会津駒ケ岳

ゆったりとした長大な山

高層湿原が広がる先に・・・

 

「駒ケ岳」という山名は全国至る所でよく見聞きします。
日本百名山の中には、今回登った会津駒ケ岳の他に越後駒ケ岳、木曽駒ケ岳、甲斐駒ケ岳の3座あります。
その他、私が知っている所では、北海道駒ケ岳、秋田駒ケ岳、南駒ケ岳、箱根駒ケ岳・・・。
ちょっと調べてみると、なんと全国に20座ほどあるようです。

なぜ駒ケ岳という山名なのか?

駒とは馬のこと。山体が馬の形をしている。雪形に馬の形が出るなどで名づけられている。
ウィキペディアより

会津の名山と言えば、真っ先に思い浮かべるのは「磐梯山」(日本百名山)ではないでしょうか。
会津に駒ケ岳?、場所はどの辺り?
地図を広げてみると、なんと山奥の檜枝岐村にあります。
関東から出かける場合、関越道を利用して新潟県の小出インターから奥只見に入り、前回ブログにアップした平ケ岳登山口から更に30Km離れた所に登山口があります。
又、もう一つのルートとして、東北道の西那須野インターから塩原温泉を通り会津高原を抜けて檜枝岐村に入る方法もあります。
どちらにしても遠い遠いイメージがあります。

実は6年前の7月、尾瀬の燧ケ岳に登った後にこの会津駒ケ岳登山を計画していました。
燧ケ岳下山後、駒ケ岳登山口まで行き車中泊するつもりでした。
しかし、燧ケ岳登山で疲れていたため引き返した経緯がありました。

そんなこともあって、今回は同エリアにある平ケ岳とセットで登ってきました。

 

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私が初めてこの山を親しく望んだのは、尾瀬の燧ケ岳の頂上からであった。
北にあたって長い山稜を持った山が見える。一頭地を抜いた俊抜な山の形には見えないが、その尾根の長いおだやかな山容が私を魅惑した。
そこで私は会津駒ケ岳へ向かった。昭和十年(1935年)6月のことであった。
深田久弥著「日本百名山:会津駒ケ岳」

昭和十年といえば、今から84年前になります。
日本百名山が刊行されたのは昭和39年(1964年)です。その約30年前に登ったこの会津駒ケ岳を百名山の一つに挙げようと思い続けていたのでしょうか。

会津駒ケ岳に限らず、「日本百名山」の文中に書かれている風景、景色は今も全く変わっていないことに驚かされます。
半世紀以上経って下界の風景は一変しています。山においてもロープウェイやリフト、新たな登山道、林道の開拓はあれど山の形や四季折々の風景は変わっていないんですね。

 

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会津駒ケ岳に登る主要ルートの一つ、滝沢登山口
ブナやミズナラの巨木が生える尾根を登っていきます。

 

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1700m付近まで上がると視界が開け、会津駒ケ岳の山容が見えてきました。

 

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登山道に咲くウサギギクやアザミ

 

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樹林帯を抜けると湿原が広がり、駒の小屋が見えてきました。

 

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池塘が点在し、ワタスゲが風になびく高層湿原が広がっていました。

 

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湿原保護のため登山道は木道になっています。

 

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前面に眼のさめるような景色が現れた。会津駒ケ岳の全容である。どこが最高点か察しかねるような長大な山が伸びていて・・・
「日本百名山:会津駒ケ岳」より

 

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駒の小屋と駒の池

 

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駒の池周辺に咲くイワイチョウとハクサンコザクラ

 

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ん!あれが駒ケ岳頂上かな?
駒の小屋を後にして木道を進んで行きます。

 

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木道沿いに咲くモミジカラマツとチングルマ

 

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コバイケイソウの群生。今年は当たり年のようです。
コバイケイソウの花は毎年咲くわけではなく、3年から4年の周期に大当たりの年があるそうです。

 

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会津駒ケ岳山頂2133m

 

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頂上付近から望む湿原

 

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頂上から下り、再び駒の小屋に戻ると多くの登山者の姿がありました。

 

深田久弥氏は数多くの山に登り、その中で百名山を選定していったと著書に書かれていました。
そんな登山家でもある深田氏は唯一遭難しかけた山があったそうです。
それがこの会津駒ケ岳です。

下山に際していい気持ちで残雪の上を駆け下って行くうちに、登山道に移る接続点を見失ってしまった。いくら探しても分からない。とうとう私は気を腐らして谷川へ下った。そして未知の谷へ軽率に足を入れることが、いかに愚かな所業であるかということを、それからの三時間の悪戦苦闘で思い知った。
顔に傷を作って檜枝岐へ着いた時はもう薄暗くなっていた。親切な宿の主人は、
「上ノ沢でよかった。下ノ沢だったら絶対下れません・・・」と言った。
「日本百名山:会津駒ケ岳」より

 

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