地を強行することは、平和を求める大きな流れからも取り残される」と発言しました。
私はここで感じたことは、単に辺野古新基地建設反対にとどまらず、”日本における基地そのもののあり方” を問題提起したのではないかと思いました。

今回の選挙戦で佐喜真氏に投票した方々は、様々な人間関係や利害関係もあって支持されたと思いますが、沖縄県民の根底には基地はもういらないという気持ちは共通していると思います。
これは戦争をしない平和な国への願いであり、沖縄県民に限らず本土の国民も全く同じではないでしょうか。
まさにこの気持ちが ”民意” だと思います。

 

上野さんの講演の後、参加者からの質問や意見交換の時間がありました。
実はこの時、私は、”ジャーナリズムの役割について” 質問しました。

その時の内容は、上記の私の考えを述べました。

■「基地負担のあり方」を問題視することは、根本的な解決には至らないこと。
■基地を持つということは、「戦争する国づくり」に向かっていくこと。
■沖縄県民をはじめとする国民の願いは基地のない平和な国ではないかということ。
■そのためには、基地負担の論議ではなく、基地の縮小、地位協定の改正、更には日米安保条約の議論と見直し。

今回の選挙戦で見えてきたものは、「基地負担のあり方=国民が広く基地負担を自覚すること」ではなく、”基地そのもののあり方” を問うものであり、その方向性を指し示すことこそが ”ジャーナリズムの役割” ではないかと。

上野さんの応えはその通りだとおっしゃっていました。
編集上の時期・タイミング、刻々と変化する政治情勢などで記事の内容も絞ったものになる場合があるとおっしゃっていましたが、基本的には、その方向性について同意されていました。

新聞やテレビなどのマスメディアは、国民に大きな影響力を持っていると思います。
私たち庶民が知りえない情報をいち早く正確に報道する役割を持っていると共に、時として読者や国民の声(民意)を代弁することも重要な役割があると思います。

例えば最近の報道として、来年の消費税10%増税が大きな話題として取り上げられています。
わかりずらい軽減税率やポイント還元の解説、プレミアム付き商品券、自動車・住宅減税?・・・。
こうした一連の増税対策の解説や説明に終始し、”消費税そのもののあり方” についての議論や記事・社説・報道がほとんどないことに違和感を覚えます。
逆進性や不合理な税制であること、更には消費税増税に代わる税対策の方法など、こうした問題指摘と方向性を導いていくこともジャーナリズムの役割ではないかと思います。

私たちが普段目にするこうした新聞・テレビの報道は、確かに知りえない情報をわかりやすく解説してくれる点では役立つものがありますが、そこだけに集中(基地移設と負担、消費税増税後の対策方法など)してしまうと ”問題の本質” が見えてこなくなることがあると思います。

 

沖縄県は、辺野古への基地移設工事の是非を問う県民投票を2019年2月に実施する方向で調整に入ったとの報道がありました。
今回のセミナーで最後に質問に立った神奈川県大都市の現役市議から、この沖縄県民投票についての意見交換がありました。
ご存知のとおり、この県民投票は法的な拘束力はありません。政府側は結果にかかわらず工事を継続する構えです。
この市議は意見交換の中で「法的拘束力はあるべきだ」と応えていました。

私もその意見に賛成です。
市民に一番近い市議のこの考えは、まさに「民意を代表する意見」だと思いました。

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