新たな出会いと再会の旅
思い出の映画ロケ地へ
45年前、私が静岡の片田舎から大学進学のため東京に出てきた年、ある映画が上映されました。
それは、山田洋次監督作品の「同胞」(はらから)です。
ゼミの先輩から、「こんな映画があるから観にいかないか」と誘われたのがキッカケで鑑賞しました。
又、カミサンは知り合いがこの映画に出演していたことから思い出に残る作品としてよく知っていました。
物語は、岩手県の過疎の村で、村の青年会が劇団公演を計画し、様々な障害を乗り越えて成功させるまでを描くストーリーです。
実際に起きた話を基に、モデルとなった劇団「統一劇場」が公演シーンを演じています。
主演は、倍賞千恵子と寺尾聰、その他にも渥美清、市毛良枝、大滝秀治など錚々たる俳優陣が出演していました。
「同胞」の画像転用
山田洋次監督といえば、映画「寅さん」が有名ですよね。
その他にも「幸せの黄色いハンカチ」や時代劇「武士の一分」をはじめとする藤沢周平三部作、又、最近では「家族はつらいよシリーズ」など温かみとユーモアのある数多くの作品があり、日本を代表する映画監督の一人ではないでしょうか。
そんな監督が若い頃に製作された映画にこの「同胞」があります。
「同胞」が製作された年(1975年)、「寅さん」シリーズではどんな作品が上映されたのか調べたところ、「寅次郎相合傘:浅丘ルリ子」と「葛飾立志篇:樫山文枝」があり、寅さん人気が高まってきた絶頂期にあたる時期でした。
この映画の舞台になった場所は、岩手県の松尾村(八幡平市)です。
実際にこの映画に出演したのは、松尾村の青年会の人たちだったそうです。
つまり、プロの俳優と一緒に地元青年会の若者たちが作り上げた作品だったのです。このことは後で知りました。
山田洋次監督も
自身の作品の中でもプロとアマがこれほど自然に交じり合った作品は無いということで、この思い出をずっと大切にしていきたいと地元の人たちに話していた。
ESSAY「同胞」より
そして、この作品を後世に繋げていきたいという想いで作られたのが「同胞塾」です。
この松尾村に住み、青年会の一人として実際に映画に出演した工藤金子さんがご自宅に自費で展示室「同胞塾」を作ったそうです。
私たち夫婦にとって青春時代の思い出の映画だったことから、ぜひこの「同胞塾」に行ってみようと思っていました。
そして、そのチャンスは北海道からの帰路に実現しました。
映画「同胞」の舞台になった岩手県松尾村。
東北の名峰岩手山を望む田園地帯。この時期、稲穂がたわわに実っていました。
この「同胞塾」は、当時青年会の一員として映画に出演した工藤金子さんのご自宅にあることから、事前に連絡を入れて予約をしなければなりません。
旅行の途中、弘前から連絡を入れました。運よく在宅されていたので予約を入れて訪れることができました。
「松尾村で暮らす青年たち、統一劇場の芝居に関わる人たち、山田組みの俳優たちという3グループが一体となって作り上げた映画。それが ”同胞” です」
と書かれたポスターとロケ写真が展示されていました。
当時のロケ風景の写真や色紙、又、数冊にもおよぶアルバムを見せていただきました。
映画「同胞」が上映されてから45年経った今でも、この「同胞塾」で山田洋次監督や倍賞千恵子、寺尾聰などの俳優人たちとの交流は続いているそうです。
自筆で書かれた手紙やハガキ、年賀状などの束も見せていただきました。
又、倍賞千恵子さんは気軽に遊びに来ると話していました。
ちなみにこの同胞塾は、山田洋次監督が命名したそうです。
主演の寺尾聰は当時、俳優を続けるか音楽の道にいくか悩んでいたそうです。
石原プロモーション(石原軍団)に入って活躍していましたが、その後石原プロを離脱しました。
その時の理由を工藤さんが聞いたところ、「自分のカラーが固定化してしまう」とおっしゃったそうです。
こうしたエピソードも工藤さんから聞かせてもらいました。それだけ今でも親しくされているようです。
又、カミサンの知り合いだった当時の劇団員(統一劇場)のことも良く知っていました。
その人は、私たちが訪れる一ヶ月前(8月)に同胞塾に来て2泊していったそうです。今でも交流が続いていると話していました。
そんなことから工藤さんとカミサンは意気投合して話がはずみ、なんと3時間におよぶ滞在でした。笑
青春時代の思い出の映画が、45年経った今、何かの糸につながれたような想いでした。
そして、新たな出会いの旅でもありました。
北海道くるま旅から帰り、早速映画「同胞」のDVDを借りて観ました。
45年も前のことですから、初めて観る映画という感じでしたが、所々懐かしい記憶が戻ってきました。
青年会の一員として出演した工藤金子さんの若かりし頃の姿が何度も映し出されていました。
そして驚いたことに、映画の中での青年会紹介場面では、なんと実名で呼ばれていました。
