60歳からの現実(リアル) (26)

書籍「定年前」を読んで~

60代は「ヨコ」のコミュニケーション?

 

退職後、長かったサラリーマン生活から離れると、今度は ”外から会社という組織を見ること” ができます。
又、長年過ごしてきた ”組織の外のこと” もよく見えるようになってきます。

私の年代になると友人・知人の定年退職の知らせが風の便りで聞こえてきます。
先日、一通のハガキが届きました。
私が働いていた職場とは違う会社の知人ですが、今年10月に定年退職を迎えた挨拶状でした。
早速連絡したところ、継続して会社に残ることはやめて、今まで培ったノウハウを生かして独立するとのことでした。

 

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私の周りでは、こうした独立する例は少ないです。

というのも、ほとんどが継続雇用や再任用(公務員)で会社(役所)に残ってそのまま働き続ける友人・知人が多いからです。
こうした継続雇用の場合、今までの職責から離れ、各種処遇なども変わりますが、基本的な仕事の中身はそれほど大きく変わるものではありません。
そんなことから、定年退職とはいっても今までと同じようなレールの上を歩むことになります。
そして、65歳、又は、70歳が本来の定年退職というかたちになってきているのでしょうか。

こうした継続雇用について、ちょっと気になることがあります。
それは、”変わらない” ”変わりづらい” ということではないかと思います。
60歳定年は人生の大きな節目です。次のステップを考え行動できるチャンスなのに、そのままズルズルと過ごしてしまうことになりかねないのではないと。
というのも、そうした同僚や友人が多いことからなんです。

せっかく安定した雇用期間(継続雇用)だからこそ、社内に身を置きつつも「外の世界とのつながりを持つ」期間として利用するのもいいんじゃないと思います。
つまり、継続雇用期間中は完全リタイア後の準備期間だと思えば、いろいろな意味で発想の転換が生まれてくるものなのかもしれません。
完全リタイア後、スムーズに次のステップに移行できるかどうかは、意識的に準備することが大事なことではないかと。

定年退職後、多くのサラリーマン、特に男性が孤独に襲われる理由、それは「ヨコ」のコミュニケーション力が極めて弱いからです。
会社というのは基本的にタテ社会です。上司や部下との間のコミュニケーションには慣れています。同期というのは一見フラットなヨコとの関係に思いますが、それも会社という組織の枠組みの中だけのこと。
問題は組織を離れ、且つ利害関係もないフラットな状態でのコミュニケーションです。
一般的に男性の多くはこれが苦手なのです。
大江英樹著「定年前」より

私も長いサラリーマン生活の中で、確かに言われてみればそうだったよな~と思うことがありました。
仕事が終わって会社仲間たちとの飲み会の席でも話すことは仕事のことが中心?、いや全てでした。
但し、私の場合は、子どもの保育園時代の父兄との関わりを持ち続けていたことで会社以外の人たちとのつながりを保っていました。

異なる組織や文化の人たちと交わることで今まで考えもつかなかったアイデアや物の見方が出てきます。
ところが、いつまでも同じ会社の人たちと付き合ってばかりいると、そうした新鮮な発見を得ることができません。
同書

では、なぜ男性は「ヨコ」のコミュニケーションが苦手?下手?なのでしょうか。

男性にとってのコミュニケーションというのは何か目的があり、それを実現するために対話をする。
つまりコミュニケーションというのは「手段」である場合がほとんど。
これに対して女性はコミュニケーション自体が「目的」となり、とりとめの無い話であろうが、話す論点があちこち飛ぼうが、それを楽しみながら延々と続けていくことができるそうです。
同書

う~ん、すべての男女に当てはまることはないと思いますが、こうした指摘と思考は案外当たっているように思えますね。

では、「タテ」と「ヨコ」のコミュニケーションはどのようなものがあるでしょうか。思いつく範囲で挙げてみました。

「タテ」=利害関係のあるつながり
■会社・役所の組織。上司・部下と同僚も含めた関係
■会社以外の取引先関係
■NPO活動(非営利団体とはいっても運営上での上下・利害関係は発生してくるのか?)

「ヨコ」=利害関係が無いつながり
■幼馴染や学生時代の友人
■各種趣味活動
■学習活動(セミナー、講演会、社会人大学など)
■地域活動(自治会、PTAなど)
■各種ボランティア活動

こうして見ると、仕事以外での関わり方は広範囲にあるように思えます。
例えば、「趣味活動」ひとつとっても数えきれないほどあるのではないでしょうか。
もちろん個人ごとに関心や興味・嗜好があるので、その範囲は絞られてきますが。
損得関係なく自分が好きな事、興味があることは飽きることなく楽しく続けられると思います。

 

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社会人大学や各種セミナー

私は退職して6年半経ちました。
この間、趣味にしている登山をはじめ持久系スポーツや各種セミナー、社会人大学などの学習会で多くの人たちとのコミュニケーション機会がありました。

こうした場では、「どんな会社、どのような仕事をしてきたんですか?」という話は一切出ませんでした。
お互い相手に聞くこともないし、聞かれたこともありませんでした。
なぜなら、そのようなことは全く意味が無い・関心がないことなんですから。
例えば、ある一つの趣味の同好会において話題になる話はその趣味のことが中心です。今まで40年近く働いてきた仕事の話よりも、たった1年の趣味話の方が重要であり関心があるんです。

