100歳以上、7万人超える!
「東京オリンピックまでは」の先?
義父は3月で百歳を迎えました。
最近、「人生100年時代」という言葉を見聞きすることが多くなってきました。
「100年も生きるの?」と思うと、う~ん、どうなのかな~と考えてしまいますよね。
では、百歳まで生きた自分を想像してみましょう。
今60代、70代の人だったら、30~40年後になります。その時、自分の身の回りや社会がどのようになっているのでしょうか?
長寿化が進むとは言っても、既婚者であれば配偶者は亡くなり、親戚や友人・知人はもうこの世にはいないでしょう。
身体は衰え寝たきりの状態や車いす生活で、在宅介護か施設での生活を想像します。
そこでは会話らしい会話はほとんどなくなり、ジッと成り行きに任せての生活のような気がします。
子どもがいればすでにその子たちは前期・後期高齢者になっているでしょう。
又、社会が大きく変わってきたとしても、外に出る機会はほとんどなく室内での生活が続くことから、世の中の動きに対しての関心はなくなっていくのかな?と思ったりします。
そうした周りの状況や身体のことを想像するだけで、何か虚しさや寂しさを感じるネガティブな気持ちになってきます。
それは、定期的に老人介護施設を訪れた時に感じるものがあるからです。
しかし、傍から見てそんなネガティブな気持ちを一掃する生き方があるんだと教えてくれているのが義父の生活にありました。
現在、義父が入居するサービス付き高齢者住宅(サ高住)へは月1回の頻度で訪問しています。
「今日は木曜日だからプレパトがあるよ!。いつき先生の添削はすごいよね~、勉強になるよ!」
「俺も施設に入居している人の短歌の添削してるけど、なかなか難しいんだよ」
「ここの飯はうまくないんだよ。梅干しとふりかけがなくなってきたから、そろそろ買ってきてほしい」
「回転ずしの海鮮汁はうまいよ!今日も楽しみだな、2杯食べれるかな~」(ランチタイム無料)
「最近腰が痛くて服を着るのが大変。でもなんとか一人で着るようにしているよ」
「挿絵を描く筆の調子が悪いんだよな~」(新しい筆が欲しく暗に催促:笑)
義父は昨年あたりから足腰が急に衰え、杖を突いて歩くことも困難になってきていました。
今ではほとんどが車いす生活の状態ですが、自分で操作して館内を自由に動き回っています。
90代後半まで自分の力で歩くことができたこと自体すごいことですが。
昨年から車いす生活になった義父が、その心情を短歌に記していました。
「養老院 めっきり増えた車椅子 顛倒(転倒)防ぐ 最後の決め手」
百寿翁 祥燕
祥燕は義父のペンネーム(筆名)
義父は長年趣味にしている短歌を今でも毎朝詠んでいると話していました。
月1回の短歌の会に出席したり、介護施設では会を作って日々楽しく過ごしています。
頭を使い手を使い、更には挿絵も描くことで脳の働きを保っているのでしょうか。
日常の楽しみや生き甲斐を持つことが、健康で長生きできる秘訣なのかなと思います。
100歳以上の高齢者は、昨年7万人を超えたそうです。
男女比では、男性12%、女性88% だそうで、女性の長生きが圧倒しています。
介護施設に行っても女性が多いことに頷けます。
都道府県別データランキングでは、人口比率で埼玉県が一番少ないそうです。(男297人、女2108人)
そうした中の義父の存在は貴重なのかもしれません。
もちろん現施設の中では最高齢です。
義父は数年前から自分が百歳になる年に東京オリンピックが開催されるので、「オリンピックまでは」と言い続けてきました。
それは自分に言い聞かせる目標だったのでしょう。
そして会う度に、義父の言動からはその先を見つめているように感じます。
短歌や挿絵の趣味を持ち、”自分の居場所” をしっかり持っている義父の生き方に教えられるものがあります。
60代、70代で「俺はもう老い先短いんだから」などと言っている人がいますが、本当にそんな生き方でいいんですか?
それは過去の価値観にとらわれている人が言うセリフなのかもしれません。
すーさん
義父さま100歳おめでとうございます。
性格ではなく性質が変わることなく存在してる事は、ご家族にとっても有難いと。
義父様に遺伝子解析受けてほしいです。
わたしは、すーさんがおっしゃる事と反対で
自己努力や性格で「生き生きした老後」を過ごせるとは思ってない。
認知症になりたくなくて本を読み趣味の絵画を制作しても
認知症になる人はなります。
長谷川スケールってご存じですよね?
その長谷川医師が「自分が認知症なった時に自分の研究は完成する」とどこかで読みました。
それは果たされました。
脳にゴミであるたんぱく質が20代から溜まっていくらしいです。
確かに義父様は素晴らしいですが、80%は遺伝子によって決められてます。
60代、70代の方が自分の親兄弟を見て過去の価値観?で自分のライフスタイルを決めてもし
ょうがない部分です。
身体の不自由よりも認知症ー
そこまでいかなくても感覚や感情の変異のほうが怖いです。
家系図に興味あります。
義父のお母さまは早く亡くされました?
義父のお母さまの姉妹はどうですか?
長寿を祝う社会であり続けて欲しいですね。
ヒロさん
お久しぶりですね。
コメントありがとうございます。
ちょうど4年前、母と義父はそれぞれグループホームとサ高住に入居しました。
それまではどちらも一人暮らしで、一人の生活が難しくなってきたことから同時並行で施設への入居を検討していた頃でした。
この時に長谷川式認知症スケールを受けたことを覚えています。
母は12点、義父は26点だったと思います。
母の場合は認知症が進行しているとのことで、医師からはすぐに同居するか、又は施設への入居を勧められました。
義父は当時90代半ばでこの点数でしたから、私も含めカミサンや義弟はビックリしました。
問題集を借りて見てみましたが、「我々でもこの点数は取れないよ」と話したことがありました。
義父の母は、カミサンに聞いたところ80代まで生きたようです。
当時としてはやはり長生きだったと思います。
そういう意味では遺伝(家系)というのも関係しているように思います。
>身体の不自由よりも認知症
確かにその方が心配ですね。認知症でもいろいろなパターンがあると聞いています。
自分自身が気づかないうちに性格や感情の変化などもあるでしょう。
義父のように生きることはごく稀なのかもしれません。
ただ、そうした生き方ができればと思います。
コメントありがとうございました。