改めて観る映画に新しい発見がいくつもありました。
この「同胞」をまだ観ていない方には、ぜひ勧めしたい映画です。
工藤金子さんには、早々お礼のハガキを出しました。
またいつの日か必ず松尾村に行ってみたいと思います。
「靴はここで脱ぐんですか?」
「再会」というテーマで旅の思い出話をしたいと思います。
2年前、東北くるま旅をした時、弘前のジャズ喫茶「SUGA(スガ)」に行きました。
この時の旅は、登山や観光・グルメの他に ”東北ジャズ喫茶巡り” をしようということで、弘前に立ち寄りました。
初めて訪れたにも関わらず、店主の菅原さんとは親しくなり思い出に残るお店でした。
そんなことから、北海道から青函フェリーで青森に渡った時には、もう一度訪れてみようと決めていました。
弘前市街地歓楽街の路地裏のビル2Fにお店があります。
実は、前回訪れた時に思い出に残るエピソードがありました。
それは、初めてお店を訪れたこともあってか、店内を覗くようにそっと開けたところ、まず目に付いたのが靴でした。
「アレ!このお店は靴を脱いで入るのかな?」と思いました。
客を出迎えに来た店主に恐る恐る、「ここは靴を脱いで入るんですか?」と聞いたところ、ご主人は一瞬あっけにとられた顔つきで私たちの顔を見て笑い出しました。
「俺も長年この商売やってるけど、靴を脱いで入るんですか?と聞いてきたお客さんは初めてだよ!」と。
このことがキッカケでご主人との距離感が一気に縮まりました。笑
それからは旅の話やジャズの話で盛り上がったことから、ご主人お勧めのジャズレパートリーを2時間たっぷり聴かせてくれました。
帰り際ご主人が、「今夜は久しぶりに仕事したよ!」と私たちを送ってくれました。
そして今回二度目の訪問です。
果たして2年前の私たちのことを覚えているかな?と思い、ここはひとつ遊び心でカマかけてみようか、とカミサンを話し合って訪れてみました。
2Fに上がる階段の壁には、前回と同じようにポスターが張られドアには落書きがありました。
ドアをそっと開けて店内を覗くように、「ここで靴を脱ぐんですか?」と声をかけました。
出てきたご主人が、キョトンとした顔で不思議そうに私たちを見てから、「いやいやそのまま入ってよ」。
この時点で私たちのことは記憶にないようです。
そこで、「以前にもここで靴を脱ぐんですか、と聞いたお客さんいましたか?」と聞くと、
ご主人は、「あんたたちで2度目だよ」。
ということは、1度目のお客さんのこと覚えているんだ!。ということで、「その1度目の客が私たちですよ」と。
その時点でご主人は、大笑いしながらハイタッチしてきました。笑
2年前の出来事から話は始まり、近況報告や旅・グルメの話で盛り上がり、ジャズを聴きに来たというより話をしに来たという雰囲気でした。
お店の雰囲気、インテリアは全く変わっていませんでした。
ご主人がプロデュースしたとっておきの1枚、マリオン・ブラウンの曲を流してくれました。
軽快なアルトサックスのリズムが心地いいですね~。
その後、数枚のCDをかけてくれてジャズの話をしてくれました。
ジャズを聴き、ご主人とおしゃべりした3時間でした。
帰り際、次回また弘前に来た時は、必ず立ち寄ることを約束しました。
この時、ご主人は笑いながら、
「3度目はもうないよ」と。
「そうですよね~、それじゃ何か違ったパフォーマンスを考えなくっちゃ」と応えました。笑
私たちが階段を降りながら背中越しに、「今日の講義はこれまで!」と言って笑顔で送ってくれました。
岩手県松尾村の工藤さんとの出会い、弘前の菅原さんとの再会ができた旅の締めくくりでした。
観光地をめぐり、地元グルメを食し、絶景を鑑賞する旅以外にもこんな素敵な思い出に残る旅でもありました。
北海道の旅ブログはこの辺で終了したいと思います。
次回最終編は、”旅の費用” についてアップします。
「2019北海道ステイandくるま旅」 つづく
北海道ステイ、みちのくの旅も終わったのですね。
すーさんの旅ブログを楽しく拝見させていただきました。
下界におりてきて(笑)暑さに驚かれたことと思います。
人とのつながりをさりげなく、暖かく、ユーモアを交えて書かれていて心地よかったです。
ありがとうございました。次回のブログアップも期待しています。
Roseさん
そうですね、長い旅が終わりました。
今回は37日間でしたが、あっという間の旅でした。
一般的な旅行と比べ日数が多いので、”暮らすように旅をする” 感覚になります。
それほど時間にとらわれることなく、好きなように過ごすことができるのも、こうした旅の良さではないかと思います。
北海道旅のブログを継続して見ていただき、又、コメントもたくさんいただきありがとうございました。
これからも引き続きよろしくお願いします。