60代、継続雇用で働き続ける人は格段に増えてきています。
そんな中、社内に閉じこもることなく一歩外の世界を覗いてみてはいかがでしょうか。それも利害関係のない世界へ。
社外の全く違う世界の人たちとの交流は、新鮮でしかも刺激のある場面と発見が得られると思います

同書では、「50歳を過ぎたら会社の人間と付き合わない」という文面がありました。
かなり極端な言い方のように思いますが、仕事を離れたら意識的にそうした行動をとることも良いのではないかと。
仕事が終わってからの会社仲間との飲み会?、休日に同僚とのゴルフ?・・・、ほどほどでいいんじゃないですか。

60代の継続雇用期間中の人こそ意識を持つことが大事だと思います。
「ヨコ」のコミュニケーションの場をしっかり持っていれば、会社のOB会に積極的に出てもいいと思います。
要は、そうした意識と実践が伴っていれば、お決まりの仕事の話?、孫の話?、健康の話?だけに留まらず、幅広い話題でコミュニケーションできるのではないでしょうか。

 

真逆の趣味が面白い?

 

一般的に趣味というのは、興味と関心があってその世界に入っていくものです。
一方、興味と関心はあるけれど自分には無理だな、ちょっと手が届かないよ・・・と思うものもあったりします。
又、学生の頃や若く元気な頃にやっていた趣味を60過ぎてからまたやり始める人もいます。

私たち夫婦は、子どもに手がかからなくなった40代後半頃から登山を趣味にしてきました。
登山に出かけると60~70代のシニア層が多いことに気づきます。
時間的な余裕があることと健康を意識しての山歩きは、シニア層に人気があるようです。
そうした登山者の中には、若い頃によく登った(戦後第一次登山ブーム)、学生時代は山岳部・ワンダーフォーゲル部に所属していたなど、意外と経験者が多いです。
それはそれでいい趣味なのでしょうが、”昔やっていたから” という気持ちが逆効果につながる時もあります。
「俺は大丈夫だから、経験があるから」と言って滑落したり道迷いしたりして遭難することがあります。
実際に私が体験した中でも、低体温症になった人や無理な渡渉で捻挫した人を見てきました。
共通しているのは、上記のように経験者ゆえの過信と油断が原因でした。

同書にこんなことが書かれていました。

定年後のシニア層というのは放っておくと現役以上に傲慢で独りよがりになってしまう。
だからこそ、自分とは最も縁遠い趣味を持つことで自分が独善的にならないようにする。
”謙虚” になるというのは素晴らしい考えだ。

何もきっかけがないままに今まで無趣味で来てしまったという人もいることでしょう。だとすれば、自分でそのきっかけを作ることも必要です・・・。
それは、「自分には全く縁遠いと思われるもの」をあえて趣味にすることです。
例えば、今までやってきた仕事や興味のあったものとは関連のないものです・・・。定年を機に自己流ではなくちゃんと習おうと思ったりします・・・、「手も足も出ない」ことであればおとなしく従うしかないわけです。
嫌でも謙虚にならざるを得ないのです。

このことを読んで確かにその通りだな~と思いました。

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ちょうど一年前、友人の誘いで初めて市民マラソン大会に出場しました。
今まで登山を趣味にしていたことで多少足腰には自信があったのですが、結果は散々たるものでした。
又、自転車競技やトライアスロンにも参加してきました。こちらのレースは最初から結果(記録や順位)に関わらず完走を目標にしました。
他の選手と比べれば「手も足も出ない」です。
素直な気持ちで教えてもらったり、情報を集めたりしてトレーニングや学ぶ楽しさがありました。

”素の自分をさらけ出す” ということは、本当に謙虚になれるんですね。

 

冒頭で、私は退職後に ”外から会社という組織をみることができる” と話しました。
一般的に「働いていることは常に社会とのつながりを持っている」と言われ、「退職したら社会とのつながりがなくなる」と言われることがあります。
はたしてそうでしょうか?
社会の中で生活していること自体、誰もが社会とのつながりを持っています。
そして、考え方と行動のしかたで更に強いつながりを得ることができると思っています。

「○○の常識は世間の非常識」という言葉があります。
この○○の中に入る言葉として社名が使われたりします。いつまでも同じ会社の人たちと付き合ってばかりいると、本来見えることが見えなくなってしまうことがあります。
逆に、「働いていても社会とのつながりがない」ということに陥るかもしれません。

 

日本人の「健康寿命」は、男性で72歳、女性で75歳だそうです。
この健康寿命は、人の手を借りないで自立して生活できる年齢を指します。
これはあくまでも平均値です。健康状態は個人によって様々ですから一概に言えるものではないと思います。
しかし、個人によって健康寿命が長短異なっていたとしても、それほど長い期間ではないということだけは確かなようです。
そう考えれば、健康上の問題に制限されることなく自分の意志で自由に動き回れる時間を大切にしたいと思うばかりです。

だからこそ、特に男性の場合、まだ元気でいられる60代に「ヨコ」のつながりを積極的に持った方がよいのではないかと思ってます。
継続雇用で働き続ける時にこそ、意図的にそのチャンスを広げてみてはどうでしょうか。
それは、完全リタイア後に大いに役立つと思います。

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